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膝をゆるめ前傾して母指球で進む

飛脚は、踵を地に預けなかった。

草鞋の底は薄く、大地は硬い。それでも彼らは一日に幾十里を駆け抜けた。種を明かせば、足裏の使い方ひとつである。踵からどしんと落ちるのではなく、母指球のあたりから静かに触れる。わずかに浮いた踵は、足首・膝・股関節という三つの関節を連ねたクッションへと、衝撃をやわらかく受け渡していく。上体をわずかに前へ預ければ、倒れかかる力さえ推進力に変わる。地面を蹴るのではない。前へ滑り込ませるのだ。

これは、筋肉で稼ぐ走法ではない。骨で立つ走法である。腰骨が真っ直ぐに立てば、大腰筋という体幹の奥の筋が働き出し、表層の筋肉に頼らずとも歩みは進む。乳酸に追われることなく、幾十キロを行けたのは、疲れない構造を選び取っていたからにほかならない。

さて、ここで問わねばならぬことがある。厚生労働省をはじめ、現代のウォーキング指導の多くが説く「踵から着地し、爪先で蹴り出す」歩法は、これとまったく逆を行く。踵を地面に突き刺すその一歩は、進行方向に対する強烈なブレーキであり、その衝撃は踵骨から脛骨、膝・股関節、骨盤、脊椎へと、いなされることなく突き抜けていく。

ここが今日の核心である。

この矛盾は、歩法そのものの優劣ではなく、「何を履いているか」という前提の違いから生じている。 現代の推奨する歩き方は、厚底のクッションを備えた靴があってはじめて成り立つ歩法だ。靴が衝撃を肩代わりしてくれるという前提のもと、行政は「歩幅を広げて有酸素運動の効率を上げる」ことを優先する。歩幅を広げれば、足は自然と前に投げ出され、踵から着地せざるを得なくなる。それは万人向けの、手っ取り早い運動処方としては理にかなっている。しかし、靴の性能に頼ることと引き換えに、現代人は骨格と関節をサスペンションとして使う能力そのものを退化させてしまった。 膝や股関節を痛める者が絶えないのは、この退化と無縁ではないだろう。

飛脚の知恵、そして坐道™が伝えようとする身体操作は、これとは根本から異なる。首筋を立て、背筋を伸ばし、腰骨を立てたまま、みぞおちから前へ重心を送る。足は投げ出されるのではなく、体の真下に静かに降りる。地面は蹴るものではなく、後ろへ送り出すものにすぎない。

靴という文明の恩恵を否定するつもりはない。ただ、その恩恵に寄りかかりすぎたとき、人は自らの骨で立つ術を忘れる。踵を強く突き立てるのではなく、骨盤と関節の連動によって歩む——それこそが、一生を痛みなく歩き通すための、真に理にかなった歩法である。 飛脚が薄い草鞋で証明して見せたこの知恵は、厚底の靴に守られた現代の足にも、なお静かに語りかけているように思う。

現代のベアフット・ランニングとの共通点

近年、あえてクッションのない薄い靴で走る「ベアフット(裸足)ランニング」や、アフリカの長距離選手が見せる「フォアフット(前足部)着地」が注目されていますが、飛脚の走り方はまさにこれの先駆けです。

つまり「かかとをつけない」というのは、単につま先立ちで跳ねていたわけではなく、「地面からの衝撃をいなし、重力を味方につけて、最も疲れない姿勢を維持するための知恵」だったと言えます。薄い草鞋だけで何十キロも走り抜くための、驚くべき身体の合理化ですね。

Gemini

膝緩め
草鞋を履いて
夏の道





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