『地には平和を』における二つの錯綜と戦後日本への歪なまなざし
小松左京の処女作『地には平和を』は、以降の小松が扱ったテーマがその内部で混沌と並びつつ、同時に奇妙なバランスで一つの作品としてハーモニーを奏でている。『日本沈没』などに至る、戦中派として戦時と戦後社会の狭間に取り残されたことによる「あの戦争は何だったのか、この国とは、我々日本人とは何なのか」という問い。『果てしなき流れの果に』や『こちらニッポン』へ至る時間改変・世界改変というタイムマシンもの的SF。見方によっては、舞台設定の次元では『日本沈没』や『首都消失』に至る、ポリティカル・フィクションの片鱗も垣間見える。
小松自身の戦争体験、戦後というものとの折り合い、後年出版された林房雄『大東亜戦争肯定論』のような論理への反発、といった問題が、この作品を読むと最も重要なテーマとして浮かびあがってくるだろう。その点において、作中の狂気に駆られた科学者キタ博士の言葉の数々、
全人類が、自己のうち出した悲惨さの前に、恐れをなして中途で眼をつぶってしまったのだ。もうたえられないと思って、中途で妥協したのだ──日本の場合、終戦の詔勅一本で、突然お手あげした。その結果、戦後かれらが手に入れたものは何だったか? 二十年をまたずして空文化してしまった平和憲法だ!
そんなことなら、日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。どうせそれまでさんざん悲惨さを味って来たのだ。焦土作戦の犠牲をはらうくらい、五十歩百歩だったじゃないか。日本という国は、完全にほろんでしまってもよかった。
これらは小松の内面にある屈折した戦後への感情のように感じられる。小松の場合、学徒動員により戦争へ巻き込まれ、自身も特攻や本土決戦で死ぬのだろうと考えていたなかで、突如として外部から平和がもたらされた。このような将来の展望に対する唐突な外発的転換は、小松のみならず、戦後を生きた者たちに共通する衝撃を与えた出来事であろう。
戦争は終わり、民主主義や平和憲法を与えられ、アメリカの庇護下での自由を胸いっぱいに吸い込む。そして後には近代日本史上空前の経済的繁栄を謳歌する。しかし小松はなぜ、このような「バラ色の未来」とも思える”戦後”に屈折した感情を抱き、この作品で描いて見せたのか。
ここにキタ博士の言葉がもつ「迫力」を感じる余地が発覚する。
戦後に獲得したが、無意味なものであるかのように述べられている「二十年を待たずして空文化してしまった平和憲法」とはいったいどういう意味なのだろうか。戦後の復興に合わせて進行した、警察予備隊~自衛隊創設へ至る「再軍備」とその後にある「60年安保」をめぐる一大騒動のこと、そう考えるのが無難な解釈であろう。
しかし、そうも一般的な解釈でいいのだろうか。平和憲法のくだりに続く言葉「そんなことなら、日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。」と続けて理解を試みた場合、戦後史に対する一般的な批判の視点とは異なる視点が提示されるのではないだろうか。
ここでもまた、この作品の早熟さから生じる、錯綜の性格が顔を覗かせる。「空文化してしまった平和憲法」という言葉に続いて「もっと確実なものをつかみあげるべきだった」とあれば、一般的な戦後平和主義の文脈から、小松が同じ流れに乗り戦後の安全保障政策に対する批判を行っていると解釈するのが確かに無難かもしれない。
しかし、小松はそのような無難、ある種チープな問いのためにこの錯綜したエッセンス的作品を残した、そう理解するのが果たしてよいことなのか、私はそうは思わない。
ここで改めて錯綜する他の視線を顧みるべきだろう。それは時空改変をするキタ博士と対峙する時間管理庁の観点だ。彼らは一般的なSF作品におけるタイム・パトロールの役であり、キタ博士が生み出した異なる歴史を持つパラレルワールドを、現実史の世界に「収斂」させる役回りだ。時間管理庁の職員たちは、その時彼らが辿ってきた歴史以外の歴史が生成され、その別の歴史を持つパラレルワールドにおける苦痛が現実史より悲惨であることについて、キタ博士の犯行を悪だと非難する。
当然のことだが、私たちは『地には平和を』の作品世界の外部から眺める旅行者であって、作品世界の住人ではない。しかしこの状況が、私たちをこの作品の錯綜に回収していく。後年の小松作品『こちらニッポン』では、世界からほとんどの人間が消失し、残された少数の人々がどこかへ結集しようとする動きを見せるなか、主人公格の男が、道中で漁った家の持ち主であるSF作家(おそらく小松左京と推測される)の脳内で生じているのがこの人間消失現象ではないか、と推理するというメタ的な演出で幕を落とす。
この『こちらニッポン』までには昇華していたメタ的な演出こそが、『地には平和を』の錯綜の要素として、テーマの錯綜に並び現れている、場面の錯綜として横たわっており我々を混乱させるのだ。
つまりこの作品におけるキタ博士への倫理的非難は、多元的な認識のなかで宙づりになっている。そのために最後の場面、康夫が黒桜隊の襟章を持った瞬間「奇妙な冷たい感情が意識の暗い片隅を吹きぬけた。陽がかげったように、周囲が暗くなったように見え、この美しい光景が、家族の行楽が、ここにいる彼自身、いや、彼をふくめて社会や、歴史や、その他一切合財が、この時代全体が、突如として色あせ、腐敗臭をはなち、おぞましく見えた。」と言わしめたのである。
つまりこの作品における場面展開、存在するはずのない黒桜隊の襟章の登場といった錯綜は、作者である小松自身が、キタ博士のように「最悪の結果からよりマシな学びを得るべきだ」という提示に対して、魅了されていた可能性だ。小松は自身の知る”平和”な戦後の中に、一瞬の抵抗としておぞましい民族滅亡の影を押し込み、康夫をして戦慄させるのである。
このような小松の態度は、『日本沈没』で日本列島という日本人の”母”を試しに奪ってしまえ、と物語を繰り広げた姿勢と重なる。きっと小松の中の屈折した戦後への感情は、もっとこっぴどい経験をするという道を否定できず、現実に体験する空虚な繁栄とありえたかもしれない破滅の末の過酷な再起の狭間で板挟みになっていたのではないだろうか。
戦後80年、反戦という理念が霞んでいるとも感じられる今、私たちは『地には平和を』の錯綜から立ち現れる小松の恐ろしい二択に対し、惨劇へ進む誘惑を突き返すだけの平和の論理、そして豊かな未来への意志を提示する覚悟と準備ができているだろうか。
