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「夢も理想も、なくたって大丈夫」

私は学生時代、夢を目の敵にして生きていました。

それは夢を持ったことで笑われ、夢を捨てたことで怒られたという「矛盾」を経験したからなのですが、今では、夢を持っています。

ただ、「皆も夢を持ってほしい!」とは、全く思いません。

思いつかない時は思いつかないものだから。

そしてそれが「悪い」なんてこと、微塵も無いのだから。

今日のテーマは「夢」について。

「夢が無くてもいいよ」って言ってくれる人が欲しかった私が、そのことに触れてみようと思います。


夢を持って笑われ、夢を捨てて怒られた経験

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小学生の頃、私は父の知り合いが集まる場で「夢はなに?」と聞かれたことがあります。

なので「漫画家です」と素直に伝えたのですが、私の後ろから何人もの大人がクスクスと笑う声が聞こえました。

「夢を持つことって、恥ずかしい事なんだ」

そう感じた私は、夢を持つことを止めたんです。

それからずっと先の、高校3年生の頃。

私は受験に失敗し、父の知り合いでカウンセラーのような仕事をしている方の元を訪れていました。

その人に「夢はなに?」と聞かれた私が「ありません」と答えると、「ダメじゃないか。夢を持って、そこに向かって進まなくては」と怒られたんです。

大学受験に失敗していたこと、過去に夢を持って笑われたこと、色々な感情が湧いてきて、思わずその場で号泣しました。


夢は「高級ブランドのアクセサリー」のような存在でした

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あの日から更に月日は経ち、私はまた、夢を持っています。

「持ちなさい」と言われたから持ったわけでも、「持たなくちゃいけない」と思ったわけでもありません。

ただ自然に「こうなりたい」「こうしたい」と感じる夢を持つようになったんです。

幼いころの私、学生時代の私にとっての夢は、「持つべきもの」「持つことが推奨されているもの」でした。

自分の意思とは関係なく、持っていることが「素晴らしい!」というイメージだったんです。

でも、そんなの幻想だったなって、今は思います。

本当は夢ってもっと自由で、自然で、人によってはあってもなくても大丈夫なものだと思うんです。

昔の私にとっての夢はまるで「高級ブランドのアクセサリー」みたいなものでしたが、今はまるで「雲」のような、「月明り」のような、ふわふわしているけど、はっきりと道しるべになってくれる存在になりました。


「夢も理想も、なくたって大丈夫」

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食べ物が無かったら困りますが、夢や理想はそういうものじゃありません。

他の人が夢や理想を持っていると「いいなあ」「私も欲しいなあ」なんて思ったこともありましたが、それは私にとって夢が「高級ブランドのアクセサリー」のようなものだったから。

「すごい人」「キラキラ輝いている人」に見られたかったんです。

「私、こんな夢を持っているんですよ!!」って、自慢したかったんです。

かつての私は人と自分を比べに比べて、劣っていると感じた部分をどうにか補おう、直そうと必死でした。

どうしても皆と同じになりたくて、だから夢さえも欲しがっていたんです。

あの頃の私に、「夢はアクセサリーじゃないよ」って言ってあげたいなと思います。

「なくたって困らないから、大丈夫だよ」って。


大切なのは「夢」よりも「いま」

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必死に夢をひねり出すことよりも、必死になって「皆と同じ」になろうとするよりも、大切なこと。

それは「いま」を大切に過ごすことだと思います。

「人生」と聞くと壮大に感じてしまうのですが、分解してみてみると「毎日」「24時間」「1時間」「1分」「1秒」…が繋がってできている。

夢はまだ形になっていなくて、いつか消えてしまうかもしれない儚いものですが、「いま」という時間は、いつも傍にあります。

そして、どんどん過ぎていって、戻ってきません。

人生という時間をどう使うかは、人によって本当に自由です。

自由に使って良いのなら、私は、「楽しい」「面白い」「幸せ」でいっぱいにしようと思っています。

夢が無くても、毎日を「楽しい」でいっぱいにすることは出来ます。

この時間を「面白く」することも出来ます。

今すぐに「幸せ」になることも、出来ます。


人生ってもっと、簡単なもの

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輝いている人が居ると、焦りました。

「私は、あんな風にはなれないのに…」って。

今は、自分のことだけ、自分が見える範囲のことだけしか見ないようにしています。

自分と比べてしまいそうな人は見ませんし、気持ちが焦るようなものを見つけたら、すぐに離れるようにしているんです。

焦って何かしても良いことは無いって、色々失敗して、学びました。

それよりも、思いきり自分のことにだけ集中して、自分がしたいと思ったことを、とにかくやりたいようにのびのび、自由にやらせてあげる。

そうしたら人生がとっても自由で楽しくなって、しかも、シンプルになっていきました。

何だか、私の中に居る好奇心旺盛な「わたし」という子供を、毎日好き勝手遊ばせているようなイメージです。


私の中に居る「わたし」を自由に遊ばせてあげる為に

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「わたし」という子供を存分に遊ばせてあげるために、

① 比べない(比べそうになったら、その対象となるものを遠ざけたりして、見ないようにする)
② 他人の目を気にしない(自分のことにだけ集中する)

ということを、いつも徹底してやっています。

私の中の「わたし」は子供のようなものなので、大人の私が「ダメ」と言ったら、落ち込んで、遊ぶことを止めてしまいます。

それは「楽しい」「面白い」などのワクワク感や、理由の無い直感をエネルギーに活動している私にとっては、毎日のnoteの更新を止めるとか、アクセサリーの制作や、作家活動コンサルタントとしての活動をやめることに繋がってしまう。

私の中の「わたし」はいつでも自由にさせてあげることが大切で、たとえ夢が無くても、それさえやっていれば人生をうんと楽しく出来ると思っています。

今日も私の中に居る「わたし」と、とっても自由に遊ぶことが出来ました。

今日の記事は、ここまで。

明日は、何をして遊ぼうかな。


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