說不出的未來:カントポップと香港返還 【香港カントポップ概論:1980年代⑤】
【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1980年代編: ”今夜星光燦爛" スターたちの時代 ⑤
70年代には「挑戦」だったカントポップも1980年代には安定期に入って産業化が進み、スター生産システムもフル稼働し、香港のエンタメ界は黄金期を迎える。
しかしこの栄光の80年代は、香港の「未来」に対する不安が影を落とた時代でもあった。レスリー・チャンが『Monica』で華麗なブレイクを果たした1984年の年末、2年前から開始されていた英中交渉の結論として中英連合声明が発表され、1997年7月1日をもって香港が中国に返還されること、返還後も香港の制度は50年の間は変えず、当時の中国の最高指導者・鄧小平の表現によれば「馬も走り続け、ダンスも舞い続ける」ことが決まった。
エンタメ産業の成長の裏に芽生える1997年への不安は、夏韶聲(ダニー・サマー)の1988年の曲、『說不出的未來』(口にできない未来)に象徴的に要約されている。
愛上了電視 不須要思索
(テレビに恋して 考えなくていい)
模糊面對工作 日夜去奔波
(ぼんやり働き 昼も夜も駆け回る)
偶爾看出戲 漆黑裡歡樂
(たまに見る映画 漆黒の中の快楽)
我愛你那歌曲天天播
(毎日流れてる 君のあの曲が好き)
曾話過 賽馬不禁 跳舞自由
(かつて言った 競馬は禁じない 踊りも自由だと)
曾話過 這裡不變 我會逗留
(かつて言った 変わらないなら 僕もここに残ると)
你問我 我為何 說不出對未來的感覺
(君が問う なぜ僕は 未来への思いを口にできないのか)
戦後の移民経験とそこから抜け出すための努力が70年代の流行曲を貫くライトモチーフだったとすれば、80年代カントポップのそれは、この迫りくる「何とも言えない未来」への不安だろう。
きっとそれは、最初はかつての「祖国」と再びうまくやっていけるかという漠然とした不安、達明一派の1988年のアルバムのタイトルのような、『你還愛我嗎』(まだ僕を好きですか?)という不安だったはずだ。
你還愛我嗎
(まだ僕を好きですか?)
我怎麼竟有點怕
(僕はなんだか少し不安)
現況天天在變化
(日々変わりゆく情勢の中)
情感不變嗎
(感情も変わらないだろうか)
そんな不安の中で、海外への移住も再びブームになる。サム・ホイも『日本娃娃』の中で、日本人の女の子と結婚する将来を妄想する主人公に「1997なんて恐るるにたらず/原宿にいって寿司屋でも開くさ」と歌わせたけれども、実際に(寿司屋は開かないにせよ)カナダなどの外国への移住を選択する人は多くいた。
ジェームズ・ウォンはこの時期、友人が多数海外へいってしまったことを受けて、映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の挿入歌『黎明不要來』(夜明けよこないで)の中で、夜明けを恐れる幽霊の気持ちを借りて、来るべき返還への不安を歌詞にしている。
不准紅日 教人分開
(赤い日が 人々に別れを教えぬように)
悠悠良夜 不要離開
(長く良き夜よ どうか離れないでいて)
達明一派の『今天應該很高興』(今日はとても楽しいだろう)も、そんな移民ブームのなかで香港に取り残される気持ちを歌う。クリスマスが近づき、今年も街がにぎやかになるけど、友人たちは海外にいってしまっていてここにはいない。
タイトルにもある「今日は楽しいだろう」「今日は暖かいだろう」という言葉のあとには「もしも」という言葉が続き、「楽しい」「暖かい」といった明るく前向きな歌詞だけを使っているだけに、友人たちのいないクリスマスの寂しさがより一層浮かんでくる「一文字も悲しい文字のない悲しい歌」(『歳月如歌』116頁)になっている。
80年代最後の年、1989年に起こった出来事により、漠然とした不安は現実のものとなる。この年の4月、北京の天安門広場に民主化を求める学生たちが集まりはじめると、当時はまだ「香港がリードして中国大陸を変えるのだ」「返還されても大陸を香港化していけばよい」という上から目線の楽観論も濃厚だったこともあり、香港でも支援の動きがおこる。
この流れで5月には大規模なチャリティーコンサート『民主歌聲獻中華』(民主の歌声を中華に届けよう)が開催された。ジェームズ・ウォンら香港エンタメ界の大物が呼びかけたこのコンサートには、多数のアーティストが参加し、香港を離れていたらしい人(レスリーとか)をのぞいて、これまでこの概論で言及してきた歌手やバンドのほとんどが参加している。出演予定のなかったテレサ・テンが、家で中継を見ているうちにいてもたってもいられなくなりスッピンで駆けつけて歌ったことも伝説になっている(平野久美子『テレサ・テンが見た夢』ちくま文庫 に詳しい)。
いまこのコンサートに参加したアーティストのリストをみると、昨今の香港の民主化運動にはまったく関わりを見せないような、それどころか公然と反対するような人々もふくまれていておどろく。今ではスッカリ北京政府にべったりの印象のあるジャッキー・チェンもこの時はしっかり出席し、声を張り上げて歌っている。
今年の6月、一連の反逃亡犯条例運動の中、警察を支持する集会にアラン・タムとケニー・ビーが出席して運動への無理解を示すスピーチを行い、かつてのファンを失望させた(Wynners時代の貴重な思い出のレコードを破壊する人もあらわれた)際には、彼らがこの時のコンサートに出演する様子がネットメディアなどで繰り返しとりあげられていた。
とにかくそれくらい、この当時は「中国に民主を」というのが香港社会の総意だったということだろう。
しかしこの声は届かず、6月4日、いわゆる天安門事件がおこり、この衝撃とともにカントポップの1980年代は幕を下ろす。
ジェームズ・ウォンは、翌年の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』の挿入歌『人間道』で「少年が怒り天地は泣き叫ぶ/かつての江山がなぜ血の海に変わるのか」と嘆き、達明一派は同年『神經』(狂ってる)と題されたアルバムにこの事件に対する様々な角度からの批判をこめてリリースし、活動を休止した。レスリー・チャンも宣言通りサヨナラコンサートを終えると香港を離れてしまった。1991年の年末にはダニー・チャンが引退を発表し、Beyondが日本に拠点を移すことを決めた。
香港の空から星が消えた、かのように見えた。
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1980年代の香港はカントポップの産業化が軌道に乗り、アップテンポなポップチューンを華麗に歌うスターたちが躍動した星の煌めく時代だった。
しかしその星空は、まさに達明一派が『星の煌めくこの夜に』で描いたような、迫り来る闇への不安を裏に抱えた星空だった。
1997年のタイムリミットの近づく中、スターたちは示し合わせたように同時期に香港の楽壇をさり、まさにカントポップの「輝きもここまでか」と思われたが、変わらず稼働し続けるアイドル製造産業がすぐに新世代のスターたちを送り出していくことになる。
カントポップは、けばけばしいほどの輝きを放つ最盛期、1990年代を迎えようとしていた。
1980年代編: ”今夜星光燦爛" スターたちの時代・完
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1990年代:"一起走過的日子" 最盛期と陰り
→ (1)每天愛你多一些:四大天王たち
