2.何十万株ものコバノミツバツツジ
我が家の周りの何十万株ものコバノミツバツツジの大群生を紹介しますが、まずは土地の歴史から紐解きます。
我が家がある滋賀県湖南市のハイウェイサイドタウンは、北西を天山、北東を笹尾ヶ岳、南西を菩提寺山といった標高300m程度の低い湖東島状山地に囲まれています。この島状山地は、近江富士として有名な三上山なども含まれて、35㎢もの面積があります。この山々が、1970年ごろまでは、春にはコバノミツバツツジで全山紅紫に染まりました。
実はこの山々は、奈良時代になるまではスギ、ヒノキ、常緑樹の大木が茂り、それが伐り出された後はコナラなどの落葉樹の里山になり、室町時代にはアカマツ林に変わりました。そして、江戸時代の中期には、完全なはげ山になったのです。1764(明和2)年の土石流によって、元々あった八王子村は、完全に埋まって廃村になりました。
はげ山になったのは、地盤が花崗岩の範囲です。花崗岩は深くまで風化します。だから、集中豪雨によって、小さながけ崩れで岩や木の天然ダムができ、そこに溜まった水と一緒に大崩壊して、人家や田畑を埋め尽くします。江戸時代後期から、この山地の周辺では、水害・土砂災害が頻発しました。

その後、1883(明治16)年から、はげ山を階段状に均して、犬走と呼ぶ細長い平地の上に、田畑の土や草木灰を撒き、痩せ地に強いクロマツとヒメヤシャブシを植えるという砂防工事が始まりました。この工事は1950年ごろまで続いて、山の緑が再生されたのです。クロマツはアカマツに置き換わり、マツタケがたくさん採れて、コバノミツバツツジが群生するようになりました。マツ属、ツツジ属、ヒメヤシャブシを含むハンノキ属は、いずれも菌根菌と共生することで、痩せ地でも生育するのです。また、マツタケも、アカマツと共生する菌根菌の一種です。


ちなみに、我がハイウェイサイドタウンは、1966(昭和41)年に名神高速道路沿いの別荘地として開発されました。当時の販売業者のパンフレットには、「団地周辺を廻る8m道路に面した山手は、岩山をバックにした高級別荘向き住宅地としてご推売申し上げます。山腹は天然の岩組庭園となり岩間から湧き出す清水は、渓流や滝となって岩の間を走り、夏は河鹿の鳴く別天地であります。春はツツジの花盛り、夏は総て山緑に囲まれ、秋は紅葉の彩美しく、冬の雪景色も又格別で、四季夫々の風物面白く、都会の激務のお疲れをほぐす最適地として自信をもってご推撰申し上げます。」と記されています。

さて、我が家の約100株のツツジをドローンから撮影すると、色褪せた散り初めから、満開、まだ膨らまない茶色の蕾まで、こんな感じですね。

我がハイウェイサイドタウンの中を流れる子どもたちの遊び場にもなっている笹路川の土手にも、コバノミツバツツジが咲いています。昔は土手にもっとありましたが、道路拡幅で伐るのは惜しいと移植したのですが、うまく活着せずに枯れたのは残念です。

最近は雨でもない限り、コバノミツバツツジの山路を整備しつつほぼ毎日筆者が登っている天山の山頂から、名神高速道路と我が住宅地です。嬉しいことに、山頂からは南西を除く7方位が見えます。そして、滋賀県の高峰ベスト5の、伊吹山、金糞岳、御池岳、雨乞岳、武奈ヶ岳まで見渡せます。

筆者のランニングコースは、自宅から700mで入園できる、滋賀県内最大416haの、希望が丘文化公園です。林の中にはコバノミツバツツジがたくさん自生していますが、他の木々に覆われて、花付きは悪いです。管理された場所では、多くの花を咲かせます。あまりの見事さに「このツツジ何という名前」と、よく聞かれます。皆さんあまり知らないのですよね。

私が知る最も巨大なコバノミツバツツジは、高さ3m幅5mの株です。野趣が豊かで、枝が暴れるツツジですが、周りに雑木・雑草がないと、自然に少しは手入れした玉物のようになります。これより小さな株で5千輪咲いていると数えられた方がいたので、大きさを比べて3万輪と推定しました。

希望が丘文化公園の周りの、三上山、妙光寺山、鏡山、岩根山を含めると、林の中に埋もれているのも含めると、何十万株ものコバノミツバツツジが自生してます。そして、江戸時代にはげ山になった花崗岩の地域は、東海、近畿、瀬戸内、九州北部に広がり、ともに明治以降の砂防工事で緑化されて、コバノミツバツツジの楽園になったのです。
