『ケンジ!』第31話:お花畑劇場とすりガラス ―俺ももう一人じゃないからさ―
「いなちゃん、俺さ、結婚する」
俺が演出する舞台の楽屋に、スーツ姿のケンジが現れた。
どうやらあいつにとって、ここは演劇の会場ではなく、自分のお花畑の発表会場らしい。
「俺も、もう一人じゃないからさ」と笑うケンジを見て、俺は少しだけ安心していた。
【穏やかな時間】
ケンジが仕事を始めた。
私は劇場に入った。
セットがほぼないので仕込みは、あっという間に終わった。
ただ、稲石さんと選んだアンティークのテーブルは、脚が鋳物製のライオンで異様に重たかった。
骨にヒビを入れていた頃と較べると、この頃の劇団は平和だった。
何が平和をもたらしたのかと言えば、ゆったりスペースと、時間の余裕、そして何よりも、私がカリカリしていないこと。
私は、演出家の仕事は、まず台本の世界があり、それを役者たちに自由に思い思いの方向へと広げて行ってもらい、そのバラバラで収拾がつかなくなる世界をギリギリのところで一つにまとめることだと思っている。役者に求めることはただ一つ。自由に世界を広げて欲しい。
しかし、実際の演出は長い間、駄目なものを隠したり、灰皿を投げたり、やればできるのにやらない役者たちとの格闘技だった。
稲石さんとタッグを組み、人を減らし、役者の平均点を跳ね上げてから、自分の思う演出もできるようになっていた。
それもこれも、私と稲石を掌の上で操る敏腕女プロデューサーのおかげだったのだと思う。
仕事が終わったケンジから電話が掛かって来た。
げっ!と思ったが、ただの「仕事行ってきたよ~ん」という報告だった。
携帯電話があるとしても、東京からも神戸からも一本の電話もよこさなかったケンジとは、そこも別人感があった。
ケイティ―にもマメに電話してるのかな?と、思った。
本番当日。
ケンジが劇場に現れた。
もちろん、スーツ着用である。それは良いのだが、ケンジはなぜか、妙ににやけながら、それでいて照れ臭そうにして楽屋に入って来た。
なんでモジモジしてんだ、こいつ?そう思ってみていると、ケンジはススーッと稲石さんに擦り寄った。
「いなちゃ~ん。」
「あ、けんちゃん。お久しぶりです。」
「いなちゃん、俺さ、結婚する。」
私がコケタ。
「あ、そうですってね。川村さんから聞いてますよ。」
「そうなんだ~、知ってたんだ~。」
それはそれはもう、デレッデレであった。
私はハタと気が付いた。
ケンジにとってのここは、演劇上演会場ではなく、自分の結婚?婚約?まあ、そのデレデレっぷりを自慢する会場に成っているんだと。
お花畑劇場へようこそ・・・。
これ、チケットをもぎりながら、見ず知らずのお客さんたちにも、
「いらっしゃい!俺、結婚するんですよ。フィリピンで結婚式するんです。」
などと言いだすのではないかと心配になった。
みんな、気を付けろ、こいつと目が合うとフィリピンパブに連れて行かれるぞ。とも思った。
公演二日目。
小屋入りしたのでスタッフを周っていると、
「あ、おはようございます。そう言えば、けんちゃん、結婚するんだってね、おめでとう。」
なんてことを、皆に言われた。
照明室でも、音響室でも、受付でも、舞台上でも、もはや「ケンジが結婚する」ということを知らない者はいなかった。
「いや、そう言うわけじゃなくて、まだ決まったわけじゃなくて、あいつが一人で思い込んでる・・・」
なんて説明は、する気にもならなかったので、脱力しながら放置した。
公演も無事終わり打ち上げ。
これはもしかすると、花嫁のいない結婚式の二次会か?
稲石さんを除けば、誰も事情は知らない。ケンジの本当の恐ろしさも知らない。
「結婚する」と言われれば、「おめでとう」と言うことになる。
さすがに、「ケンちゃん、けっこうおめでとう!カンパ~イ!イエ~!」というところまではいかなかったが、一歩手前だったと思う。
私は私で、仲間に囲まれ、ケンジが幸せそうな顔をしているのを見るのは悪い気分ではなかったのだ。
今が絶頂なのかもしれないが、それはそれでいいと。
芝居が終わって三日目くらいの夜、事務所でボーっとしていると、仕事帰りのケンジが現れた。
「おう、お疲れ。手伝いもありがとな。」
「昨日、いなちゃんと行って来た。」
ケンジがニカ―ッと笑った。
「稲石は、あの店、何回も行ってるからな。面白かった?」
「もちろん。」
「仕事は順調?」
「当然。もうバリバリ。社長がさあ、俺を社長の息子の片腕にしたいだとか言ってるらしい。」
「ほう。それは凄いじゃん。変わったなあ、おまえも。」
「へへ、本気出せばこんなもんだって。」
少し、ケンジが疲れた顔をしているように見えた。
それは、まあ、仕事帰りなら疲れていても不思議ではない。
「おまえ、疲れてる?」
「いや、ぜんぜん。めちゃめちゃ元気。」
ケンジは手を振りわざと大袈裟に否定した。
「そう?それならいいんだけどさ、ほどほどにな。体壊したらお終いだからな。」
「わかってるって。俺も、もう一人じゃないからさ。」
私は吹き出した。
「よく言えるな、そんなセリフ。」
「だって、本当にそうだから。」
私は、自分がケンジを普通の社会人だと思い話をしていることに気付き驚いた。
ケイティ―とのことは、このまま押して押して押しまくればそのうち答えが出るだろう。
ダメでも元には戻らないんじゃないかという気も少しした。
そのうち私が「のぶちゃん、良い加減に落ち着いて、しっかりしろよ」などとケンジに叱られる日が来るのだろうか?と、想像したら何だか笑えた。
【すりガラス】
翌日の午後、顧客の所へ行くためにのんびりと埠頭の工場街を車で走っていると携帯が鳴った。
母からだったので電話に出た。
「のぶちゃん今、どこ?」
「車。」
「じゃあ、まず、車を停めて、すぐに。どこでもいいから。」
様子がおかしい。
私はコンテナ置き場の路肩に車を停めた。
「停まったよ。」
私が言うと、母は、
「あのね、びっくりしないでね、ちゃんと聞いてね。」
慎重に話し始めた。
「聞いてる。大丈夫。」
「あのね、あのね、ケンちゃんが死んじゃったの・・・。」
電話の向こうの母が、ワンワンと泣き始めた。
意味がわからなかった。
「今朝、仕事中に、フォークリフトの下敷きになっちゃったんだって・・・。」
「は?」
「死んじゃったのよ。ケンちゃんが、死んじゃったのよ・・・。」
泣き声で何を言っているのか、何かを言い続けているのかわからなかったが、それだけはわかった。
「冗談だろ?」
「こ、こんなこと冗談で言えるわけないでしょ!・・・。」
母は泣き続けていた。
「とにかく、すぐにケンちゃんとところに行ってあげて・・・。」
泣きながら母は電話を切った。
頭の中は真っ白だった。
何が何だかわからなかった。
そんなはずがない。絶対に冗談だ。
でも、母は泣いていた・・・。
急に涙が溢れてきた。それまで一度も経験したことがないほど大量に吹き出して来た。
瞬きをすると、世界が全部、すりガラス越しにぼやけた。
絶対、嘘だ・・・
誰か、いや、ケンジの悪ふざけだ・・・
ケンジの家に行けば、ケンジは必ず「のぶちゃ~ん」と言いながら出てくるはずだ。
私は、涙を拭い、車を走らせた。
どこをどう通って事務所に辿り着いたのか、まったくわからない。
ケンジが死んだ・・・。
意味は理解できたが、とても現実だとは思えなかった。
「絶対、死んでない。ケンジが死ぬわけがない。ケンジだもん。ケンジは殺しても死なないって。」
そんなことを考えながら、ケンジの家の扉を開けると、その頃には玄関先まで増築されていた新しい和室に布団が敷かれていた。
誰か寝ている。白い布を被せられて寝ている。
一徹親父が駆け寄って来た。
「のぶちゃん・・・、ケンジが・・・。」
「これ、ケンジ?」
「ああ、早く顔見てやってくれ。」
布団に近寄り、ブワッと乱暴にしろ布をめくると、そこにケンジがいた。
「フォークリフトの下敷きになっちまってな・・・、即死だったってよ・・・。」
圧死だったので、ケンジの顔はまだパンパンに浮腫んでいた。
「こんな、誰だかわからない顔になっちまってよ・・・。」
一徹親父が泣き出した。
「違うよ、これケンジだよ。これ、ケンジだよ。」
そこにいたのは、真っ赤な頬を膨らませた地蔵顔のケンジだった。
でも、私はそれでも、ケンジの死を受け入れてはいなかった。
「ケンジ。」
頬をつついた。
「ケンジ・・・起きろ。」
もう一度つついた。
「起きろってんだろ、ケンジ!」
私はケンジを揺すり始めた。
ケンジは寝起きが酷く悪かった、と言うか、起こすのは一苦労だったのだ。
起きなかった。
早く起きろ。おまえはケンジだろ?なあ、ケンジ・・・。
思い切り殴ればきっと目を覚ます。そう思ったが、さすがにそれはできなかった。
涙が込み上げてきたので、外に出た。
電信柱をボコボコに殴りつけた。
絶対に涙は見せてやらない、と思った。
【コージ】
朝一番の現場、ベテランパートナーの代わりに荷積みをするとケンジが申し出た。
フォークリフトで荷積みをしていると、上り坂でバランスを失った。
ケンジは反射的にフォークリフトから飛び降りようとしたが、それが却ってあだとなり、重いフォークリフトの下敷きになり死んだ。
ほぼ即死。病院に運ばれた時点で既に息は絶え、死亡宣告だけが医者の仕事だったらしい。
一通り話を聞いた後、私は一旦事務所に戻ることにした。
とにかく、私は怒っていた。いや、沸き起こるすべての感情を怒りに昇華させようとしたいたのだと思う。
事務所までの帰り道、今、チンピラに絡まれたら、確実に撲殺するだろうなと思った。
事務所に戻ると、母が一人泣いていたが、私の顔を見るなり、
「ケンちゃん、私のせいで、私のせいで死んじゃったのかなあ・・・」
と、か細い声で言うと、また泣き出した。
「私のせい、って、あんた、何にも関係ないじゃん。」
「だって、私があそこを紹介しなかったら・・・」
ギクッとした。それまで高揚しきっていた頭が一気に冷めた。
死は残酷だ。
会社のベテランパートナーも、「自分が仕事を任せなかったら」と、酷く悔んでいたらしい。
誰のせいでもない。
もしも、どうしても、誰かのせいにしなければならないのなら、「ケンジの恋を笑って見ていた俺のせいでいいよ」と、思った。
ケイティ―のことを思い出していた。
黙って消える馬鹿な客などいくらでもいるので、わざわざ伝えることもないか、とも思ったが、もし、一抹の思いでもケンジに抱いてくれているのだとすれば、やはり伝えなければならない。
ケンジの家に戻り、それからはずっと、ケンジの横で、ただただ煙草を吸い続けていた。
離れて暮らしていたケンジの弟コージが駆けつけて来た。
四つ年下のコージは、幼い頃はずっとケンジに奴隷のように扱われていた。
ケンジは最低の暴君だった。
コージはケンジの顔を見ると、驚くほどの勢いで涙を流し始めた。
誰憚ることなく、グシャングシャンと泣いている。
時々、鼻をズズーっと啜る。
「コージさあ、ケンジのこと好きだったんだな。」
我ながら酷い聞き方だなと思った。
「うん。メチャクチャだったけど、助けてくれたし、優しいとこもあったし・・・。」
グズグズでほとんど聞き取れなかった。
コージがケンジのために泣いてくれているのが、なんだか嬉しかった。
小さくて貧弱で、いつもケンジに泣かされていたコージが、知らない間に立派な大人になっていた。
それも少し嬉しかった。
弔問客がチラホラとやって来た。
ケンジの友人が弔問にやって来ると、一徹親父がケンジの遺品を配ろうとし始めた。
「ケンジの形見、もらってやってもらえるかね?」
「まだ早い。」
と、叱って止めた。
「じゃあ、まず、のぶちゃんから・・・」
と、言い出したので、ケンジが好きだったブレスレットと梟の指輪を選んだ。
まだ、そこどこ無いだろ、と思っていたが、この親父は絶対にまた配り出すと思ったので、予防的措置だった。
「のぶちゃんはもっと。」としつこいので、サイズは合わないが、ケンジのお気に入りのコートを二着、脇に避けた。
(つづく)
