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【小説】『問いのあとに』〜ミチオ講演記〜


博物館の一角に、今も一枚の張り紙が残されている。そこには、かつてある青年が書いたたった一行の問い――「ぼくは なぜ いきているのですか」――が、淡く光を帯びている。

本作『問いのあとに』は、その問いを残した青年・ミチオが、長い沈黙ののち生前に行った一度きりの講演、そしてその前後の静かな日々を描いた記録である。彼は生涯答えを求めなかった。

けれど、その沈黙のなかから、誰かに問いを渡すことだけはやめなかった。――それが、後に「ミチオの講演」として教材や展示に残り、

今なお幾つかの群れや学徒に語り継がれている。ここに記すのは、その「講演」の日と、そこに至り、講演の後のひとりの個体のささやかな記憶である。

静かな午後の展示区、柔らかな風の中に、ミチオの声が微かに響く――


第一部 講演「畑と風と、すこしの話」

宇宙生命体博物館の中央ホール。

その壁には、ある張り紙の複製が掲げられていた。

 「ぼくは なぜ いきているのですか」

ホールに備え付けられた、数百の観客席には博物館の職員はもちろん惑星連合からの観察官、他惑星から来館した生命体、講演者の群体出身者、AI媒体の聴講端末が並ぶ。その中央に、灰色の作業着を着たひとりの老いた男が立った。その名は、ミチオ。

【講演本編】

「……こんにちは。風が、よく吹いています。今朝も畑の花がいくつか倒れていました。それを起こして、水をやって、それで一日が終わります。

昔、ぼくは紙に問いを書きました。『ぼくは なぜ いきているのですか』と。でも、正直に言えば、答えが知りたかったわけではありません。“真実”というものに興味がないのです。答えを得ると、風が止んでしまう気がするのです。

今まで、いろいろ考えました。けれど、いつも考えがまとまるより先に日が暮れ、明くる日にはまた風が吹く。それをくり返していたら、いつのまにか歳を取っていました。

真実というのは、静止したもののようです。けれど、生きているあいだ、私たちは止まれない。だからぼくは、真実よりも“流れているもの”のほうを信じています。風や、水や、問いそのもののような。問いは、答えを求めるためではなく、ただ“吹いている”もの。生きているあいだ、それといっしょに揺れていればいい。」

少しの沈黙ののち、ミチオはゆっくりと言葉を続けた。
「昔、夜の風の音を聞いて、“だれかが呼んでいる”と思ったことがあります。それは幻でした。けれど、その幻のほうが現実よりあたたかかった。いまも答えは知りません。でも、あの風の音だけは、まだ耳の奥に残っています。たぶん、生きるというのは、その音を忘れないことかもしれません。」

【質疑応答】

ミチオの言葉が途切れたあと、司会が声を上げる。「あなたは五十年前にその問いを書かれました。答えは見つかりましたか?」その問いに、ミチオは少しだけ首をかしげて答えた。

「“見つからない”という言葉は、きっと“見つけようとしている”あいだだけのものです。風は、捕まえようとすると消える。でも、吹いていることは確かです。それで、充分でしょう。」

ミチオはその言葉を言い終えると、会場に静かな拍手が広がった。ミチオは一度だけうなずき、静かに壇を降り、畑へ向かった。

第二部 観客アンケート抜粋  

ある来館者からのアンケートを掲載する。

> 来館者番号:A-203/居住惑星不明
最初は、退屈な老人の話だと思った。だが、なぜか途中で息をのんだ。何も理解できないのに、胸の奥で何かが静かに動いた。「真実よりも流れているものを信じる」という言葉が、今も耳に残って離れない。帰り道、風が頬に当たった。それだけで、私は少しだけ“答え”に触れた気がした。

第三部 講演の前後のミチオ

【講演の依頼】

「ミチオさんに今度の講演をお願いできますか?」博物館の職員が畑にやってきた。ミチオは作業に使っている鍬を立てかけ、首をかしげた。

「……話というほどのものは、ないけれど」「それで構いません。あなたの言葉を聞きたい人がいます」「風の話でも、いいか」「ええ、ぜひ。」そんな2人のやりとりで講演は決まった。

講演の報酬は金銭でも勲章でもなく、館内の展示区画の一角、ミチオが世話してきた畑を、半永久的に保存してもらえることになった。「……そうか。」ミチオはそれだけ言って、鍬を再び手に取った。

【講演の翌日】

ミチオは講演の翌朝も畑に出た。花を支え、水をやり、風を受けた。昨日と同じ朝だった。

畑を耕していると近くにいた職員が声をかけた。「昨日の講演、配信で大きな反響がありました。宇宙のいくつかの教育星域では教材にも引用されるそうです。」ミチオは鍬を動かす手を止めず、ただ一言言っ「……風が吹いている。」。

それで2人の会話は終わった。

その日の午後、博物館掲示板には〈“問いの講演”資料登録決定〉と貼り出された。だが、ミチオはそれを見に行くことはなかった。

第四部 天界の畑と、風の向こう

天界の畑にも風が吹いていた。
季節も時間もないはずなのに、なぜか風の流れだけが確かにそこにあった。

ミチオは、焚き火の前に座って土をほぐす。
昼も夜もないが、手は自然と動く。草を抜き、石を拾い、水のない畝を撫でる。

それは展示区の畑での作業とまったく同じだった。
ただ、音も温度も、あの日々より少しだけ薄い。火のはぜる音も、風の音も、すぐに霧の向こうへ消える。

それでも、手を動かすたびに、あの張り紙の文字が、心の奥でかすかに光った。

「ぼくは なぜ いきているのですか」

あの講演を思い出す。質問をした司会者の姿、拍手の音、遠い惑星の風――あのひと時はいま思えば、“答えを見つけるための時間”ではなく、“問いを外へ渡すための時間”だったのかもしれない。

風に混じって、かすかな振動があった。
耳ではなく、胸の奥で聞こえるような響き。

それは、かつて講演のあとに届いた感想の言葉のようにも、まだ生まれぬ誰かの呟きのようにも感じられた。「問い」を抱く声が、遠い場所から微かに応えるように揺れていた。

ミチオは土に手を置いた。冷たくも熱くもないその感触の中に、自分の輪郭がゆるやかに溶けていくのを感じる。形を失っていくのではない。逆に、形の外へと広がっていくようだった。

「外の世界……」ミチオが口に出した言葉は音にならず、風に吸い込まれた。けれど確かに、どこかで誰かがその響きを拾った気がした。

ミチオは悟った。外界とは、例え肉体を持たなくても近づける場所。名も形もないが、問いの残響だけが届き得る場所であると。

その瞬間から、ミチオのまわりの霧はわずかに震えた。風が逆巻くわけでもなく、音が鳴るわけでもない。けれど、世界の表面がきらりと反射したような変化があった。

それはミチオの新たな“歩み”の始まりだった。

霧が震え、天界の朝が淡く訪れる。

まだ誰も、ミチオ自身も知らない、姿なき残響としての旅。彼の内奥で、その小さな波が確かに生まれた。遠い星々の観測機が、気づかぬほどのわずかな揺らぎを記録していく。

それは風でも声でもなく――“問い”そのものの鼓動だった。

問いとは、答えの手前にある静かな橋のようなものだ。誰かが渡りきったその橋を、また別の誰かが見つけ、もう一度渡ろうとする。

ミチオが残したものは、答えではない。
彼が差し出したのは、問いをもう一度世界に流すための小さな風だった。
その風がどこまで届くかを、彼は知らない。

けれど――
誰かがその風に頬を撫でられたとき、ほんの一瞬でも“生きている理由”を思い出すなら、それだけで十分なのだろう。
そしてその瞬間、問いはまた新しく生まれる。
どこかの誰かの胸の中で。


講演したミチオについて知りたい方は、この小説をどうぞ!


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