海外旅行と人生の短さについて|後回しは愚かな行為
先日、友人からLINEが送られてきてメッセージのやり取りを続けていたら、どうやらGW連休を利用してウズベキスタンに行っているようだった。
彼は国家公務員として超多忙な生活をしているが、学生の頃からロシアに留学経験があることから、海外への関心は高く、忙しい今でも年に1度は海外に行っている。ウズベキスタンはロシア語が通じるので旅していて困ることがなく、タシケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァへ行くらしい。

これを知ってただ羨ましいと思うだけでなく、自分の生活を振り返って「なんてこった」と思ってしまった。自分は会社員として多忙ながらも平凡な日々を送っている間に、もう何年も海外に行っていないのだ。
時間とお金を投資し、会社にうまく説明して休みを取れば、5年あれば5~6か国くらいは行けたはずだ。それを逃したわけなので大きな機会損失だと思う。
一方で、もし実際に行っていた場合にどうなっていたかも考えてみる。金は減るだろうし、旅先で詐欺やすりに遭うかもしれない。身ぐるみはがされたり、病気になってしまう可能性も充分にある。
しかし、確実な損失は金が減ることくらいだ。それ以外は取りに行くリスクに過ぎず、戻ってくるリターンはいずれもプライスレスにあたる魅力的なことばかりだろう。
もちろん簡単なことではないが、金なら稼げば良いし帰国後にしっかりと節約をすれば良い。それに、金を掛けずに海外を旅することだってできる。貧乏旅とはよく言うもので、そういった旅の方がより現地の人に近い目線になることにも繋がる。
だから金よりも時間に対して機会損失だと実感してしまった。金は後から何とかできるが、時間はもう元には戻ってこない。
まだ行ったことのない名所が世界にはたくさんある。サマルカンドだけではなく、アヤソフィアにもピラミッドにも行ってないし、エベレストにもイグアスの滝にも行っていない。
名所だけではなく、世界各国の人々のリアルな暮らしも観てみたい。貧しい暮らしのなかでも希望に溢れた眼差しの人々に出会えるかもしれないし、信じられないくらいのお金持ちにも出会えるかもしれない。
しかしこのままだと閉塞感の漂う日本社会において、自らを社畜と称す集団に呑まれたまま、大切な時間を企業に奪われ、財産は国から徴税されるだけの人生で終わってしまう可能性がある。誰だってそんな人生は望んでいないはずだ。
古代ローマの哲学者セネカは『生の短さについて』でこんなことを書いている。
わずかな人間しか達しない五十歳や六十歳などという年齢になるまで健全な計画を先延ばしにし、その歳になってやっと生を始めようと思うとは、死すべき身であることを失念した、何とも愚かな忘れやすさであろう。
人はいつか必ず死ぬ、だから人生は短い。後悔しないため、何事も後回しにしないように生きていこう。
