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東京との距離を変える

移住してきて、一年が経った。


東京勤務を続けながら、自分が壊れてしまわずに働き続けられる場所を考えた結果、新幹線通勤で新潟県の湯沢町に住んでいる。でも、なぜ湯沢に住むことにしたのか、私はまだうまく説明できずにいる。何かを前向きに選び取った、というほど軽やかな話でもなく、逃げたという言葉だけで片づくほど単純でもない。私にとってとても合理的な選択ではあるけれど、合理性だけで選んだわけでもない。


湯沢町は南北に長い新潟県の最南端の町で、群馬県と長野県に接している。接しているといっても県境は全部山だ。湯沢はその名の通り温泉地で、それ以上に有名なのは川端康成の小説『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という一節かもしれない。けれど今、湯沢と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、雪国の文学的なイメージよりも、いくつもあるスキー場と、バブル期に建てられたリゾートマンション群だと思う。負の遺産などと言われて、一時期はYouTubeでも、怖いもの見たさや興味本位でよく取り上げられていた。


私はそのリゾマンの一室を購入し、今そこに定住している。


世間で「負の遺産」と呼ばれる建築物が、私にとっては生活を立て直すための場所になったことも、たぶんこの選択を説明しづらくしている。価値があるから買った、資産性が高いから選んだ、という話ではない。むしろ不動産としての正しさだけで見れば、もっと別の判断がある。でも私が探していたのは、正しい物件というより、自分が壊れずに働き続けるための足場だった。


東京は好きだ。


美術館も、レストランも、気になるお店も、仕事の機会も、人の多さから生まれる熱量も、東京にはたくさんある。東京でしか見られないもの、東京だから触れられるものがある。私はそれを嫌いになったわけではない。むしろ、今でも東京に行けば刺激を受けるし、面白いものに出会うし、自分がまだ社会の中にいることを感じる。



でも、東京に住むことと、東京に関わることについて、私は考え直さなければならなかった。


東京は便利で、密度が高くて、何でもある。けれどそのぶん、逃げ場が少ない。人の多さ、建物の近さ、電車の混雑、匂い。強迫性障害と共存している私の身体と感覚にとって、東京はあまりにも過酷な環境だった。

それでもやっぱり私は、東京から完全に離れたいわけではない。仕事を辞めて、社会との接点を切って、山の中で静かに暮らしたかったわけでもない。東京にあるものに触れ続けたいし、仕事も続けたいし、自分の役割や収入や責任を全部手放したいわけでもない。だから必要だったのは、東京を捨てることではなく、東京との距離を変えることだった。

湯沢に住み、数日おきに新幹線で東京へ通う生活は、少し変則的ではあるけれど、そのための答えだった。少なくとも今はまだ、東京から完全に離れ、降りたくはない。東京にいて24時間消耗するのではなく、必要なときに東京へ行き、終わったら山のある場所へ戻る。その往復によって、私はかろうじて、働くことと回復することを、同じ生活の中でやれるようになった。


湯沢に帰ってくると、駅を出た瞬間に空気が変わる。匂いが違う。


雪が降り積もる時期の湿った冷たさ、春先の土と草の匂い、初夏の濃い緑、雨の日に山にかかる雲、赤や橙にまだらに染まる山肌。
湯沢の一番良い季節は、春と初夏の間、だと思う。この季節、スキー場の斜面には、冬のあいだ人が滑っていた場所に、怖いくらいの勢いで草が伸びる。草の間を、野ウサギが跳ねる。毎日少しずつ違うグリーンノートの、香りのシャワーを浴びる。夜になると山は黒く沈み、田んぼのほうから蛙の声が聞こえる。大学進学と同時に家を出るまで、実家のある街で感じていた空気に、よく似ている。
東京にいると、季節は人々の格好やカレンダーで知るものだった。でも湯沢では、もっと直接、季節が身体に入ってくる。それは単なる癒しというより、現実に戻るための感覚に近い。

東京で生活していると、私は自分が大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか、判断がつかなくなる。人の流れに合わせ、電車に乗り、匂いを避け、仕事をし、必要なことをこなすうちに、身体の反応を後回しにする。大丈夫かどうかを考える余裕がなくなる。そうしているうちに、自分の身体が何を嫌がっていて、何に安心しているのかが、少しずつ分からなくなる。

湯沢の空気は、その感覚を戻してくれる。緑の匂いがする、今日は湿度が高い、山に雲がかかっている、草が伸びている、雪が近い。そういう細かい変化に気づくことで、私はようやく、自分が大丈夫でいられる場所に戻ってきたのだと思える。だから湯沢は、東京から逃げるためだけの場所ではない。東京に戻るために、自分の感覚を回復させる場所なのだ。


ただ、この生活には申し訳なさもある。


それは、会社の人たちと違う働き方をしていることへの後ろめたさとは違うものだ。私が感じているのは、地域に対して分かりやすく貢献できていないことへの申し訳なさに近い。地方移住の文脈で歓迎されやすいのはたぶん、地域に根を張ろうとする人だ。地元で働く人、子育てをする人、お店を開く人、雇用を生む人、あるいは少なくとも「この町を盛り上げたい」と明るく語れる人。移住者はしばしば、地域の未来に貢献する存在として語られる。でも私は、そういう分かりやすい移住者ではない。

湯沢に住民票を置き、年齢的にはまだ、地方が求める“若さ”があっても、仕事は東京にある。新幹線で東京へ行き、収入も役割も、社会との主な接点も東京側に残している。湯沢で起業したわけでも、地元の仕事に就いたわけでも、町を活性化したいという大きな目的を持って来たわけでもない。私はこの町を利用している、と言えばそうなのかもしれない。東京で働き続けるために、湯沢の空気や山や静けさを必要としている。ここに、申し訳なさがある。


それでも私は、ここに住んでいる。


その申し訳なさを消すことはできない。でも、地域にとって分かりやすく役に立てないからといって、ここで生き延びていることまで、自分で小さく見積もらなくていい気がしている。私はこの町の未来を大きく変えるような存在ではない。けれど、ここで寝起きし、駅まで歩き、スーパーで買い物をし、税金を支払い、季節の匂いを覚え、山の変化を見ている。観光客として通り過ぎているわけでも、非日常のためだけに訪れているわけでもない。

少なくとも私にとって湯沢はもう、生活の場所になっている。


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