飲み会が嫌いなのではなく、ムラ社会の儀式が嫌いなだけ
近年「飲み会が嫌い」という人が増えていると思う。酒が強くないことも理由のひとつかもしれないけれど、本質的な理由は「飲食」ではなくて「人間関係」だろう。
それについては僕も同じで、あまり飲み会は好きではない。会社の飲み会なんかはその典型で、ぬるくなったビールの炭酸が抜けていく様を眺めながら「はやく終わんないかなー」と思っているあの時間は苦痛以外の何ものでもない。時間とお金を掛けておいて、疲れるしつまらない。家でひとりで本を読んだほうが有意義な時間が過ごせると思う。
しかし僕が生まれる少し前の時代の日本では、どうやら少し様子が違ったらしい。アサヒスーパードライが発売され大人気になったのが1987年のことで、当時の日本は高度経済成長期の真っただ中にあり、世界で最も豊かな国になりつつあった。
その時は大半の日本人が「今日より明日が豊かになっている」と思うことができる時代であり、「努力は報われる」と思えば本当に報われる時代だったのだ。企業の成長と終身雇用制度、年金による安心感は大きな成果に貢献した。
そんな当時の「会社の飲み会」では、みんなが「今日より明日が豊かになっている」と思いながら夢と希望を語って一緒にビールを飲んでいたのだと思う。
しかし、ご存じの通り日本のバブルは弾け、その後30年にわたる右肩下がりのデフレ時代が始まる。飲み会での話題も上司や同僚の悪口と将来への不安が増えていく。そんな状況を変えようと上司が部下を搔き立てるべく、飲みの席で弁舌を振るうも「努力が報われない時代」に語られる努力の意義は若者に伝わることもなく、まるっきり逆効果に終わる。パワハラやセクハラやアルハラといった言葉もたくさん生まれてきた。
こうして「飲み会が嫌い」な若者が大量生産されることになった。僕も含めて希望のある会社の飲み会をあまり経験していない世代だ。
さて、一方で僕は酒を飲むことは好きで、禁酒を意識しながらも、よくひとりで飲みにいくことが多い。ふらっと立ち飲み屋に入って店内の光景を眺めつつ、酒を飲んで一日を終えることがこのうえなく好きだ。
こういった空間では個人が自分の時間を楽しみながら、日々の疲れやストレスから解放されてリラックスしたひと時を過ごしている。地元のお客さんもいれば出張を機に訪れたお客さんもいて、ひと時のコミュニティが形成されている様子も楽しい。色々な人々の人生が垣間見れるのだ。
こうして考えると「会社の飲み会」はいわゆる伝統的なムラ社会の儀式の様なものであり、それを窮屈に感じてしまう僕のような人間はそこさえ抜け出せば飲食を自由に楽しむことができる。
つまり「飲み会が嫌い」という若い人は、要するに窮屈なムラ社会の儀式に無理やり参加させられているのが嫌なだけだと思う。
「飲み会が嫌い」な友人がいたとしても、その人の個人の自由を尊重しながら一緒に楽しめる環境を探してあげれば、楽しく飲みに行けるのではないか。
