新卒の食品会社を試用期間で切られた話
笹史です。今回は大学を卒業後に新卒入社した企業を試用期間で解雇された話を書いていきます。決して楽しい思い出では無いですが、私という人物を伝えるには重要なエピソードです。この記事は別のブログで書いた記事のリメイクですが、その時はASDやADHDは未診断であり単に適正が無いくらいにしか思っていませんでした。ASDやADHDと診断されたことを踏まえ内容を改定します。
①採用から入社まで
ア.入社するまで:地獄の始まり
私は某名古屋の私立大学農学部の環境系学科出身でした。専攻は環境系ですが、農業や食品の分野も興味がありこれらの系統の授業も他学科履修で取っていました。
新卒では専門を生かせるこれらの分野に絞って就職活動をしておりました。環境分野以外も受けたのは、単純に環境系の求人が少ないからでもあります。同じ学科の周囲も、食品メーカーや商社、銀行、ハウスクリーニングといった様々な分野を受けていました。理系なのに銀行や商社…と思う方もいるでしょうが、農学部は理工学部の機械系や電気系程は専門的な需要が無いため(そして学生もそれを求めていない)、文系就職も数多かったです。加えて理系全般に言えることですが学部卒では研究職の求人は殆ど無く、多くは総合職or製造職or営業職の求人でした。
私の新卒就活ですが大学3年生の3月から採用試験を受け、農協や食品商社,分析会社等様々な企業を受験しましたが中々内定が出ませんでした。そんな中、10月終わりに新卒で就職することになる漬物製造のこの会社をインターネットで発見しました。ここの採用試験を受験したのは専門分野が生かせるのも1つですが、味噌の工場を3年の授業「微生物利用学2(発酵・醸造学)」のの一環で見学して職人に憧れたのも理由の1つです。
そんな訳で説明会&工場見学をして採用面接(2回予定)を受けることになるのですが、大学祭直後の11月上旬にあった採用面接1回目で自分一人でした。そんな訳で、最終面接となり筆記試験かつ個人面接となり数日後に採用が決まりました。
イ.内定から入社まで:入社する会社を間違えた?
11月に遅ればせながら内定を獲得、卒業研究も進めながら自動車学校も卒業し、年が明けました。会社が主催する新年会に参加する機会があったのですが、その会で配属予定の製造部主任が「この仕事は体力勝負だぞ。デスクワークではないぞ」ど酔った冗談で私に言ってきて厳しそうな職場だなと嫌な予感がしました(余談ですが中学時代の体育は3で時々2)。
ここで一瞬内定辞退も頭によぎりましたが、時は1月末で卒業研究の追い込みもあったので入社することに。11月の採用面接で自分以外が居なかったのは厳しさを予感して辞退したのかもしれませんがそれに気づいたところで「後の祭り」です。
しかし今思うと、私の研究室の同期でも夏ごろ決まった会社を就活を再開させ食品メーカーの製造職に内定を貰っていました。なので、再開しても良かった気がしますが、別の企業に内定をもらったとしてもASD+ADHDの特性から新卒で入った企業と結局同じ結末を辿っていたでしょうが(新卒の会社から発達障害の診断を受けるまで4社連続で短期離職)。
新年会の後は嫌な予感もしながら、他の会社に内定した研究室動機が入社前の課題に追われる中で、入社前研修もなく卒業まで時が流れました。卒業式も終わった3月末に総務の方から電話がかかってきて入社式関連の連絡がありました。そして4月になり入社となり、片道一時間半かけて実家から会社まで通勤する社会人生活が始まります。
②93日後に解雇になる新入社員
A.4月:1人だけいきなり出遅れる。
入社した週に入社式と2日間の中小企業合同の新入社員研修がありました。新入社員の顔ぶれは、男性3人(私含め)と女性1人で、その内の男性1人は第2新卒ということで昨年よりアルバイトで仕事を既に始めていました。4人とも製造部への配属で、私含めて男性3人は漬物の漬け込み(と言ってもいきなり漬け込みではなく最初は補助)が部署、女性1人は包装がメインの部署に配属されました。新卒段階で製造部としての募集なので予定通りでしかなかったのですが。
仕事は先輩社員の漬け込み補助がメインでしたが、ベテランパートは新卒の他の2人と比べても大分遅いこともあり初日から色々言われました。初日は、漬物の材料を漬け込むための加工をパートさんと一緒に行いました。先輩社員に仕事中に分からない単語を質問したり、朝礼や終礼で発言したりと仕事が出来ないなりに意欲は見せていたつもりです。意欲だけではどうにもならず他の同期と日に日にスピードは開いていく一方でした。
今思うと、仕事ができないのはASD,ADHDの特性に加え、発達性運動障害(DCD,但し未診断)によるものだったでしょうが、新卒段階で気付くわけもなく単に無能・向いてないくらいにしか思わなかったです(新卒で気付けるなら学生時代に診断されていた)。
B.5月:差を付けられる一方で・・
漬け込みの補助に加え先輩のやっている仕事も教えられて少しづつ行うようになりました。しかし、例のごとく作業の手順を覚えるのにいっぱいいっぱいで、スピードを上げる余裕まではありませんでした。管理職から先輩社員や同期と私がスピードを競わされたことがありますが、いずれも大差で負けてしまい心が折れかけました。この頃から上司・先輩社員のみならず同期にまで、「遅すぎる」と注意されるようになりました。
定時でも辛かったですが、残業があると遠距離通勤(片道2時間)ということもありホントに体力的に厳しかったです。最長で残業5時間の時もあり、終電に間に合わなかったため一人暮らしが決定しその準備も始まりました。残業になる時は弁当やパンが支給されるのですが、支給されたときはただでさえ苦痛な仕事が「残業」とわかり余計に苦痛でした。今思うと辞めればよかった気もしますが、当時は「石の上にも3年」と思っていたので続けることにしました。まあここで辞めて次に行ったとしても、新卒含め4つの会社を短期離職しているので発達障害の診断を受けなければ同じことだったでしょうが。
C.6月前半:危うくなる立場
5月末からは新人研修の一環として本来の部署である製造部以外に品質管理室(ここの室長は採用面接でネタ帳を面白がって評価してくれた。ネタ帳はブログの原点です。)や店舗販売にも一時的に配属されました。
しかしそれらの研修でも、他の同期と比べて経験させてもらう仕事の幅が少ない上、他の新入社員が連れて行ってもらえた合同企業説明会も唯一連れて行ってもらえ無いといったことはありました。既に会社は私を試用期間で切る可能性は考えていたのでしょう。仕事ぶりは最早言うまでもありません。特性により差を付けられ、出来ることが増えて行かなかったです。
同期からも、「お前、このままだとやばいぞ」といったニュアンスのことを言われるようになりました(同期に関しては人事権もないので、単なる純粋なアドバイスでしょうが)。直売部の研修時には仕事のできなさや運転の下手さで、店長から干されたり、社長から厳しく叱責を受けたりしました。
おまけに、ここで人生初の一人暮らしを始めたということもあり余裕が無くなりました。同期(九州出身者の醤油屋の息子もいた)には最初から「なぜ一人暮らししなかったのか?」と言われていましたが・・
そして、店舗研修の最終日である日曜日でした。会社から「話がある」と連絡があり、私は呼び出されることになったのです。
D.6月後半:最後通告~毎晩の面談でボディブローのように消耗~
呼び出された私は本社の面談室で6月中旬の日曜日の夜に総務のトップ&役員(副社長ポジション)と面談することになり、今までの仕事の様子(できていない点)を質問&細かく伝えられた上で「このまま会社が要求するレベルに改善されなければ試用期間で辞めてもらう」「続けられるか否かはあなた次第」という旨を通告されました。2時間ぐらい面談した気がしました。
流石に私も3ヶ月で辞めるわけには行かなかったので、「どのような基準で続けられるのか」と質問しても、「続けられるか否かはあなた次第」としか返ってきませんでした。中小企業で無能に構う余裕もないのでさっさと解雇したいのでしょうが、労働基準法もあったので、試用期間で辞めさせるor試用期間をクリアしても面談を続けメンタル的に追い込んで自主的に辞めさせるという方針だったのでしょう。
別で語る予定の3社目に入社した携帯販売会社も同じように仕事が出来なかったのですが、その時は役員から試用期間残り2週間の段階で「うちでは難しい」と告げられ&同意したので辞めることになったので、新卒なので温情も一応あったのでしょう。辞める手続きなどでもその役員は面倒を見てくれましたし。
そしてここからは毎日終業後に面談があるので、しんどさ&プレッシャーで「仕事が辛い」モードでした。この後に入社する会社もことごとく「仕事が辛い」モードですが、新卒のここよりはまだ「マシ」でしたね。でも短期離職には変わりないですが。
この次の職場(CADオペレーター)も辞める1月前は、経緯や原因は異なるものの辞める前は同じような面談の毎日で精神的に追い込まれていました。面談まで追い込まれる≒クビという認識が出来上がってしまい、面談恐怖症になっています。今ならば親の目さえなければ、面談まで追い込まれたらさっさと辞める選択肢を取りますね。
レオパレスに居てもしょうがなかったので、休日のたびに実家に帰ったのですが、そこでも疲労困憊であくびばっかりしており親に心配されました。会社で自分が置かれている境遇はクビになるまで一切親には言わなかったですし、今も全ての真相は言ってません。というか、この後も(今の職場を除いて)ことごとく短期で辞めているので言ってもしょうがない気もしますが。
E.7月1日:試用期間でクビ。人生計画狂う。
7月の初日。1年で一番忙しい夏の繁忙期(土用の丑およびお中元)ということで漬け込みは中断となります。出荷時期ということで普段の漬け込みの部署では無く、パック詰め関連の仕事に配属されていましたが、特性のためか例のごとく作業の要領がつかめずパニック状態でした。いつものように社員の方に注意され、運悪くいつも面談している役員が視察に来ていたタイミングだったのが運の尽きでした。視察に来ていなくても一緒だったか、あるいは私を切るかの最終判断で来ていたのかもしれません。
そして、その視察が最後の一撃となり仕事後に呼び出されクビを宣告。
その時は親の目もあり「石の上にも三年」という考えに縛られていて、試用期間3ヶ月で辞めるなど予想もしていなかったです。宣告内容はパニック状態で詳しくは覚えていませんが、
といった趣旨でこれ以上雇うことは出来ないという判断でした。そして役員から実家の親に直々に試用期間で辞めてもらうことを電話されました。
宣告を受けたのが繁忙期ということもあり、作業の邪魔になるので厄介払いという理由もあると思います。早々に首になるのも、辞める人に教えるのもお互いに無駄ですし。
そんなわけで週末まで数日勤務し、給与口座のために開設した銀行の口座解約などの手続きも経て(役員同行)、最後に職場の人に簡単にやめることを挨拶して新卒の会社人生は終わりを告げました。その後せっかく引っ越したレオパレスも僅か1ヶ月で引き払うことになり、再び実家に逆戻りとなりました。
③結局試用期間でクビになった原因は?
今までの流れを見たらクビでもおかしくないと思いますが、ここで振り返ります。
① 入社前から薄々感じてはいましたが、肉体労働への適性がなかったように思えます。作業スピードが遅いだけでなく、20~30kgの重い漬物の原料を1日中運ぶような作業は、体育2の自分には厳しかったです。
② 加えて、仕事は体で覚える必要がありましたが、体で覚えるのがとにかく苦手でした。習得速度も同期に比べて明らかに遅く、食品工場であるため衛生上の理由でメモを取ることができませんでした。MBTIの心理機能で言うなら、Se(外向感覚)だけで覚えるような印象で、大学で学んだ農学の知識は不要どころか、むしろ邪魔に感じるほどでした(私の部署は高卒や中卒が多く、典型的な現業系の職場でした)。
③ 協調性のなさ。共同作業では歩調を合わせることができず、休憩時間の雑談でも話題が合わず、1人でいることが多かったです。業務の一つに、漬物を漬け込むための酒粕を熟成させる「粕踏み」という工程がありましたが、ここでも他の作業者と作業の歩調を合わせることができず、協調性の欠如が目立っていました。
④ 片道2時間の通勤。途中までこの通勤を続けていましたが、一人暮らしによる家事の負担もあるため、これが直接的な原因とは言い切れません。
これらの要因を振り返ると、④はともかく、①~③は2016年に元のブログ記事で書いた「適性のなさ」という生易しいものではなく、発達障害の特性が色濃く出ていたと感じます。
①では、**発達性運動障害(DCD、未診断)**による動作の苦手さに加え、ADHDの不注意によるミス連発が影響していました。②では、口頭だけの説明とメモが取れない環境が、**ASD(抽象的な口頭説明への対応困難)とADHD(注意散漫、メモを取れないことへの影響)の両方に影響され、覚えるのが非常に難しかったです。①と②の結果、定型発達の同期にどんどん抜かれていきました。③は完全にASDの特性(社会的な相互作用の難しさ)**が現れており、現在の職場でも昼休憩は1人で過ごしています。
この3か月間で発達障害の影響は確かに表れていましたが、新卒の職場では周囲はもちろん自分自身も発達障害であることに気づいていませんでした。そのため、周囲からは「仕事が覚えられない」「社会性が無い」という評価でした。仮にこの段階で発達障害と診断され、配慮を求めたとしても、従業員数50人程度の典型的な地元中小企業かつ現業系の職場では、「うちのような会社では配慮する余裕はない」と言われ、試用期間で解雇だったかもしれません。
そんなわけで、新卒での社会人人生は3か月で幕を閉じ、7月からは第二新卒として転職活動に入りますが、それはまた別の機会で語ります。
