獅子山下:移民経験というモチーフ 【香港カントポップ概論:1970年代③】
【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1970年代編: "我係我" カントポップの誕生 ③

香港の歴史において1970年代は、「香港意識」ないし「香港人意識」が生まれた時代として語られる。
香港があるのだから香港人意識も香港意識もあって当たり前だと思われるかもしれないけれど、戦後の香港社会は隣接する広東を中心とする中国大陸各地から集まった人々が形成した「移民社会」だったから、彼らの間に共通の意識が芽生えるのは必ずしも自明のことではなかった。
香港の著名な社会学者の呂大樂先生は『那似曾相識的七十年代』という本の中でこの1970年代に焦点をあてて当時の社会の変化を分析している。
大陸での戦乱や政治的動乱・貧困などを逃れ、一時的な避難所として香港に移住してきた人々の間に経済成長や公共政策によってある程度生活の安定がもたらされたのが70年代だった。それは誰もが「あの頃はよかった」と思い出す黄金時代で、日本で出版された香港関連本では香港にとっての「三丁目の夕日」の時代、と説明されたりもする(『香港を知るための60章』p.35)。
そんな時代だから困難から安定へ、移住から成功への物語はある程度人々の共通体験で、ポップスを含めた当時の香港のポップカルチャーに明に暗に描かれる通奏低音になっている。
地理学者・社会評論家の梁啓智は、ネット上で連載している香港についての入門講座『香港第一課』の第5回「香港人アイデンティティは中国人アイデンティティと対立するものですか?」の中で、前回とりあげたドラマ発の流行歌に言及しながら、この香港移住者の「落地生根」(移り住んだ土地に根をおろす)経験についてまとめている。
(ほかの連載も、香港が抱える問題に非常によくまとめてあるので、中国語のわかる方はぜひ気になる部分だけでも一読されることをお勧めする)
中でも林子祥(ジョージ・ラム)が歌った1979年の『抉擇』(選択)は、まさに家を離れた人が新しい土地を「家」とみなすようになる心理の変化を歌っている。
幾多往時夢 幾許心惆悵
(どれほど夢に見て どれほど嘆いてきただろう)
別了昔日家 萬里而去 心潮千百丈
(昔日の家に別れを告げ 万里を歩み 心は荒波に揺れた)
(…)
闖一番新世界 挺身發奮圖強
(新たな世界に身をおき 身を投げ打ち発奮して)
要將我根和苗 再種新土壤
(私の根と芽で持って 新たな土地に種を蒔こう)
就算受挫折也當平常 發揮抉擇力量
(挫折をしてもいつものことと 決意の力を発揮して)
再起我新門牆 似那家鄉樣
(新たな我が家の扉をあければ あの懐かしい故郷のようだ)
最後のリフレインでは、末尾の一節が「懐かしの故郷よりすばらしい」("勝我舊家鄉")と変えて歌われ、新天地での暮らしに対する「落地生根」的な心境の変化が示されている。作詞家は黃霑(ジェームズ・ウォン)で、自身も1949年、8歳の時に父とともに香港に移り住んでいるから、半ば自伝的な詩だったのかもしれない。
梁によれば、このような移民経験に付随してこの時期の文化にあらわれるのが、「自分たちが一から」香港を作り上げたのだという意識だ。この成功の物語では、香港がかつては「地の果て」だったことが強調される。
たとえば甄妮(ジェニー・ツェン)が歌った1981年の『東方之珠』は、「若以此小島終身作避世鄉/群力願群策/東方之珠更亮更光」(もしこの小島を終生の避難所とし、皆で力を合わせれば、東洋の真珠は更に輝くだろう)と、香港をただの「小島」として描写している。
同様に移民経験を歌い、今日にいたるまで香港を代表するアンセムとして親しまれた羅文(ロマン・タム)の1979年の歌『獅子山下』にも似たような描写がみられる。作詞は『抉擇』と同じく、ジェームズ・ウォンである。
獅子山は九龍と新界の真ん中あたりにある山で、横を向いたライオンのような山並みからこの名前で呼ばれている。この山を見上げる地域に移民/難民が集住した地域があり、この歌は「獅子山の下」に住んだ彼らの経験を歌う。
人生中有歡喜 難免亦常有淚
(人生は喜びあれど 涙もつきもの)
我哋大家 在獅子山下相遇上
(ぼくらみんな 出会いは獅子山の下)
總算是歡笑多於唏噓
(思い出すのは 泣く声より笑う声)
人生不免崎嶇 難以絕無掛慮
(人生は山あり谷あり 悩みはつきもの)
既是同舟 在獅子山下且共濟
(乗り合わせた運命だと 獅子山の下)
拋棄區分求共對
(違いを投げ捨て 共に向き合った)
獅子山の下での共通経験は、さまざまな違いを持つ人々を協力させる原動力として描かれており、その様子は「同じ船」(同舟)と例えられるている。サビ(なのか?)でも「同舟人/誓相隨/無畏更無懼」(同じ船の人々が、誓い共に行けば、何も怖くない)と歌われる。
『東方之珠』では「小島」と「東洋の真珠」が対比的に描かれていたように、『獅子山下』の2番でも、そんな移民たちの努力が香港を成功に導いたことが、「海角天邊」(地の果て)と「不朽の"香江"(香港の雅称)の名句」という対比によって強調されている。
同處海角天邊 攜手踏平崎嶇
(この最果て 手を取り山も谷も超え)
我哋大家 用艱辛努力寫下那
(ぼくらみんな 汗と涙で書き残す)
不朽香江名句
(かの不朽の誉れ 香しの港)
かつての香港が何もない地の果てだったかはさておき、戦後大陸から流入した資本と労働力(つまり移民)によって軽工業が発展したのは事実だ。この当時は、人々が実感できるような経済成長の最中にあったのだろうし、だからこそこの歌が香港の経験を象徴するものとしてずっと歌い継がれてきたのだろう。
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この歌が歌う「苦しくてもみんなで力をあわせればうまくいく」という「獅子山精神」は、今も香港のモットーとして語られ続けている。
2013年、香港政府は、香港市民の連帯感を高めるための「家是香港」(我が家は香港)キャンペーンの一環として『同舟之情』という楽曲を制作した。
歌詞は基本的に『獅子山下』の改変で、「攜手走過崎嶇」、「不朽香江到處是名句」など、オリジナルからとった語句をちりばめて「同舟」の人々としてこれからも頑張りましょうと香港市民に呼びかけている。オリジナルの『獅子山下』も曲の途中で歌われている。
問題は香港が『獅子山下』が歌ったような社会とは根本的に変わってしまったことだ。金融センターとして成長し尽くした今の香港はもはや「小島」ではない。そこにはかつてのような社会の流動性は残されておらず、その上返還後には大陸から資本・人が流入していて、発展・開発は今の香港の若者から遠いところで進んでいっている、という指摘もある(Yiu-Wai Chu『Found in Transition』)。
そこに30年以上前の歌の焼き直しで「同舟人」としての意識を取り戻そうとする政府の試みは、当然ながら香港の現状を無視した非現実的なものであるとの批判をまねき、ネット上では替え歌が大量に作られるようになった。この曲の美しい物語が描かなかった社会・政治の矛盾は、翌年に雨傘運動という形で噴出することになった。
しかしそれでもこの獅子山言説はその後の政府の公式の物語であり続けている。2017年に就任した現在の行政長官キャリー・ラムは、就任式でのスピーチでこの『同舟之情』を引用して、ひとびとと「共に歩む」(同行)ことを呼びかけた。その言葉が説得力を持ち得ていないことは今年6月以降の香港の展開が示している。
昨今の新しい運動の中で『獅子山下』に次ぐ新たなアンセム『願榮光歸香港』(香港に栄光あれ)が生まれたことは偶然ではないだろう(→ 過去記事 夜明けを待ちながら:香港と「黎明」)。そこでは香港は「人々の努力によって輝いたかつての小島」ではなく、かつての栄光を失った「光復される(=取り戻される)べき」地として描かれている。
今も獅子山は香港の象徴であり続けているけど、そこに結びつけられる物語は変わった。かつては現在ないし未来に置かれていた香港の光は、この新しい「国歌」では取り戻すべき過去にある。
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