川柳句会表層 「⚪︎⚪︎に刃物は必需品である/渡辺隆夫」の回

匿名の互評の川柳句会の句と、(無記名状態での)選評との一覧。2025年10月の第3回(/6回)。
参加者は、
ササキリユウイチ・佐藤移送・大月陽星・林やは・栫伸太郎・牛田悠貴・石山ふね・福士かれん・綿貫文・郡司和斗
の10名。
題「⚪︎⚪︎に刃物は必需品である/渡辺隆夫」 の題詠と自由詠の2句提出。 ただし、題詠と雑詠を分けずに提出して選。


ここはどこからやと死角なんやろな/佐藤移送

 普通問われるのは「ここからはどこが死角なのか」や、「あそこからの死角はどこだろう」「ここはあそこから死角になっているか」といったことだろう。しかし、この句で問われているのは「ここはどこから見て死角なのか」だ。自分を見ることのない(特定の誰かではない)何者かについての想像が屈折していて面白い。
──栫伸太郎
 すっごい冷静な失踪願望を感じました。軽さが川柳的で良いです。
──牛田悠貴
 「ここ」のぐるりをポケットに手を突っ込んで見回している様子が浮かぶ。「ここ」が死角になる場所を見つけてどうするつもりなのか気になる。
──綿貫文

泣ける泣ける肌着ミーツ滑走路/大月陽星

 冒頭の雑な「泣ける泣ける」が句全体の雰囲気を統御している。「ミーツ」も軽くていい。激しさやスケールのまったく異なる肌着と滑走路の対比。どちらも何かの表面。肌着と滑走路が出会うシチュエーションの不穏も軽さといいバランスをとっている。
──栫伸太郎
 “泣ける泣ける”の3音-3音のスピード感には加速を感じて、“肌着ミーツ”の3音-3音は少しゆっくりになる感じがしました。しかも3-3-3-3の最後に5音で落ち着く感じが、肌着とミーツしてる滑走路感あって良いです。
──牛田悠貴

光やむまで銀紙がねだる背中/綿貫文

 詩情から伝わってくる軋轢のようなものが見えてきて、わたしの川柳の好きなのってこれだなって思いました。突飛なことをしているわけでないし、全部の語句が離れすぎているわけでもないのに並んだ言葉から迫ってくるものがあった。
──福士かれん
 名詞と動詞がそれぞれねじれすぎない程度にねじれていて一行詩として好きです。一呼吸詩だ。今っぽくないレトロさ(かと言って「いつか?」と問われると難しいのですが)にも良さを感じました。(並選)
──牛田悠貴

シャンプーも浴室乾燥機も略語/石山ふね

 たしかに“シャンプー”も“浴室乾燥機”もそれぞれ後ろに「を使う」が省略されている動詞なのかも知れない…とか。“浴室乾燥機”という、絶対略語じゃないだろって思える語の略語性に言及した、作者の発見が面白いです。あとはナチュラルに、川柳らしい断言の気持ちよさ。(並選)
──牛田悠貴

上場図体のめりっとでめりっと/牛田悠貴

 面白いと思った。上場図体が面白いし、めりっとでめりっともちょうど面白い。めりめり、音がしているみたいで、それが上場図体の渇いた印象にいいアプローチが出来ているのかなと思った。
──福士かれん
 デメリットに対する「メリット」と、めり込む擬音語の「めりっと」が両方かかっている。上場図体にとってはメリットであるところの身体の重みでめりっと食い込むのだとおもった。
──大月陽星

老人には向かないノーベル○○賞/大月陽星

 燻りぃや
──牛田悠貴

裏庭の牙の芽かきに終わりなし/綿貫文

 そのまま読みの前に、全体的に〈心的なメタファー〉として迫ってきました。いつまでも尖った心を持っていよう、みたいな決意表明の句意みたいな…。
──牛田悠貴
 終わりなしはこの句の狂気とユーモア(渡辺隆夫の題詠をよく読んでいる、と感じた)を掻き立てるのに一役かっている気がする。牙、かあ。
──福士かれん

剃刀のおすまし顔と目が合うの/石山ふね

 剃刀にほんとうに「顔」があって… というのが読まれたいというか、現代川柳っぽい読み方のような気がするけど、色白で線の細い美しい女性を刃物に喩えるのは、川端康成とかやってそうな比喩だなとおもって、そうなるとただ「女性と目が合った」だけの句にも読める。比喩の力はふつうに強いから。でもそう読んでも、女性の発話っぽい結句の収まり方がいろいろな読み方を誘発していておもしろいとおもった。(並選)
──大月陽星
 目が合ったらやってやるぞというニュアンスを感じるおすまし顔が見える。
──綿貫文
 剃刀は確かにおすまし顔な気がする。納得感がある。なんか『チェンソーマン』とかに出てきてほしい。剃刀の悪魔とか魔人とか。おすまし顔してそう。目も合いそう。
──牛田悠貴

肌色の爪からしか歪めない/林やは

 これ自体が題というか前句になっているような、詩的な意味深さが魅力的だと思ったけど、なかなか一週間だけで景を思い浮かべるのは難しかった。深刻さだけ宙に浮いてあるような。共感を拒否しているけど、私性な感じ。
──牛田悠貴

怪談史修正主義者なら噛めよ/郡司和斗

 「歴史修正主義者」が「怪談史」に変わるとき、怪談史修正主義者のいちばん長い日が始まるのだとおもう。歴史は庶民から貴族まで、無限に存在する点としての出来事を、一本の線として記述する行為だろう。一方、怪談史は人々の点の歴史よりも語られる絶対数が少ない。歴史修正主義の方法は、無数の点からどのような線を描くかが問題だろうが、怪談史においては点の数が限られている。だから、怪談史の修正は怪談の内容にまで踏み込む「修正」だとおもう。しかし、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書くにあたっては、母や祖父から聞いた無数の伝説や神話が織り込まれていた。それはコロンビアの村の歴史でもあるようだが、日本のわたしたちからは怪談の一種に見えてもおかしくない。そう考えると歴史と怪談史の親和性にも気がつく感じがする。それで何を食べているかというと、たぶんガムだとおもう。(特選)
──大月陽星
 なんだか踏み絵のよう。でも踏み絵は信者が強要されるものであって、アンチに対して求められるものではないだろう。しかも「怪談史」というマニアックな歴史を相手どっている。たしかに怪談史を修正するならば、試すべきは足ではなく口かもしれない。
──石山ふね
 長い名詞に対して下五だけで意味や類推の余地を押し広げていて巧い。怪談史の何が不満だったのかも気になる。
──栫伸太郎
 怪談史なら別に、個々の怪談話だって盛られたり変えられたりするだろうし、ちょっと盛ったり変えたりするくらいいいんじゃない??と、あまり積極的に歴史改竄しようと思ったわけではない人も、消極的“修正主義者”として噛まれてしまうのでしょうか。ってか、修正主義者の方に“噛めよ”って命令してるのか?「男なら(女なら)〇〇しなさいよ」みたいな?
──牛田悠貴

絶対を拾う鈴虫死に損ね/福士かれん

 かっこいいな〜。かっこよさだけで取っちゃいますね。季節感も合ってる(並選)
──牛田悠貴
 題詠
──福士かれん

筋肉が元は買い物かごだった/栫伸太郎

 筋肉の強度と、なにかを運ぶための入れ物としての働きの境目がわからなくなる。
──綿貫文
 外骨格みたいな話にも読める。進化の過程で今は筋肉になった、買い物かご。そうした発見をしたような語り口に、そんなわけないだろと思うからこそ、一般的な〈研究〉の持つ新規性のイメージを記号操作的に表しえた気がする。
──郡司和斗
 助詞が面白い。意味が通ってるのに、なんかねじれてるように感じる。網目のある買い物かごが、筋膜になって、それから筋肉になっていく映像が脳内で流れた。いや、嘘ついた。どっちかというと、単純な〈なる句〉ではなく“だった”なので、筋肉から買い物かごまでの光景を遡行した。いや、でもそれも嘘なのかも知れない。やっぱり買い物かご→筋肉かもしれない……と、鑑賞機序がバグった。(並選)
──牛田悠貴
 筋肉の能力、「容量」になるんだ。
──ササキリユウイチ
 卵とか、それこそ肉とか、筋肉をつくるものがダイレクトに筋肉に入っているような。理科室にある人体模型のパズルみたいなおもしろさ。
──大月陽星
 筋肉と買い物かごに負荷を感じる。買い物かごが普及する前は重たい買い物袋を両手に抱えて、それが筋トレになってたかもしれんね、高速でモノになった、とい真っ直ぐに読めた。
──福士かれん

諸々を鋼にした秋刀魚たち/林やは

 ある日のこと──秋刀魚の群れは、その秋刀魚ひとつひとつが、何かを鋼にする能力を持っている。能力は、秋刀魚が群れに巻き込むことによって、秋刀魚の群れがその何かに出会うことによって(何かにとっては出会ってしまうことによって)発揮される結果と言い換えることもできる。秋刀魚の群れとの出会いによって鋼にされる。だが秋刀魚の群れは、諸々という対象がブラーすぎて、鋼になりきれない。などと考え・・・ また、ある日のこと──諸々は、日常のあれこれ(中でも取り立てて言うまでもないことを)であり、取り立てて言うまでもないことはすべて鋼であり、諸々とは区別され、取り立てて言うことでもある秋刀魚(を食べること)が、そうさせたのである。などとかんがえ・・・
──ササキリユウイチ
 ということは鋼の中を泳いでいるのか。格好良い。題詠だとすると、『〇〇まるまる』が“諸々”になっているのかなあとか。そっちは音で、刃物→秋刀魚は字体から攻めたのかなあ、とか、色々作句仮定を妄想気味に空想できたのも楽しかったです。
──牛田悠貴

鋏のように耐えるだけ 聞くなよ/郡司和斗

 閉じている鋏は刃(歯)を食いしばっているのかもしれない。我慢しなくてもいい。
──綿貫文
 モノローグぶっているのに、ちょっと聞いて欲しくて、でも一文字あけて“聞くなよ”、と吐き捨てるその自意識の複雑さが、思春期っぽくて良いなと思いました。そういえば哲学史の入門書的な本とかサイトで、サルトルの解説をされるときによく鋏の例が出てくる気がします。人間として本質や真の目的のないまま実存に投げ出されるのもつらいけど、本質(〈切る〉という目的)が実存に先立ってしまってる鋏側の存在もやっぱ当然辛いですよね。というか、人間なのに鋏側の存在に自分を重ねてるから辛いのかも知れませんが。
──牛田悠貴

押し花に迫るペーパー ドライバー/ササキリユウイチ

 やっぱ字空けが笑える。ふつうの紙かと思ったら、ドライバー。淡々としてる叙述も笑いに効果あり。
──郡司和斗
 「ペーパードライバー」という単語が分裂しているのが不思議。そもそも運転免許を持ってはいるが運転をしていない人のことを「ペーパー」で形容するのはかなり不思議なことだ。押し花に(本やあいだに挟むための)紙が迫るとき「ペーパー」は紙としての意味を取り戻している。
──石山ふね
 ペーパードライバーは押し花のことなど気にしている余裕はない
──大月陽星
 『マントルに向かうハイエースで吠えた / ササキリ ユウイチ』をなんか思い出しました。っていうか、それで題詠したんじゃない?ってくらい、意識的に名詞や動詞の方向性だけを被せて、詩情の面では対極に位置させようとしてるように感じたりした。そのササキリさんの川柳は、鶴彬の川柳を題詠した迫力のある句ですが、この句はなんかなよなよしてて、ちょっと卑怯な作中主体感があって、力の抜けた感じが良いなと思いました。狂句的に茶化してる感じも。
──牛田悠貴
 迫力があって面白い。「ペーパー・ドライバー」などの方がいいのではないかと思ってしまった。字空きは印象が強すぎる気がした。
──栫伸太郎

草冠に想像される/栫伸太郎

 すぐに思いつくかぎりでも「早」「化」「母」と、さまざまな漢字の上で草冠は顔を出している。そして全く違う意味の漢字たちであっても、草冠の存在によって姿をそっくり変えられてしまうことを思えば、どこか不気味ではないだろうか。草冠がなにかを想像しているのか、誰かが草冠を想像しているのかは不明だが、そうした景がぽわぽわと頭上に浮かんでくるとき、あなたも草冠に支配されているのである。
──石山ふね
 草冠と書くときの草冠があることが、想像されるに対して空虚に思えてくる。そこにあってそこにないものを見せてくれる。
──林やは
 草冠に想像される(草冠から想像される、草冠が想像する、ってことだと思った。)なんて想像したこともなかった、今回初めて想像してみた、というか想像しようとしてうまく想像できなかった。 自分の言動が良くない出来事を引き起こすところを想像する癖が私にはあって、その良くない出来事の細部を想像することには中毒性がある。草冠に想像されるとこを想像しようとしているあいだ、そういう普段の中毒からいったん離れることができた。(特選)
──佐藤移送
 部首ではない部分が〈主体〉ということを婉曲で表現しているのか。それともぜんぜん関係なく、草冠に、何かが想像されたのか。どちらにしても、天上的な、草原より高次元のユートピアがみえてくるようだ。
──郡司和斗
 草原のペガサス!って、まず思った。部首としてのくさかんむりよりも先に、草いきれの中で蜃気楼のように何かの像が立ち上がってくる感じがして素敵です。 なんか“想像される”を光景として見ようとすると、どうしても漫画でありがちなモクモクした吹き出し💭を思い浮かべるので(だから草いきれを思ったのですが)、そうなると草冠の下で新たな字が想像(創造)されるのではなく、草冠の上部に更になにか書き足される形で何かが成立するのかなあ…とか。「空想される」よりも“想像される”の方が若干〈実体〉感あるような気もする。まあ実際、具体的な光景はかなりどうでも良くて、でも良い七七句だと思いました。(並選)
──牛田悠貴
 部首としての草冠だったら「くさかんむり」と開く感じがするけどこの草冠は物理的なシロツメクサとかの花冠のような物体である気がする。部首としていったん読もうとすると、「花」の部首草冠の下の「化」が、草冠界隈(草冠界隈?)の植物にまつわる情報の中で何に相当するんだ、とその界隈の頂点である草冠に想像させている、みたいな……。転じて、様々な共通する情報のなかでなにかひとつ見つけたがるよね、みたいな真理めいたものまで見えてきたりして。でも草冠だからある種の分野は限定されるよな、とか。読み筋がどんどん見えてきて楽しかった。
──福士かれん
 いいジュニーク。
──ササキリユウイチ
 考える主体としての草冠として捉えた際、組み分け帽子のように機能する草冠を想像をした。
──綿貫文

変わり目を隠したかったシャンデリア/福士かれん

 “変わり目”が、〈伝達的な意味の読解〉を力強く迫ってくるけれど、その要求を達成することができない。シャンデリアも、なにかの象徴にしか思えないのに、なんの象徴なのか分からない。シャンデリアの輝きは、もともとウブなきらきらさではなくて、過剰な、外向きのギラギラさだと思うのだけど、その中に(伝達内容は掴みきれないものの)分かりやすく“隠したかった”という翳りが提示されていることで、ギラギラの光沢が削がれ少しキラキラ寄りになるところがある。でもひらがなのきらきらには至らない、カタカナのキラキラさに留まる。…みたいな、なに言ってんだ自分。
──牛田悠貴
 雑詠
──福士かれん

ぼんぼりに刃先を需需と燃せば彗/牛田悠貴

 燃えるものの要素の連なりが狭まったかと思えばだんだんと広がっていく様子。情緒があっていいと思った。
──林やは
 音が好き。刃物が刃先をおしりとして流れ星みたいに飛んでいく景が浮かぶ。よく考えると怖いけど、地上から見ている分にはただ綺麗かもしれず、行為者と傍観者と刃物が飛んできた人それぞれの気持ちを想像。
──綿貫文
 題詠です。なんか今回、結構むずかしく感じました。
──牛田悠貴

アキレスのマラカスの亀(凶器所持)/ササキリユウイチ

 (特選) しばらく読みに戸惑ったのですが、マラカスの“ス”は複数形の〈-s〉なので、アキレスの“ス”もきっと複数形の〈-s〉なのだろう……という解釈で最終的に落ち着きました。アキレスのマラカス……アキレスであるところのマラカス……アキレス=マラカス、単数形に直せば、アキレ=マラカと考えて良いはずです。ここで「アキレはマラカである」という、ひとつの川柳的な問答体が成立しているようにも見えます。ただ、このあとに登場する“亀”は〈亀ス〉ではないので、《アキレス=マラカス=亀》ということには出来ないはずです(単数形の「アキレ=マラカ」としたときに“亀”から引ける〈-s〉がありませんので)。となると、“亀”についた“の”は、〈所有〉を表す“の”なのでしょう。この、アキレ(マラカ)たちから共有財産として所有されていると言われている“亀”ですが、ただ、その所有関係はブラフだと思われます。詳しくは知りませんが、アキレたちは亀には追いつけないと聞いたことがありますので、実際の力関係を考慮すれば、“亀”の方が大量のアキレたちを所有しているのだと考えた方が良さそうです。そうなれば、この亀が所持している凶器とは、大量のアキレスそれ自体のはず。冷静に考えるとたしかに、アキレスは楽器であるよりも前に凶器です。硬いし、持ち手もある。仰向けのまま四本の足で握ったアキレスをシャカシャカと振り鳴らしテンションを上げ、しまいにはそれらのアキレス同士を打ち鳴らしてぶっ壊す亀。割れたアキレスから血のように溢れ出る種子やらビーズやらが亀の腹へと降り注いでいきます。そうそう、川柳とは関係ないけど、アキレスと言えば、ベネズエラの『ホローポ』という音楽様式で演奏されるアキレスは超絶技巧で有名です。ぜひご一聴あれ。 https://youtu.be/QUto9C1ioPA?si=O5rdFlLHqWF6cCd0 (日本では織本卓さんの演奏が最高です https://youtu.be/j4DGAUBYRME?si=_pv58Hwdh9b0v6gi
──牛田悠貴
 アキレスが音に追いつこうとするとき、アキレスのマラカスの亀も音を出しているため、アキレスはアキレスのマラカスの亀の音に永遠に追いつくことができない。
──大月陽星
 面白すぎたのかもしれない。
──福士かれん

そらクロロホルムのロロのロのほうや/佐藤移送

 名句に立ち会っている。われわれはこの句とコミュニケーションをかろうじて取ることができる。いやどっち(笑)、と醜く発話することなく、おしゃれにいける。
──ササキリユウイチ
 「ロ」が文字じゃなくなっていく様が一句の中で二段階、二方向に描かれていてすごい。埋めるべき空欄にも見えるし、逆に「ロのほう」で伝わるような唯一性を持った存在にも思える。
──栫伸太郎
 「なぐもゆ、とひとつめの『ゆ』抜きで呼んだ/雨月茄子春」を知らなければもっと楽しく読めた。ロロのうち、どちらの「ロ」が問題になるか、という発想がちかくて、凝った分だけ終着点が同じになったとおもう。音はすき。(並選)
──大月陽星
 最初からロとは言えない手続きのやっかいさ。定型のプロセスの不可避性とも言うべきか。それらを比較的上手く描いているように思える。
──郡司和斗
 名探偵コナンのアニメを1話から見ている影響でクロロホルムが効く。ロのほうが一体何だった言うんだ。
──林やは
 どっちやねんとこちらに言わせようとしている句。どんどんと「ロ」にフォーカスが当たっていく過程が575のリズムに乗っていることで、不思議な国のアリスのトンネルみたいな効果が発揮されている。ろろ、と舌の上を転がしてみるが、ふたつの「ロ」はまるで双子のように見分けがつかないのだ。
──石山ふね
 顕微鏡川柳。『〇〇』に図形的に焦点を当てて題詠するのむずいなーと思ってたので、すげーってなりました。句跨りはあるけど、でもよもうとおもえば5-7-5っぽくも感じられるし、良い口語体だし。
──牛田悠貴
 早口言葉みたい。芸人さんのツッコミみたい。クロロホルムの物騒さと、快活さが、渡辺隆夫を踏襲していると感じた。
──福士かれん

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