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玄米とハンバーガー|食事と人間関係について

僕はジャンクフードが好きでマクドナルドをよく食べているが、それを話すと人によっては「身体に悪い」といった反応が返ってくることがある。とはいえ、否定されているわけではなくて僕の健康を心配してくれてのことだったりもするから、嬉しい思いもあって複雑な気持ちになる。

僕はそもそもマクドナルドのハンバーガーを身体に悪いと思っていない。肥満体国であるアメリカの象徴的存在であることから、やむを得ないとも思うけれど、マクドナルドが身体に悪いことを調査したデータをもとに「マクドナルドは身体に悪い」と言っている人は少ないと思う。イメージでものを言っている人が大半なはずだ。だから今日も明日も朝マックに向かうことになるのだ。

そんな僕も、実は今までに断食も経験したことがあるし、菜食主義生活も経験したし、酒ばっかり飲んでいた時期もある。一般的なイメージで見た健康的な食生活から不健康なジャンクフードまで、端から端まで一応経験している。

断食をしている時は、食事をしている人を見るとダラダラと怠けているように見えてくる。菜食主義生活をしていると、肉を食べている人が汚らしく見えてくる。シラフの時に酔っぱらっている人を見ると、幼稚で浅はかに見える。実は食事というのは、その人の印象に大きな影響を与えていることがよくわかった。

僕が食事に対してこんなにも思想を巡らしているのには訳がある。23歳の時に胃がんになってしまい胃を全摘出し、それ以来、食事をすることに多大な苦労を要していたのだ。

胃を全摘出していると、当然だが食事をすることができない。食事ができないと友人と食事にも行きづらいし、職場のランチや飲み会に参加するのも難しくなる。人間関係は希薄になってくる。

そんな暮らしをしていた僕は健康的な暮らしを思案し、栄養素を調べて身体に負担の少ない食べ物を探し求めていた。しかし、結局のところ薬を飲むこと以上の効果が得られる食べ物は見つからなかったことが印象的である。

そんなモヤモヤとしていた時に、内田樹の『待場のアメリカ論』に掲載されている「ジャンクで何か問題でも?」というエッセイを読んで慧眼することとなる。

本書では、スローフードの思想が広まっていく背景とその影響について書かれている。添加物を摂取することなく、オーガニックな食生活をしようという考え方だ。

著者の内田樹も、過去に「玄米生活」をしたことがあるらしく、肉類を一切食べないスローフード生活を経験済みらしい。

その時は身体に不純物が混じることなくクリアになった感覚があったらしい。しかし、その一方でジャンクフードを始めとする、非スローフードを食べている人達を「ゴミを食べている」ように見えるようになってしまったという。

それにより、ゴミを食べているように見えている友人には「そういうものは食べない方がいいよ」という説教口調になって接してしまい、当然のことながら友人たちから煙たがられて孤立することとなってしまった。

内田樹先生はこの経験をもとに「スローフードもジャンクフードも自由に食べてよろしい。どっちも美味しいし」という寛容なスタンスを採用することとしたらしい。

当時、胃を全摘出して食生活の何たるかに悩んでいた僕はこれを読んでグッと気が楽になったことを覚えている。それと同時に健康よりも大切なものに気づくことができた気がする。

先日、職場の若い社員と飲みに行ったとき、彼がこんな話をしていた。彼は彼女と同棲しているが、毎日の様に酒を飲んでいるらしい。そして食事については変わった方式を採用しているらしく、お互いが好きなものを別々に食べているというのだ。

彼曰く、相手の選択の自由をお互いに尊重しているのだという。「相手の健康を嘘くさく気ぃ遣うよりも優しくないっすか?」と言っていた。確かにそうかもしれない。

自分は健康でありたい、しかし友達や恋人は欲しい。そして友達にも恋人にも健康であって欲しい。

更に言えばみんな一緒に美味しい食事をしながらみんなが健康でいれたらいい。これはなかなか叶うものではない。

食とイデオロギー、自由と人間関係は難しいものだと思う。

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