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言ってはいけない例え

言ってはいけない例えが、この世には存在すると思う。

たとえば、「一重まぶたで、頬がふっくらした女性」に対し、「平安美人だねー」というフレーズは、言ってはいけない。これはあるあるで、どういうわけか一重の頬がふっくらした女性は、二重の頬がシュッとした女性の方が美人だと思っている傾向があるらしい。平安時代に美しいとされていた美的感覚は、令和の世には通用しないらしく、逆にディスられていると思う人がいると言う。

私は型にはめられた無個性な美人には興味がないので、造形より笑顔やその人のセンスが気になるのだが、平安美人と言われたら確かに癪だなと思う気はする。平安美人も型にはめられた容姿を揶揄する言葉なので、気をつけるべし。

完全に私の独断と偏見だが、そのように、まるでハリポッターに出てくる言ってはいけないあの人の名前の如く、言ってはいけない例えが、この世には存在していると実感している。

他にも例を挙げていこうと思う。

例えば、婚活に来ている落ち着いた女性に「お母さんっぽい」はNGだ。未婚の女性に「お母さんっぽい」はよくないと聞いたことがある。ちなみに、うちの息子は幼少期、知らないおばさんをみて、「あのおばさんは、おじさんなの?」と聞いてきた。彼女は性別を超えた存在であったに違いないが、その人の存在を別の存在に形容することは危険だと感じている。

他にもある。

キテレツ大百科に出てきたジャイアン的な容姿で優しい熊田薫のあだ名は「ブタゴリラ
」だった。昔のアニメだから、これはきっと容姿を模したあだ名だったのだろうと思うが、ブタゴリラはよくない。人を例えるのに動物を用いるのであれば、豚は禁句だ。そもそも、熊田薫という素晴らしい名前があるのだから、これを用いたあだ名にすべきだったと思う。例えば、フローラルベアとか。うわ、センスない。ブタゴリラに変わるあだ名を募集します。応募したい方は、シシモンキードットコムまでメールしてください。

それにしても、なんでこんな話をしているかというと、今日は言ってはいけない例えについて直面したからだった。

日曜日から愛犬のお腹の調子が悪く、下痢が続いている状態だ。いつもであれば、すぐに治る下痢なのだが、いまいち回復が見られない。これは早めに動物病院に連れて行ったほうがいいのでは?と思い、連れて行くことにした。

「どんなうんちでしたか?」
ドクターに尋ねられ、私は逡巡した。思い出されるのは、ドロドロとしたペースト状の黄土色のうんちだ。
「まるで、バ……」

と言いかけたところで、言葉を飲み込んだ。
「黄土色でした。ドロドロの」
「血は出てなかった?」
「出てないです」

私は、ふぅと息をついた。危うく犬のうんちをバターチキンカレーのようだったと例えてしまうところだった。先生の今夜の晩御飯がバターチキンカレーだった可能性もあるのに、うんちを食べ物に例えるなんて最低だ。しかし、踏みとどまることができたので、問題はない。

結局のところ、愛犬の体調については、元気もあり嘔吐もないので、寒さで冷えたか、食あたりだろうという診断が下った。整腸剤と下痢止め、それにやたらと高いお腹に優しいドックフードを処方してもらい帰宅した。

比喩を用いる時、そのものの見た目をわかりやすく伝えるためであれば、誰しもが共通認識として脳裏に焼き付いているだろうものを使うのが適切だと思う。しかし、例えられた側が、例えるものとかけ離れていた場合や、例えたものの印象が良くない場合は、例えること自体が危険な行為であるようなきがしている。例えるには、センスが必要なのだろう。

私は今度から、例えるなら美しいものを用いるようにしたい。

しかし、美しければなんでもいいと言うことではない。愛犬のうんちを別の何かに例えるのであれば、「ツヤツヤとした揚げたてに蜜のかかったかりんとうのようでした」などと、美しいからと言って食べ物で例えることは絶対にしてはいけない。排泄物を食べ物で例えるのは、やってはいけない例えだと思うから。

どうせなら、わかりやすくかつ意外性のあり、さらには面白いもので例えてみたい。例えば……、と呟いてみて、私は言葉を飲み込んだ。

今はまだ、いい例えが全く思いつかない。

アイデアはいつもスノードームのようで、常に私の周りを美しく舞うことなどない。機を待つように、それは水の中でゆっくりと沈んでいる。スノードームを幼子が無邪気に手にして、きゃっきゃと歯を見せながら衝撃を与えた時、沈んでいたアイデアはスノードームの中でキラキラと輝き始めるのだ。私がうんちを例えるのは、アイデアが降ってくるその時まで、おあずけにしておこう。



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