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#164 村上春樹さんと新海誠さんが教えてくれたこと

日本国外でも幅広い人気を集める二人のクリエイター、小説家の村上春樹さんと映画監督の新海誠さん。新海さんは「村上春樹さんに影響を受けている」と明言なさっています。この二人のクリエイター、何が似ていると思いますか? 今日はそんな点に注目して、僕なりの「小説論」を書いてみたいと思います。
 村上春樹さんの作品『ノルウェイの森』には、場所としてのノルウェーは出てこないのですが、ヘッダ写真は2010年に一度だけ仕事でノルウェーへ行った時のものです。寒かったです。



「小説」って何?

今年の6月に、いきなり「小説を書こう!」と思い立って、「note 創作大賞 2024」に『Flow into time 〜時の燈台へ〜』と題した中編小説を書きました。でも研究職の職業病なのか、「小説って何?」という点を解決してからしか書き始められなかったのを覚えています。

「小説」は「物語」と違って……などと考え始めると、迷宮に入り込んでしまうように思います。僕はもっと「メカニカルに」考えます。というのは、「小説」の「小」の字に注目するのです。「小説」があるなら「大説」もあるはずだ、ということです。
 実際、あまり使われませんが、「大説」という言葉は存在し、「小説」と相対する概念として存在しています。僕的には、小説を「近代文学の一ジャンルで、詩や戯曲に対していう」というような定義は、「逃げている」と感じます。「何が小さいのか」を相対的に定義していないからです。

「大説」って何?

小説を論じる前に、大説から入る方が分かりやすいと思います。「大説」とは(この定義が日本語として定着しているわけではありませんが)、「君子が国家や政治に対する志を書いた書物」とウィキペディアにはあります。これもかなり甘い定義なので、少し補ってみます。代表作を挙げるのがいいかと思います。

僕の考えでは、「大説」の代表作は、日本ならばなんといっても記紀、つまり『古事記』と『日本書紀』です。中国ならば『史記』や『三国志』、西洋ならばカエサルの『ガリア戦記』、タキトゥスの『ゲルマーニア』あたりだと思います。

特徴としては、主に王などに注目して、「その王の国で起きたことを全部書く」のが「大説」というように考えればいいと思います。大説を記す方法として、編年体(出来事を年代順に記す方法)と紀伝体(個人や国に注目して記す方法)の別があることからも、とにかく「あったことを全部書く」(整理の仕方の違いが記法の違いとなる)ことが前提であったことがわかります。

では「小説」に戻ります

では戻って、「小説」とは何か? それは、「大説」の一部を「切り抜いた」物語であると定義できると考えています。あくまで「大説」があることを前提として、その上で、「一部だけ描きますよ〜」というのが「小説」のアプローチだろうということです。ここで、勘のいい人はピンとくるのではないでしょうか?

新海誠監督の作品には、別の作品の登場人物がチラッと出てくる場面が多くあります。一番印象的なのは、『天気の子』で主人公森嶋帆高(もりしま ほだか)が天野陽菜(あまの ひな)にプレゼントする指輪を買う時に接客していた店員さんが、『君の名は。』の主人公の宮水三葉(みやみず みつは)でしたね。あれは、深海監督の「ファンサービス」ではなく、「自分の作品は『小説』なんです」という意思表示なのだと思います。

新海監督の頭の中では、多少の時代の前後はあるにせよ、『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締り』といった作品が集合的に一つの大きな世界、つまり「大説」的世界を構成しているのだと思います。その中のある一部を切り取ったら、それが『君の名は。』になり、また別の部分を切り取ったら、『天気の子』になるというわけです。
 『古事記』で多くの神様がいろんな物語に登場するように、大きな「新海ワールド」の中で、複数の作品の登場人物がそれぞれ動いており、ある一部分を「小さな物語=小説」として切り取ったものが、一つ一つの作品なのだと思います。新海監督はこういった解釈に関しては明言を避けていますが、僕はそう考えています。

村上春樹さんの作品についても同じことが言え、よく、「村上春樹はなぜ同じような話を書き続けるのか」と言われますが、その理由は、「村上春樹さんの作品が小説だから」ということなのだと思います。「村上ワールド」という大きな世界の一部を、「小さな物語=小説」として切り取ったものが、『海辺のカフカ』であり、『1Q84』であり、『騎士団長殺し』なのだと思います。

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あくまで、「大説」に対する「小説」を書きたい

こういった「大説と小説」のコンテクストの中で、僕はあえて「物語」ではなく、「小説」を書きたいと思っています。実はこれは、学問研究にも通じる部分があります。研究者が発表する一本一本の論文は、それぞれが独立しているわけではなく、一連の研究で世の中を〇〇にしたいという「大きな想い」の一部分を切り取ったものが個々の論文だからです。

そういうわけで、僕も「自分が作り上げたい大きな世界」をまずは仮定して(出来上がっているわけではありません)、その中の一部一部を切り取る形で個々の作品を書くアプローチをとっています。自然と、同じ街、同じ店、同じ登場人物が毎回出てきます。
 「そろそろ飽きてきたよ」という友人たちの本音も聞こえてきそうですが、僕は「物語」ではなく「小説」を書きたいので、互いに「つながりのない」作品を書いていても面白くありません。ある作品の端役が次の作品の主人公になったり、時間軸を逆行して、次作が前作の背景を描いたり、そんな風にしながら、自分の「大説」世界の地図を少しずつ「小説」で塗りつぶしていければ、と思っています。

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実はお二人とは縁がある

実は、村上春樹さんと新海誠さんとは、多少の縁があります。村上春樹さんのお父様は村上千秋先生といい、母校である甲陽学院の教頭先生をなさっていました。春樹さんは甲陽学院へは進まず(受験したものの不合格)、兵庫県立神戸高校へ進学され、新聞委員会で活躍されました。この、「神戸高校新聞委員会」も、僕が甲陽学院時代に大変お世話になった組織でした。次のエッセイを書きました。

次に新海監督は、あまり細かくは書けませんが、「新海」姓の方がたくさんいらっしゃる地域のご出身で、遠縁にあたる方と、長年仕事上の付き合いがありました。特定の地域に特定の姓が多いということは、多くの場合神職との関連があり、新海作品で神道的な視点や出来事への言及が多いのは、実は新海監督の出自と関係がある、と僕は考えています。

そろそろ5本目となる次の小説に向けて始動かな、と思っていますが、第4作で友情を誓い合った二人を主人公に据えて、実験的な手法を試してみようと思っています。今日は次作を書き始める前に、改めて自分のアプローチを整理してみました。

今日もお読みくださって、ありがとうございました📚
(2024年10月25日)

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ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦 サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️

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