私とお風呂
子どもの頃からの習慣は意外に抜けないものである。
我が家では入浴する際、家の風呂に入るということはほとんどなかった。祖母は「風呂のボイラーが壊れている、そのうち修理するから」と言っていたように記憶しているが、私は毎日のように近所の温泉銭湯へ連れ出された。いつも晩飯を終えるとすぐに、てぬぐいを首にかけてもらい黄色いケロリンの風呂桶に着替えを入れて風呂敷で包んだものを抱えたまま、家からまっすぐ海沿いを歩いていく。今日もあの熱い風呂に入るのか、今日こそは祖母の目を盗んでこっそり水で薄めてやろうと企みながら、道中にある漁師小屋に住み着いている野良猫とひとしきり戯れたり、釣りをしているおじさんたちの成果を確認したりして寄り道しながら歩いたりもした。側溝に流れてくる銭湯からのお湯がどんどん濃くなるにしだがって、よく知っている風呂の香りが漂ってくるのを追いかけた。
空が薄暗くなりはじめると銭湯の入口の窓ガラスが信号の色に照らされて、赤になったり青になったりして綺麗だなぁと思って何だかドキドキしたものだ。電気がついだりつかなかったりして、外から見ればやってるんだかやってないんだかわからないような、知らない人はあからさまに入りにくい雰囲気だったと思う。番頭が据わっている番台を挟んで、右側に女湯、左側に男湯に分かれた典型的な銭湯の造りになっている。大きな鏡面で仕切られ、女湯にはあのヘルメットのような昭和のパーマ機械が置いてある、今でいえばエモい風景だった。
当時私が住んでいた地域には3つも4つも公衆浴場があったが、歩いていける距離の銭湯はここらでなかなかの歴史があり、何より番頭のじさまばさまと祖母は旧知の仲であった。持ってきたじぇんこを番頭台に置き、木の鍵札がついた下足箱に靴とじぇんこ袋を入れて中へ入る。常連客のほとんどは風呂道具を預かってもらっているので、ばさまが預けた風呂道具を棚から取り出して籐でできた籠を二つ並べている間、祖母はずっと番頭のばさまとしゃべっている。祖母の方が年上であり、昔から祖母には世話になっていると言って今日の気温はどうだからはじまり、変わりはないか、痛いところはないか、何時に寝て起きているのか、朝晩何を食べたのかなど会話をしながら祖母を気遣っている様子だった。そして会話の最後にはいつも必ず「〇〇ちゃん偉いね」と声をかけてくれるのがちょっと照れくさかった。祖母は他の常連客とも挨拶をかわしてからまた同じ話が永遠繰り返されるので、私はさっさと服を脱いで先に中へ入ることにしていた。
湖のような絵が描かれた見慣れた壁の下には、浅くて高温の湯舟と深くてやや熱めの湯舟が2つ並んでいる。子供にはとにかくのたうち回るほど熱かった。水が出る水道は深めの浴槽にしかないため、子供の身長には深すぎてつかまり立ちがやっとの浴槽で、泳げない私は恐怖を感じながらこっそり蛇口をひねって自分が入る部分だけをぬるくしようと試みる。祖母やそのほかの常連客に見つかると大きな声で怒られるため、祖母と他の常連客が夢中になるような話を仕向けたりして必死にひとり格闘したのを覚えている。熱いからとすぐに浴槽から逃げ出したりすると、根性が足りない、そんなんじゃまだまだ大人になれないだの非難され放題なのが悔しくて、真っ赤かになりながらフーフーと口で大きな息を吐き、歯を食いしばって熱い湯に耐え続けた。だんだん慣れて長く浸かれるようになると「なかなか根性あるな、さすがアイさんの孫」なんて言われるものだから謎に嬉しくなり、得意げになったものだ。子供心に高温のお湯に長く入っていられることがステータスであり最も名誉あることで、心身の強さ、忍耐力の象徴であるかのような雰囲気を感じ取っていた。何十年も鍛え上げられた強靭な細胞でなんの躊躇もなく高温風呂に突撃して15分以上入っていられる祖母は、常連客から一目置かれているようにも見えていたので、とても誇らしく思っていた。
男湯と女湯の堺目が洗い場のガラスブロックを隔てているだけなので、それぞれでの会話も筒抜け状態だった。男湯の会話を聞いたうちの祖母は「あれ~〇〇さんいだんだが?」と大きな声で話しかけると「んだぉ~」と元気な返事が返ってきて頭の上で会話が飛び交う。父や兄と一緒のときには「そろそろ出るぞ~」と帰るタイミングを合わせるための合図もできたのが懐かしい。また、当時は浴室が扉一枚でつながっていたので、幼児に限りその扉を行き来することが許されていた。男湯の方がちょっと広くて水風呂がおもしろくて、おじさんたちは誰も優しくて笑わしてくれるという楽しみがあった。祭りの時期には、汗と酒でびっしょりの跳人衣装のまま駆け込んでくる大人がたくさんいたことも記憶に残っている。家にちゃんとした風呂がある同級生に会うことはほとんどなかったが、家族以外の大人に可愛がってもらえる場所があるというのは心強かったので、暑い夏も凍える冬の寒さも関係なく通ったものだ。
週1回の定休日には、一家総出で違う近隣の銭湯に車を走らせ、一味違う雰囲気を味わうのも楽しみであった。比較的新しい施設では同級生とばったり会って風呂の中で遊んだりもできた。行った先にはまた違った風情があり、ただ単にお湯を楽しむだけではない、各入浴施設ごとに繰り広げられる物語があるのだ。聞けば私が赤ちゃんの時から地域の入浴施設を転々としていたらしく、地域の人たちの手で風呂に入れてもらっていたらしい。祖母や母の話ではまだ歩けないうちはタライに入れて置いて遊ばせていたそうだから、当時はまだまだいろいろなことに寛容な世の中だったことが予想できる。どの風呂屋に行っても丸裸の状態をまじまじと見られ「あれ、おがったの~」と声をかけられ成長を喜ばれる体験はなかなかないだろうと思う。「ここはもう少しおがればいいのに」などと同性ならではのド率直な意見も聞こえてきた上に「背にばり栄養がいった」と勝手に納得してくれるのも全く持って余計なお世話であるが、風呂上りに牛乳をご馳走してくれるので良しとしている。したはんで背ばり高くなったんでしょ!!声を大にして言いたい。
子どもの頃から“風呂は外で入るもの”という刷り込みのせいなのか、多感な思春期の時でさえ毎日のように公衆浴場を求めて巡り歩くような生活を送ることになった。地元を離れ、県外で暮らすようになっても入浴の習慣は一切変わっていない。むしろ子供の頃よりさらに貪欲に追い求めるようになった。あれだけ苦労した高温風呂が今ではすっかり癖になっており、慣らし不要で高温風呂に突入し、10分以上は浸かっていないと気が済まないのだ。限界まで肌をいじめ抜き、急いで露天風呂へと続く扉を開け外に出て一気にクールダウン、その場で直立不動、仁王立ちを決め込むのが一番自分にとって快適な入浴方法なのだ。生まれた姿で空の下、何不自由ない解放感を味わい、そばに誰もいなければ様々なポーズを取って楽しんだり、鼻歌を歌ったりして過ごす。これを数回繰り返した後でやっと露天風呂に浸かっては30分以上浮かんだりトド寝している。様々な種類の浴槽を楽しむのはだいぶ後の方で、大体1時間半~2時間は風呂の中で過ごすことを週3回以上は続けてきている。休日には最大3つの入浴施設をはしごする、なんてこともよくあることだ。住んでもいない市町村の入浴施設であっても気に入ればすぐに回数券を購入してしまい、片道1時間半以内であれば気軽に通ってしまうのだ。
言うまでもないが、当然自家用車に風呂道具を常に載せている。知名度が高い有名な温泉や秘湯よりも、そのへんの日帰り入浴施設が好きだし、早朝から地元のじさまばさまが集まって世間話に花を咲かせているような公衆浴場が性に合っている。特にこの時代にさえインターネットに最小限しか載っていないような入浴施設が大好きである。大人になった私は昔の自分を棚に上げて、熱いからと水で薄める人を見つけたら大きな声は出さないまでもちょっと不機嫌オーラを全面に出してしまうかもしれない。根性が足りないと心の中で呟いてしまうのかもしれない。三つ子の魂百までと言うが、子どもの頃からの習慣は今でもちっとも薄まらない、地獄の釜くらい熱かったあの風呂のままである。
※高温風呂突入からの露天仁王立ちの繰り返し行為について、投稿者は特殊な訓練を受けているためなせる業です。丈夫で健康な体を持っていたとしても一般の方々には決しておすすめできない行為ですので、ご注意ください。
