情けないロールモデル|アル中おじさん
母の親戚にアル中のおじさんがいたらしい。と言っても、誰かに迷惑をかけるような存在ではなく、いつも酔っ払っているめんどくさいおじさんといった程度のことのようだ。
なぜこの話を聞くことになったのかと言うと、それは僕が闘病をしていた時のことで、何気なく母が話をしてくれたからだ。
その話を聞いたのは、僕が23歳の頃に胃がんに罹ってしまい、その闘病をしていた時のことである。胃を全摘出したため、一命を取り留めたにも関わらず、普段の生活では何も食べることができないくらい少食になってしまった。
もちろん辛い思いをしていて、当然の様に明るい未来など思い描くことができなかった。がんに罹ったわけだから、酒もたばこも辞めている。暗い気持ちを発散する嗜好品さえも手放してしまったのだ。
だから母親は何か励ますべく声を掛けようと思ったのだろう。胃がん患者のロールモデルとして、親戚のおじさんのエピソードを話してくれたのだ。そのおじさんは胃を全摘出していて、毎日のように酒を飲んで酔っ払っていたという。
「昔おばあさんの家に○○さんっていうおじさんがいて、いつも酔っ払ってて酒臭くてめんどくさいなぁと思ってたんだよ。」
「でもおばあさんに話を聞いたら、そのおじさんは胃がんに罹っちゃってたんだって。それでお前と同じように胃を全摘出したんだってよ。それから治療が終わって元気になったと思ったら酒を飲むようになったらしい。」
「だからお前もそのうちご飯どころか酒だって飲めるようになると思うよ。変な話だけどね。」
記憶を辿るとこんな感じの話だったと思う。変な話だが、当時の僕はとても勇気づけられたことを覚えている。
病気を乗り越えた美談は世の中にたくさんあるが、メディアが報じるエピソードはどれも華々しいものばかりで、あまりピンと来ないものが多い。病気を乗り越えて起業したり、余命がわずかななか恋人と愛を分かち合ったりするが、実際はそんな気力も体力もない状態で孤独なのだ。
だから、「アル中のおじさん」は僕の中でひとつのロールモデルになった。会ったことはないが。
そして、抗がん剤治療を終えた僕は酒を飲むことにもチャレンジし、無事に飲酒ができることを確認した。ビールは炭酸がお腹を膨らせるため、病院からは日本酒を勧められていた。これにより日本酒の味を知ったのである。
僕は今も日本酒が大好きで毎晩のように飲むようになってしまっている。翌朝に後悔することも多く、意識的に禁酒をしないと休肝日がなくなってしまうため、時々ブレーキをかけている。
若い頃にがんを経験した僕の価値観には「せっかく生き延びた人生だから、毎日を大切に生きたい」という全うな考え方がある。
しかし、その毎日も酒を飲むことで無駄に消化している時間が多く、シラフだったらもっと時間を有効に使えたのに酔っ払ってしまったと後悔することが多い。
皮肉なことに、当時の僕に勇気を与えてくれたロールモデルである「アル中のおじさん」に僕自身が近づいてきている。下戸だったらもっと有意義に時間を使えていたのに。
ロールモデルを間違えてしまったのは言うまでもないけれど、まぁ生きててよかったからいいか、と思う様にしている。
