別人的歌:ふたりのワイマン(1) 【香港カントポップ概論:1990年代編④】
【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1990年代:"一起走過的日子" 最盛期と陰り ④
1970年代にカントポップを築いたのが「三大詞人」だとすると、1980年代はそのひとりのジェームズ・ウォンに2人・林振強と林敏驄を足した「二林一黃」の時代だと言われる。さらにそこに「二潘」と呼ばれた潘偉源と潘源良(なぜかサッカー解説者としても活動している)や、Beyondとの仕事で知られる劉卓輝、達明一派の御用作詞者として活躍した陳少琪、周耀輝なども台頭してきて、90年代に入る頃には香港の作詞業界も大賑わいになった。
そして1990年代の後半、セールス的に陰りが見え始めたカントポップ界には「兩個偉文」(ダブル・ワイマン、2人のワイマン)とよばれる2人の異端児が台頭してくる。
「ワイマン」の一人は、黃偉文(ウォン・ワイマン)という名前の作詞家。もう一人は、これまでも「林夕」というペンネームで言及してきた作詞家(本名:梁偉文)である。
黃偉文は「違ってなきゃ私じゃない」("我就是要不一樣")とまで言い切るほどに既存の定型的なパターンを破る新しい視点・題材を提供することを好む作詞家で、林夕はかつて自分のことを「体は男、心は女」だと認めたこともあるほどに、性別の境界を取り払うような詞的表現にこだわりを持つ詞人だ。
カントポップに対する独特の「メタ」な視点を含む彼らの詞は、全盛期を過ぎ、マンネリ化が批判を呼びはじめた香港楽壇を内側から改革する新たな時代の「声」となり、20年以上たった今でもこの「ふたりのワイマン」が君臨する時代が続いている。
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1961年生まれの林夕こと梁偉文は、香港大学で中国文学を学んだのち、同校で助手などを勤めながら詞を書いていたアマチュア作詞家だった。二林一黃の一人、林振強(リチャード・ラム)への憧れと、簡体字版『紅楼夢』に用いられていた「夢」の簡体字「梦」の絵画的なイメージ(”林”の下の”夕”日)にインスピレーションを受けて、「林夕」のペンネームを名乗るようになる(『夜話港樂』, 21頁)。
1983年にジミー・ローがはじめた「非情歌運動」を受けてRTHKが開催した「非情歌創作比賽」に応募し優勝。この時の詞は元・The Wynnersの鍾鎮濤(ケニー・ビー)が歌う『曾經』となり、これで作詞家デビューを果たす。この非ラブソング・コンテストでのデビューというのは象徴的で、彼は今後、カントポップ詞の題材拡大というジミー・ローの未完の改革を引き継いでいくことになっている。
その後は、エレクトロ・デュオRaidasの「御用作詞家」として活動し、彼らのデビュー作『吸煙的女人』(タバコを吸う女)も手がけた。タバコをモチーフに、都市に生きる女性の孤独を描いている。
彼ら最初のフルアルバム『傳說』(1987年)の収録曲『別人的歌』(別人の歌)では、場末のバーのステージで他の誰かのヒットソングをカバーして歌う無名歌手の悲哀を歌い、華やかな業界の裏側を描写した。

人人隨意點唱 一樣那些歌
(人々が気ままにリクエストする 同じような曲たち)
唱罷也惹來 公式的拍掌
(歌い終わればどうせまた湧き上がる 形式的な拍手)
其實掌聲屬於那 人盡皆知的歌
(でも拍手の音が向けられたのは 誰もが知るその歌で)
演唱的歌手卻 如永沒名字
(歌った歌手の方は 永遠に名も無きままのようだ)
この『別人的歌』は林夕自身にとっても印象深いものであるようで、彼の80〜90年代の評論を集めた本のタイトルにも取られている。
Raidasが1988年に早々と解散してしまった後、林夕の才能は1991年のヒット曲『皇后大道東』で再び発揮された。台湾出身の羅大佑が歌ったこの歌は、イギリスによる香港統治がはじまって最初に建築された大通りである「皇后大道」(クイーンズ・ロード)を舞台に1997年の返還を控えた香港を描いている。
有個貴族朋友在硬幣背後
(コインの後ろには高貴な友達)
青春不變名字叫做皇后
(変わらぬ若さの その名は女王)
每次買賣隨我到處去奔走
(毎度毎度の売買に付いて回る)
面上沒有表情卻匯聚成就
(その表情のない顔が成功の鍵)
知己一聲拜拜遠去這都市
(親友はあばよと この街を離れ)
要靠偉大同志搞搞新意思
(後は偉大な同志のアイデア次第)
照買照賣樓花處處有單位
(不動産の売買は変わらず盛況)
但是旺角可能要換換名字
(でも旺角は改名が必要かもね)
この曲に満ちたメタファーは様々な人が「謎解き」を試みていて(例えば世界的に著名な文化研究者のレイ・チョウとか)、ここではとても扱いきれないけど、こういう意味ありげな比喩やシンボルを重ねて多様な解釈の幅を残す深みのある歌詞は今後も林夕の作詞の特徴になる。この時代の香港の雰囲気をまさに切り取ったとされるこの曲で、林夕はこの年のTVB年間ベストテンで最優秀作詞賞を受賞する。
その後、アジアのスターへと脱皮を始めたフェイ・ウォンへの詞提供で、いくつものヒットソングを世に送り出したことは前項で触れた通りである。彼は広東語だけでなく北京語での作詞にも挑戦していて、彼女の北京語でのヒットソング『紅豆』などの歌詞も手がけている。
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林夕が、職人気質というか根っからの文人という雰囲気があって、評論とか文壇でも活躍する(見た目もいかにも知識人)のとは対照的に、もう一人のワイマンである黃偉文は、ヒゲにスキンヘッドというひょうきんな見た目をしていて、自分も映画(『金鶏sss』とか)やら表舞台に出てきてしまうエンタメ界の人という印象がある。
(彼の作詞曲だけを集めたコンピ。いくつも出ている。)
それもそのはずで、彼はもともと大学在学中から商業電台のラジオDJとして活躍したポップスマニアだったらしい。だからある種日本の渋谷系とかにも似て、既存のポップスへの豊富な知識を生かして作品をつくる「リスナー系」の作詞家だったといえるのかもしれない。年齢も林夕より少し若い1969年生まれで、まさに物心ついた頃から当たり前にカントポップがあった世代だと思う。
同じ商業電台のDJ2人が結成したラップ・デュオ「軟硬天師」への詞提供で作詞家デビューした。
この軟硬天師は90年代香港きっての異色グループで、日本でリリースされたアルバムの帯にも「おかしなまじめな香港人、遂に日本上陸」と書かれているほど。

熱狂的カントポップファンを皮肉ったヒットソング『廣播道Fans殺人事件』("放送道ファン殺人事件")や、The Wynnersの『LOVE』をサンプリングしながら賞レースを風刺した『叱咤勁歌金曲』(“叱咤樂壇流行榜”、"十大勁歌金曲頒獎典禮"など主要な音楽賞の名前を組み合わせたタイトル)、さらにエイズ問題を扱った『點解要大家笠』("なんでつけなきゃいけないか")から『ガラガラヘビがやってくる』のカバー『老人院』まで、バラエティ豊かな風刺ソングで知られている。彼らのアルバム収録の『愛式』(軟硬天師と共作)と『非常口』が黃偉文のデビュー作になる。後者は、様々な役割をもつ「お口ちゃん」にユーモラスに語りかけるおしゃべりなDJ/ラッパーにはぴったりな曲になっている。
阿口 我鍾意將嘢躉入你嗰度
(お口ちゃん 君のとこに物を入れるのが好きさ)
淀奶茶話梅墨魚入去好似焚化爐
(ミルクティー、干し梅、イカを入れて まるで処分場)
放埋簫 放埋口琴 香口膠 都仲未爆
(笛もハーモニカも ガムも入れてもまだ溢れない)
仲居然有空位剩 吹口哨
(まだ余裕があるなら口笛も吹いちゃおう)
阿口 我鍾意係你嗰度整嘢出嚟…
(お口ちゃん 君のとこから物を出すのも好きさ)…
講笑談心 呃大話 慰問娘親…
(冗談言ってぶっちゃけて 嘘ついて 母ちゃんへのおべっかも)…
出入口 實在都喺呢度
(出入口はどちらもここにある)
食乜話乜做乜你係通道
(食べるのも話すのも何するのも君を通じて)
我一世嘅快感目唪唥 非常口
(俺の一生の幸せ いっさいがっさい 非常口)
盡量郁 有幸福 我哋得把口
(精一杯動かそう 幸せだよな 俺ら 口だけで)
1990年代はスターたちの裏で、軟硬天師のようなオルタナ系ミュージシャンが登場した時代でもあり、プロテスト・バンド「黒鳥」の郭達年のサポートを受けながらパンク・アルバムをリリースした黃秋生(アンソニー・ウォン;たぶん俳優としての方が有名)、香港ヒップホップの父と呼ばれるMC仁が所属していたグループ「LMF」(Lazy Motherfucker)などが活躍した。歌詞の多くが放送禁止用語を含む両者とは違い、軟硬天師は適度なポップさもあり、確かに「おかしなまじめな」という感じがする。
(広東語の罵倒表現/強調表現である”粗口”を含んだ黃秋生、LMFらの音楽は、「粗口歌」と呼ばれるジャンルの先駆け的なものだけど、なんせ放送禁止用語なので、ネット初の風刺ソングなどでは一般的だけど英米の四文字言葉ほどメインストリーム音楽には受け入れられていない。)
黃偉文は軟硬天師先輩から引き継いだ「まじめなふまじめ」さと、既存の楽曲に対するパロディ的な視点が黃偉文作品の特徴となる。1995年「別れても好きな人」への思いを歌う典型的なカントポップのヒロイン像を逆手にとった李蕙敏(アマンダ・リー)の『(你沒有)好結果』=「幸せになってね(なんて言わないから)」が出世作となった。
等欣賞你被某君
(楽しみだわ いつかあなたが誰かに)
一刀插入你心
(心をズタズタにされるのが)
加點眼淚陪襯
(涙でも流せばもっといい)
來讓你清楚
(はっきりわかるでしょう)
我當初嘗到的折磨
(私が舐めさせられた苦難が)
你親身試清楚
(身をもって知ればいい)
如凡事亦有因果
(何事も因果応報だってこと)
心をズタズタに、と訳したところは「(誰かによって)あなたの心に刀が刺されることを」と具体的/ビジュアル的になっているところがなかなか辛辣ですばらしい。ひどい目にあって別れた後にこれくらいの気持ちになることは当たり前だと思う(むしろ自分で本当に刺しちゃわないだけ立派だ)けど、この曲が意外な歌として迎え入れられるほど当時のカントポップの女性像は凝りかたまっていたようだ。
そんな時代に2人のワイマンによる歌姫概念の、そしてカントポップそのものの脱構築がはじまることになる。
