今の自分を納得できる生き方がいい
「このままの生き方でいいのだろうか」
特別な出来事があったわけでもないのに、ふと、そんな問いが浮かぶことはないでしょうか。
大きな不満があるわけではない。
生活が破綻しているわけでもない。
それでも、どこか落ち着かない。
僕は長いあいだ、その違和感の正体を探していました。
生き方に悩んでいた頃、僕は答えを求めて、たくさんの本を読みました。
自己啓発本にも、確かに希望はありました。
「この考え方なら楽になれるかもしれない」
「この本を読めば、今度こそ変われるかもしれない」
そんな期待を抱いて、ページをめくる日々です。
でも、読み進めるうちに、少しずつ疲れていく自分にも気づいていました。
自己啓発本というのは不思議なもので、著者が変われば、書いてあることが真逆だったりします。
「頑張れ」と書いてある本の次に、
「頑張るな」と書いてある本を読む。
「目標を持て」と言われたかと思えば、
「目標を手放せ」と言われる。
どれも正しいようで、どれも自分には完全には合わない。
少しでも違和感を覚えると、「じゃあ、もっと自分に合う本があるはずだ」と思ってしまう。
そうして、納得できない自分を修正するための旅が、終わることなく続いていきました。
振り返ると、あれは前に進んでいるようで、実は同じ場所をぐるぐる回っていただけだった気がします。
生きる意味を考え続けても、答えが出るわけではありません。
どれだけ考えても、「これが唯一の正解だ」と
確信できるものは見つからない。
結局のところ、人生には最初から用意された正解なんてなくて、自分が納得できる答えを、自分で決めることでしか解決しないのだと思います。
それでも僕は、「もっと良い答えがあるはずだ」と探すことをやめられずにいました。
そんなとき、久しぶりに小林正観さんの本を読み返しました。
以前読んだときは、どこか違和感があったはずなのに、今回は驚くほど、すんなりと入ってきました。
「頑張らなくていい」
「探さなくていい」
「今あるものを大切にしていけばいい」
その言葉たちは、背中を押すというより、
そっと肩の力を抜かせてくれるものでした。
読んでいて、ふと、こんな感覚が湧いてきたのです。「あ、もう探さなくていいんだ」
同じ本なのに、受け取り方がまるで違いました。
本が変わったのではなく、たぶん、僕のほうが少し静かになったのだと思います。
最近の僕は、「静かに」という言葉を意図してよく使います。
それは、これ以上、心をざわつかせたくないからです。
正解を探して焦ること。
誰かの価値観と自分を比べること。
無理に前向きになろうとすること。
そういう騒がしさが、知らないうちに心身を消耗させていたのだと思います。
静かであることは、何もしないことではありません。
自分の感覚をちゃんと感じられる状態でいること。
心と身体が、同じ方向を向いていること。
今の僕にとって人生の指針となっている「心身を整える」というのは、この静けさを取り戻すことでした。
ある朝、特別なことは何もないまま目が覚めて、
コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていました。
「今日はこれがいいな」そう思えた瞬間、理由のない安心感が、静かに胸の奥に広がりました。
何かを達成したわけでもない。
前向きな目標を立てたわけでもない。
それでも、そのときの自分は、確かに納得していました。
だから今は、「どう生きるべきか」よりも、「今の自分が納得できるか」を大切にしています。
掲げるなら、こうです。
今の自分を納得できる生き方がいい
「生き方で」ではなく、
「生き方が」。
我慢の末に言い聞かせる「これでいいのだ」ではなく、心から自然に出てくる「これがいいのだ」という感覚。
それがあるなら、もう十分なのだと思います。
もちろん、今でも迷いがゼロになったわけではありません。
それでも以前のように、正解を探して消耗し続けることは、なくなりました。
生きる意味を無理に見つけなくてもいい。
正解を探し続けなくてもいい。
今日の自分が、少し静かで、少し楽で、「まあ、悪くないな」と思えたなら、それはもう、ちゃんと自分の人生を生きている証なのだと思います。
もし今、生き方に迷って立ち止まっている人がいるなら、無理に答えを探さなくても大丈夫です。
今日の自分が、「これがいいのだ」とそっと頷けたなら、その感覚こそが、もう十分すぎるほどの希望なのだと思います。
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ありがとうございます。
あなたの幸せを願っています。
私の祈りは強烈なので覚悟して下さい(笑)