胃カメラを耐えたのに、屁が耐えられなかった話。
来年の私へ。
ここに今年の経験談を置いておきます。不安になったら、これを読んで欲しい。間違いなく、役に立つと思うから。
胃カメラは友達、敵じゃない。
医者は優しい、敵じゃない。
胃カメラを怖いと感じてしまっているのは、仕方のないことだと思う。あれは35歳の時だった。そろそろ一度くらいは胃カメラをしておいた方がいいと言われて、震える指先で予約をしたことを覚えている。
カメラを入れるのは口からか、鼻からか。
そう質問をすると、皆、口を揃えて言う。
「口から入れるなら、鎮静剤が必須だ。ないなら、鼻にしとけ」と。
私は様々な病院を調べた。職場の指定の検査機関では、経鼻内視鏡がある病院は少なかった。鎮静剤を投与してくれる病院も少なかった。あっても予約がいっぱいで、向こう半年は予約が取れないと言う。みな、口からカメラが怖いということが、その予約状況からもありありと感じられる。やっとこさで鼻からカメラを入れてくれる病院を予約し、私はいそいそと検査に向かった。
「初めて?」
「初めて……です」
「緊張してる?」
「は、はい……」
「痛かったら言ってね」
「……う、うん」
「無理やりはしないから、安心して……」
「(トゥンクッ)」
これが機械に囲まれた無機質な検査室じゃなければ、胸がときめいたことだろう。しかしこの鼓動は胸の高鳴りではなく、ただの動悸だ。断るすべなど私になく、私はまな板の上の鯉となった。
「はい、入れますよー」
「いっ、いったーーーーーい!無理無理無理!無理です!ギブギブ!」
そこで、終わればよかった。今日は胃カメラはやめときましょうと先生が一言言えばよかった。「せっかくなので、鼻に途中まで挿入した胃カメラを口から入れましょうね。細いから大丈夫大丈夫」と医者は言った。なんだよそれ。聞いてないよそんな話。口から入れたくないから鼻からっつっただろーが!と言えるわけもなく、鼻に入らなかったカメラを、私は口から入れられることになる。それは、ただひたすらに地獄だった。嗚咽に次ぐ嗚咽。流れ出るよだれ。よくわからんが、とりあえず苦しい。
「苦しいよね。大丈夫。もうすぐ終わる。綺麗な胃ですよー。そんなに苦しまないでー」
それが、胃カメラ初体験だった。
胃カメラは苦しい。そう思った私は、別の検査機関を探すことにした。選んだのは鎮静剤を入れながら口にカメラを挿入するという検査機関だった。点滴が効くまでの間は苦しいが、徐々に記憶がぼんやりしていくので、苦しくない気がする。しかし、やはり苦しい。カメラを飲む時が苦しい。あの固形物をごくんと飲む感じ。マウスピースをつけられる感じ。申し訳ないが、全てが不快だと私は思ってしまった。
何度かその検査機関に通ったものの、やはり無理だと感じた私は(どちらかと言えば、カメラより検査後のご飯の味が好きじゃなかった)、別の検査機関を探すことにした。そこは食事の味も接客も完璧で、鎮静剤で完全に寝てから胃カメラをするらしい。みんな口ぐちに「寝てたら終わるよー。めっちゃ楽だよー」と笑っている。
それならばと期待したあの日のことは、今でも忘れられない。
前処理のスペースで喉の麻酔をされ、点滴を入れられる。柔らかい椅子に、脱力した体が埋まっていき、意識が朦朧としていく。その後のことは、覚えていない。気づいたら終わっていた。
── と言いたかったのに!
カメラを挿入されている最中、喉に信じられない程の違和感を感じた私は「ごbっbこblぼうwぇっっ!!!!!!!」と覚醒してしまったのだ。起きた瞬間、まだ検査中と知った時の絶望たるや半端ない。やっべ、まだカメラの最中やんか。途中で起きるとか聞いてないし!うわー!最低!
「あら、起きちゃったんですねー。もうすぐ終わりますよー」
「せっかくなので、胃の中、見てくださいねー」
「自分の胃の中とか見なくていいので、早く終わらせてください」と口にすることもできず、私は苦しいまま胃カメラを終了した。通常であれば、寝たまま待機室で寝かせてもらえるというのに、完全に覚醒しまった私は、「歩けますか?」と聞かれ、「歩きます」と答え、待機室までトボトボと歩いて戻った。切ない。聞いてたんと違う。
「お時間あるので、ゆっくり休んでてくださいね」
そう言われて居心地の良いソファーに、ゆったりと体を預ける。瞼を閉じた。せっかくなので眠ろうと緊張をほぐしていく。隣からどこぞのおじさんの大きないびきが聞こえてくる。無視しよう。私は眠るのだ。グオー、グオー。熊のようないびきだな。おじさん、あなたは胃カメラの最中、寝てたんですね。羨ましいです。嫉妬です。私もそうやっていびきをかいて眠りたかった。私をそっと起こしてくれる王子様なんかいなかった。私は口に挿入された胃カメラに叩き起されたんです。アルコールの飲みすぎで麻酔が効きづらいとか、聞いてません。ショックが大きすぎです。
自分のアルコール耐性のせいで失意の底に落ちた私は、この病院で胃カメラを受けるのはやめて、経鼻内視鏡が激うまだという検査機関で検査を受けることにした。そして、二年前に鼻から胃カメラを初体験したのだった。正直なところ必死すぎてよく覚えていない。大丈夫だったとは記憶している。しかし、何が大丈夫だったのかをはっきりと覚えていない。今回は冷静に胃カメラを受けたので、しっかりと記録しておこう。
鼻から胃カメラの流れ
① 鼻の通りをよくするスプレーをかけられる(飲み込んでよし)
② 胃の泡を消す飲み物を飲まされる
(大してうまくはないが、6時以降何も飲んでいないので、水分補給と喜ぶことにしよう。意外といける気がする)
③ 鼻からゼリー状の麻酔を入れられる(飲み込む)
(意外と美味い。苦くて甘い。鼻から喉、舌にかけて麻痺する感覚がある。これが不快だが、ゆっくり息をすれば大丈夫。慣れる。唾液は飲むな。出せ)
④ 馴染んできたところで、検査室へ移動。
⑤ 胃カメラ挿入。痛くない。違和感はある。
⑥ 食道から胃を経由し、十二指腸へ。そこから胃に戻り、胃に水を入れたり空気を入れたり。
⑦ 所要時間は5分。なんとかなる!
カメラが通る際は、確かに違和感がある。喉元あたりを経由する際は、グッと押される感じがあるが、そんなもんと思うしかない。きついのは、胃の検査の時かもしれない。胃の検査中は洗い流すために水が入ってくる。うおおおとなる感じ。体の中からヒヤッとする。胃を膨らませるために空気が入ると、中から圧迫されるので苦しさを感じる。ゲップが出そうになるが、ゲップをすると検査が長引くので、ゲップは我慢するしかない。
ポイントは、ずっと喋っておくこと。
鼻からのカメラなので、喋ることができる。コツは深呼吸と言われたので、深呼吸すればいいだけの話なのだが、意識すると意外に難しい。けれど喋っていると緊張がほぐれるし、呼吸を気にしなくてもいい。前回はゲップを我慢するのに苦労したが、喋っていたおかげで、ゲップはちょっと我慢するだけで済んだ。
話とは言っても、関係ない雑談は難しいので、先生に「今、どのあたりですか?」「確かに水が入ってきました!」「胃の様子はどうでしょうか」「背中をさすってもらえるとホッとします」「追いティッシュあざまーす」と実況中継するぐらいでいい。そうやって話していると、5分はすぐに経つ。
うるさい客だと思われるかもしれない。迷惑かもしれない。でも、「喋ってもいいですか?」と聞いたら「どうぞ」と言ってくださったし、「静かにしてください」とは言われなかった。検査室は朗らかな空気に包まれていた。た……、多分。
胃カメラ問題は、これで解決である。
しかし、次に別の問題が生じてしまった。次回、気を付けておいて欲しいので、記録に残しておこうと思う。
胃カメラで安堵した私は、待合室の椅子に腰掛けた。その瞬間、尻がムズムズするのを感じる。胃カメラで胃に入れた空気が、尻の穴から放出されようとしている。これはただの空気だ。普通の屁ではない。そう思いたい。いや、私はそう思い込むことにした。
私は周囲を見回した。待合室の椅子は20脚ほどあったが、どの席にも人が座っている。
── ここで屁を?
危険だ。私の中でビーコンが鳴る。やめておけ。私がただの空気だと思っても、周りがそう思ってくれるとは思えない。「あの人、オナラした〜、草生える〜」と後ろ指を指されること必至だ。でも、我慢できるか、私よ。尻まで降りてきた空気を、大腸まで押し戻し、十二指腸へと登らせ、さらに胃へと還す能力を、私は備えているのか?
私は首を振った。備えてなど、いない。
と、そんなことを考えているうちに、放屁は自然と完了した。
やっちまったなー!女は黙って放屁!と私の中のクールポコが餅を突き始めると、一度漏れた屁は調子に乗り、尻からポコポコと空気が漏れてしまった。表情はクールだが、尻の穴は熱い。さて、その心は? みたいななぞなぞ兼大喜利ができそうな状況になった。みなにバレているのでは?と一瞬、怖い想像が頭を過ぎったが、問題はない。私はすかしっぺの達人なので、音を出さずに屁をこくことができるのだ。周りを見回したが、誰も気づいている様子はない。すんっと鼻を啜る。匂いもしない。やっぱりこの屁は、さっき胃に入った空気のせいだろうということで結論づけた。
「猿荻さーん、次の検査にご案内します」
私が案内されたのは、婦人科検診であった。子宮がん検診だ。若い頃は苦手だったが、子供を二人産んだ私に、恥ずかしいという気持ちはない。脱力加減も抜群である。下半身をすっぽんぽんにして、先生に向かって股を広げる。
「力を抜いてくださいねー」
カーテン越しにそう言われ、力を抜く。
私は再び、違和感を感じた。
(あ、やばい。今、力抜いたら、空気が漏れそうなんやけど。せ、先生。あ、やばい。先生の顔面におならをおかけあそばせるわけには......)
思わず私は力を入れる。
「力入れないでくださいねー。もう少しで終わりますからねー」
「……は、はーい」
返事をしてみたものの、脱力加減がわからない。どこの力を抜いて、どこに力を入れればいいのか!教えて!おじいさん!教えて!アルムのもみの木よ!と叫びたくなる気持ちをグッと抑えた。
「終わりましたー」
「ありがとうございましたー」
ウイーンと椅子が動き、私はカーテンに隠れた。ふっと力を抜くと、ぷっとため息が溢れた。どこからため息が漏れたかについては、言及しない。今日一番、緊張した瞬間だった。
来年の私へ。
── 空気は友達、敵じゃない。
