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忘却の彼方のパンツスーツ

忘れ去られていた記憶。

そんな記憶を掘り起こして、再びその記憶の中の自分を追いかけること。
それを夢と呼ぶことを許してほしい。


最後にあのパンツスーツを着たのはいつだっただろうか。
忘れもしない新型コロナウイルスがまだ未知のウイルスだった2020年3月〜2020年5月のことだ。

当時、長男は小学校を卒業し中学生になるタイミングであり、次男は保育園を卒園し小学校に入学するタイミングだった。

行事が重なっていたこともあり、私はスーツを新調することにした。
とは言っても、オーダーメイドでこしらえたわけでもなく、スーツを買いに行ったわけでもない。世の中は未知のウイルスにどう対応するかが騒がれてた時期である。私は買い物に行く気にもならず、ネットで好みのデザインのスーツをポチった。

ネットで服を買う時に注意しなければならないのはサイズ選びだ。
買ったものの入らないと言うのは当然困るが、あまりにブカブカすぎるとカッコ悪い。ジャストサイズが選べればいいが、そう簡単にいかないのがネット通販での服の購入だ。

私の体型は上半身に比べて下半身が大きい。
上はMサイズで大丈夫でも、下はLサイズでないと入らないことが多い。バランスの悪い洋梨体型というやつである。

長男の卒業・入学、次男の卒園・入学が重なることはわかっていたので、私はその時期、ダイエットをしていた。写真に収まるなら少しでも肥満体型から脱していたいというのが女ゴコロだ。

今は60キロを超える体重も、その頃は57〜58キロを反復横跳びで行き来しているような状態だったような気がする。
2〜3キロならあまり変わらないような気もするが、筋トレをしたり運動を欠かすことはなかったので、今よりも少し痩せていたのではないかと思っている。

当時の私は勇気を出してMサイズのスーツを選択し、クリックした。

そして、スーツは届く。Mサイズのスーツだ。
私は箱を開け、入っている服を確認する。

まずは目視。ほつれやなんやらがないことを確認。
そして、手触り。そんなものを確認したことはない。
さらには匂い。たまに臭いものがあるとかないとか。

この辺りは問題なかった。
となれば、あとは着用するのみだ。

着ていた洋服を脱ぐ。
上半身にはシャツを羽織り、そして届いたばかりのスーツを着る。
まずは、ジャケット。こちらは問題ない。上半身は割と標準体型なのだと信じている。
そして私は右足を通し、左足を通す。

うおっ。

パッツパツ。がーん。
太ももがパッツパツ。
中学生の時、陸上部だった弊害だろうか。なかなかに立派な太ももがスーツのパンツをパンパンさせている。

しかし、うん。まあ、入らんこともない。ギリギリセーフ。
そう、ギリギリでいつも生きていたいから、あぁ。

そして、私はグググと腹を引っ込める。
腹を引っ込めなければならない時点で、このズボンはサイズが合っていないことになるのだが、そこは個人の判断によるものだと思う。
当時の私は、入ればサイズは合っているということにしていた。

結果として、……入った。
ズボンの中に私は入ることができた。

前屈みになってみる。なれる。
そりかえってみる。それる。
椅子に座ってみる。座れる。
トイレで用を足してみる。足せる。

問題ない。

終日着ておけと言われるとかなり辛いが、午前中いっぱいならなんとかなりそうだ。幸いにも私はママ友がいないので「卒業式が終わったらランチしよ♡」に誘われることもない。
スーツを着たまま食事する予定もない。
もしかしたら、大体の人は一回帰ってランチに行くのかもしれないけど、それすらも私にはわからない。

ランチのことはどうでもいいが、座っていてズボンのボタンが弾けるのは勘弁なので、念の為もう少し絞っておこうとダイエットを継続し、私は無事にコロナ禍初期の卒業式や入学式を終えることができた。


そして、そのスーツはそのままクローゼットの端の方で壁に張り付くこととなる。今後、私がそのスーツを着る可能性は現時点ではゼロに近い。このまま行くと永遠に他の洋服と壁に挟まれてプレスされ続けることだろう。


その後、私はコロナ禍で多忙を極め(当社比)、体重が一時55キロ近くまで落ちることとなった。この調子をキープできるか? と淡い、ものすごく淡い、中学一年生の三年生の先輩への恋心のように淡い、そんな期待を抱いた。

しかし、私の脂肪細胞たちはそれを許さなかった。

現実を見ろとばかりに、中学一年生の頃の淡い恋心をめったうちにするイキッた高校一年生のように、自分の存在意義をアピールしてきた。私も多忙に慣れてしまい、それなりに仕事をこなせるようになると、あっという間に体重は元の体重、いや、それを超えてきた。

55キロだった体重は気付けば61キロになっていた。

長男の中学校卒業、高校入学。その際に私があのスーツを着ることはなかった。
正直なところ、思い出しもしなった。プレスされ続けるスーツは忘却の彼方へと押しやられていたのだ。
行事慣れしてきた私は、特に気合を入れることもなく、普段仕事で着ているジャケットとパンツを履いて行事に参加した。

あくまでも子どもの行事は子どものためのものであり、親が着飾る必要はない。マナー違反のない服装であればいい、という楽な思考へと逃げこんだ。
幸いにも我が息子たちは、私の着用しているものに興味もなく、むしろ着飾っている方が気持ち悪いと言い出しかねない種の子どもたちなので助かった。


そして2024年1月。
なぜか私はこのスーツのことを思い出した。


61キロあった体重は、よくわからないが12月末には59キロにまで落ちてきていた。年末年始の暴飲暴食で61キロに戻ってはいるが、また日常生活に戻り体重を落とすことができたら、もしかするとあのスーツを着て仕事に行く日が来るかもしれない。

そんなことを考えた。

セットアップでもなく、とりあえず上下別々で買ったジャケットとパンツを履いて仕事に行くのではなく、パリッとしたスーツを着て仕事に行く日が来るかもしれない。

ランチで焼肉定食を食べても、グリーンカレーを食べても、ボタンがはち切れることなく午後の業務をこなしながら三時のおやつを食せる日が来るかもしれない。

業務終了後に飲みに行って、ズボンのボタンが閉まらないけど仕方なくチャックを一番上まで上げて、インしていた薄手のVネックのシャツをズボンのボタンを開けているのがバレないようにアウトするように着直して、チャックが下がらないかどうかドキドキしながら飲み会の会費を払う必要がない日が来るかもしれない。


2024年1月某日、私はクローゼットを開けた。

濃紺の細いストライプの入ったパンツスーツを取り出す。
そしてゆるゆるのスウェットを脱ぎ、ジャケットを羽織る。

ぎょっ。

すでに上半身がパツパツである。
二の腕ががっしりしすぎている。
これでは飲み会の際に急遽開催される腕相撲大会で剛腕を発揮してしまったら、パズーの親方のようにジャケットが破れてしまうかもしれない。
入らないことはないが……。
私は下唇を噛んだ。

そのまま、パンツに右足を入れ、左足を入れる。
スススと上にあげる。
上がらない。尻で止まる。
へいSiri、ズボンが上がらないよ、一体どうしたんだい?

ああ、もちろんファスナーが上がることなんてない。
絶対にない。
上げられるところまでズボンをあげると、もう身動きが取れないんだよ。Hey Siri。

その姿、陸に打ち上げられた人魚、いやジュゴンのようですね。


私があのスーツを着ていたのは幻だったのだろうか。
いや、そんなことはない。
たった数年前の私は間違いなくあのスーツを着ていたのだ。


忘却の彼方にいたパンツスーツ。
それは私の夢を思い出させてくれた。

私がスーツを選ぶ時、頭の中でイメージをするのは、かっこよくスーツを着こなして、ピンヒールで歩く大人の女性だ。
私はそういう女性になりたいと思っている。


仕事をする上で重要なことは、もちろん外見だけでなく、仕事に対する向き合い方であったり、決断力や知識、行動力など外見で測れないこともたくさんあると思う。

しかし、私は仕事において重要なのは、まず第一印象だと思っている。
相手に信頼をしてもらうためには、清潔感があり、整った服と靴を着用し、無駄のない行動、そして笑顔、まずはそれが第一関門だと思っている。

もちろんそれが全てではないし、あまりに隙のない見た目もよりつきにくい気もする。しかし、自分の容姿が理想に近づくと言うことは、自分を喜ばせるだけでなく、ひいては自分の自信につながると考えている。

自信がつくと言うことは、背筋も伸び呼吸も深くなる。
冷静に物事が判断できるし、視野が広がる。

憧れの自分でいるということは、生きやすい環境を作る上での一つの材料だと思っている。


私はもう43歳。十分に大人である。
仕事もしていて、ピンヒールを履いている時もある。

今の体にあったスーツを買ってそれを着れば、夢のスーツを着こなしてピンヒールで歩く大人の女になれるかもしれない。
……けれど、それでは「かっこいい」の形容詞が抜け落ちてしまっている。
今あるもので満足することは、夢を叶えたことにはならないのではないかと、忘却の彼方からスーツが私に訴えかけてくる。


始めるなら、きっと今だ。
夢は、叶えるために見る。





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