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drop11 | 「共に在る」ために

誰かの痛みに触れたとき
わたしたちは無意識に
「かわいそう」と
口にしてしまうことがあります。

その言葉は、同情や心配
寄り添おうとする気持ちから
出るものかもしれません。
けれど同時に
「かわいそう」と語ることで
知らず知らずのうちに
自分とその人との間に
線を引いてしまっていることがあるのです。

「支援が必要な人」と「支援する人」
その境界は
本当に明確なものでしょうか?

一見、立場は分かれているように見えても
実際には
誰もがどこかで弱さを抱えていて
時に誰かの言葉や存在に救われながら
日々を生きています。

わたし自身も、過去の経験から
支援を“受ける側”にいたことがあります。
「守ってもらいたかった」と思う瞬間が
何度もありました。
けれど
それを口にすることすら
難しく感じるとき
「自分は助けられる側でしかない」と
思い込んでしまう苦しさがありました。

逆に、いまは支援する立場として
誰かに言葉を届けたり
プロジェクトを続けたりしていますが
実のところ、この活動が
わたし自身を救ってくれている
側面も大きいのです。

「助ける/助けられる」という
構造のままでは
その人の背景や想いに触れる前に
役割が固定されてしまう。
まるで
人生のステージが
違うかのように扱われてしまう。

でも実際は
その境界線はもっとあいまいで
流動的なものだと思うのです。
昨日までは「支えられていた人」が
今日には誰かの支えに
なっていることだってある。
その逆もまた
当然のように起こり得ること。

だからこそ
わたしは「共に在る」という視点を
大切にしたいと思っています。

「わたしにはなにもできない」と思う人が
誰かのnoteに心を寄せることだって
立派な支援です。
「たまたま気になって読んでみた」
という小さな関心も
それ自体が
誰かの生きる力になることがあります。

わたしたちは
立場や経験の有無ではなく
「心の共鳴」を通して
つながることができるはずです。



人雫-hitosizuku-というプロジェクトは
そうした
「共にある支援」のかたちを探しながら
声にならなかった痛みに
光を当てようとしています。

支援とは
特別な人がする“すごいこと”ではなく
日常の中で
小さく差し出すことのできる
想いなのかもしれません。


この文章は
人雫-hitosizuku-という
プロジェクトの中で
感じたことを言葉にしたものです。

同じような気持ちを抱えてきた方に
届いてくれたら嬉しいです。

人雫-hitosizuku-では
ひとつぶの涙に、ひとつぶの優しさを。
この言葉を胸に
全国女性シェルターネットへの
寄付活動
を行っています。

活動の詳細はこちら。


また
このプロジェクトに
ご支援くださった方のnoteを
感謝の気持ちを込めて
ご紹介させていただいています。

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静かに広がっていくために。
ご関心をお寄せいただき
見守っていただけましたら幸いです。



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