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最近、ひとつ腑に落ちました。


夏本番になりましたね🌞

こんにちは、更科暁人です。


回送ドライバーという仕事をしていると、毎日のように初対面の方とお会いします。


納車先のお客様。

引き取り先の担当者さん。

会社の受付の方。

本当に、いろいろな方がいます。


こちらまで自然と笑顔になってしまうくらい愛嬌のある方もいれば、
必要最低限の会話だけで終わる方もいます。

もちろん、それだけで人を判断するつもりはありません。

私自身、人見知りなところもありますし、
疲れていれば愛想よく振る舞えない日だってあります。

だから、「愛嬌のある人が正しい」と言いたいわけではないんです。

でも先日、仕事である方とお会いした時、ふとこんなことを思いました。

「この人、なんだか少し冷たいなぁ~~。」って



違和感の正体


失礼な対応ではありません。

挨拶もしてくれます。

必要な説明もしてくれます。

言葉遣いも普通です。

それなのに、不思議と温度を感じない。

まるで、機械と会話をしているような感覚だけが残りました。

帰り道。

ハンドルを握りながら、

「何だったんだろうなぁ。」

そんなことを考えていました。

この仕事をしていると、ほんの一分、二分しか話さない相手もたくさんいます。

それでも、不思議なんです。

愛嬌のある方と話した日は、こちらまで気持ちよく仕事ができます。

逆に、事務的なやり取りだけで終わると、何か嫌なことを言われたわけでもないのに、少しだけ心に引っかかることがあります。


ほんの少しの笑顔。

ほんの少しの声のトーン。

人との距離って、それだけで変わるものなのかもしれません。



思い出した光景


そんなことを考えているうちに、なぜか子どもの頃のことを思い出しました。

家の電話が鳴ると、母や祖母の声が少し変わるんです。

「はい、〇〇です。」


誰?????って思うほど

普段の話し方とは、明らかに違う。

少し高くて、少し丁寧で、"よそ行き"の声でした。


家庭訪問の日もそうでした。

前の日になると玄関をきれいに掃いて、普段は買わないようなお菓子を用意していました。

当日になると、母は少しきれいな服に着替えて、どこか落ち着かない様子。

先生が来ると、家では見たことのないような表情になっていました。

座り方まで違って見えた気がします。


子どもの私は、

「先生って、そんなに偉い人なんだ。」

そんなことを思っていた記憶があります。

そして先生が帰ると、

「疲れた〜。」

そう言いながら、お茶を飲んでいた母。

その瞬間に、いつもの母に戻るんです。

今思えば、あれは相手への敬意だったのかもしれません。


誰にも教わっていない


考えてみると、

「初対面の人にはこう接しなさい。」

なんて、誰かに教えられた記憶はありません。

でも、

電話に出る母。

来客を迎える祖母。


家庭訪問の日の空気。

そんな姿を何度も見ているうちに、

人と接するときは、少しだけ自分を切り替えるものなんだと、自然に覚えていった気がします。


だから今でも、初対面の方と話す時は少しだけ声色が変わります。

柔らかく話そうとします。

意識しているというより、もう癖なんでしょうね。

暑いけど草木が青々していて
パワーもらえる気がします🌱

時代が変わったのか、自分が変わったのか


最近は固定電話のある家も少なくなりました。

家庭訪問も、今はもうないと聞いています。


人との接し方そのものも、昔とは少し変わってきたのかもしれません。

だから、最近仕事でいろいろな人と出会うたびに考えるんです。

愛嬌って、生まれつきの性格なんだろうか。

それとも、子どもの頃に見てきた大人の姿から、少しずつ身についていくものなんだろうか。


正解は分かりません。

でも私は、人との距離を少し縮めてくれるのは、大げさな会話でも特別な話術でもなく、


「おはようございます。」

その一言に乗る笑顔や声の温度なんじゃないかと思っています。


昔のやり方が正しいと言いたいわけではありません。


昔のやり方が正しいと言いたいわけではありません。

今の人が冷たいと言いたいわけでもありません。


もしかしたら今の子どもたちは、私たちとは違う形で、人との接し方を覚えているのかもしれません。

SNSや動画、学校やアルバイト。


私たちとは違う景色の中で、人との距離感を学んでいるのでしょう。

だから、「昔は良かった」と言うつもりはありません。


ただ、回送の仕事で毎日のように初対面の方と接していると、改めて思うことがあります。

人の印象を決めるのは、長い会話ではありません。


ほんの少しの笑顔だったり。

「おはようございます。」の声のトーンだったり。

「お気をつけて。」の一言だったり。


たった数十秒しか話していないのに、その人の印象は、不思議なくらい心に残ります。

そんな小さな積み重ねが、


「感じのいい人だったな。」


という記憶になるのだと思います。

逆に言えば、私も誰かの記憶に残っているのかもしれません。


ぶっきらぼうな人だった。

感じのいい人だった。

話しやすい人だった。


人との出会いは、ほんの短い時間であっても、お互いの記憶の中に少しずつ積み重なっていくものなんですね。

だから私は、初対面の方とお会いするとき、ほんの少しだけ笑顔を意識しています。

それは営業テクニックでも、接客マナーでもありません。

子どもの頃、電話に出る母や祖母の姿を見ながら、いつの間にか身についたものです。


あの頃は、何気なく見ていた光景でした。


でも四十代になった今、あれは「人を大切にする姿勢」を、言葉ではなく背中で教えてくれていた時間だったのかもしれません。


愛嬌とは、生まれつきの才能ではなく、誰かを思いやる気持ちが、ほんの少し表に出た姿なのかもしれません。


そして、そんな人との接し方は、誰かに厳しく教えられるというより、身近な大人の何気ない姿を見ながら、少しずつ覚えていくものなのかもしれません。


私たちの何気ない振る舞いも、今どこかで、誰かに見られているのかもしれません。

愛嬌って、生まれつきのものなんでしょうか。

それとも、誰かの何気ない背中を見ながら、いつの間にか身についていくものなのでしょうか。


あなたが子どもの頃、"大人ってこうやって人と接するんだ"と感じた光景はありますか?


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