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「知る」ことは、満たすことにつながるのではないか論

コロナ禍。リモートワークで仕事をしつつも、一人暮らしで孤独だった。そんなときに知人づてで知ったのがソーシャルアパートメント。ここならいろんな人とコミュニケーションを取れそう。問い合わせて2週間後には入居の契約を済ませていました。

会社員退職後。フリーランスになって、右も左も分からず困惑して、それでも何か動かなきゃ!と、これも知人づてで新たなコミュニティに入った。結果、自分の強みを仕事にすることができた。マーブルコミュニティ・酒小町は、いまのわたしを形成する大切なパーツです。

そして今度は、ソーシャルアパートメントを退去予定です。今のところ出社があるので、コミュニケーションに飢えてはいないけど、はてさて今後どうなるかは分からない。わたしがいちばん分からない。

でも、近年のあれこれを振り返って思うのは、選択肢・やり方・新たな場所や人を「知る」ことは、回り回って自分を満たすことになるんじゃないか?ということなんです。

仕事においては割と独断自力でやっていた部分があったけど、人と組んだり、上手く咲けそうな場所を目がけて自分から置かれにいくと、いつもより遠く向こうの景色をチラッと見ることもできた。それは、他人との足し算掛け算で仕事をすることを「知った」から。

ちょっと別の角度から話すと、苦手なこともたくさん知りました。私の場合致命傷なのが夜更かし&大人数。ソーシャルアパートメント向いてないねえ!!

でも、入居するまではこのことすらちゃんと自分のなかで致命傷として認識していなかった。「知らなかった」のよね。だから、凸凹を知ったうえで自分の安寧の軸を探して見つけたことも、結果的には満たすことに繋がったんじゃないかと。

もちろん知らなくていいこと、知らない方が幸せなこともあるよね。自分に対する他人の評価はどこまで追いかけても無限に広がるし。

だから、一概に「全て知りたい!!!」ということでもないんだけど。わたしの場合は「知る」という、俺なりの咀嚼フローを通すことで、腹落ち度が格段に上がるのではないだろうか。

というね、久しぶりにちょっと哲学風味の浅瀬ようなことを帰り道に書かせてもろて。

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