見出し画像

働く親を見たかった。だから私は、“働く背中”を見せる。

私は、子どもの頃に「頑張って働く親の姿」を見た記憶がありません。
母はいつも家にいました。たしかに、私のそばで寄り添ってくれて、一番近くにいた存在でした。

母が働けなかった理由はたくさんあります。
働く以外のことを必死に頑張っていた母を、私は憎めませんでした。むしろ好きでした。
母なりに、働くことに努力もしていました。でも「仕事運がなかった」で済ませるには、あまりにも重なる不運に、私も悲しくなりました。

父は、転職の失敗から仕事が続かなくなった人でした。

子どもの頃、よく言われました。
「親がいつもそばにいてくれて、いいね」
たしかに、それは嬉しかった。楽しかった思い出もあります。
いつも見てくれている親が誇らしかったこともありました。
貧乏でも、いろんなことがあっても、家族で支え合えればいいと思っていたんです。

でも――
大人になって気づきました。「親がずっと家にいる」ことの重さ。
それは、将来にも続く“しんどさ”でした。
親が働かない。自立しない。
それは、子どもが大人になった今も、子ども自身を苦しめます。
仕送り、生活費の負担。本人に収入がなければ、年金もない。

私の兄は、きっと結婚をしないでしょう。母を優先すると言って、私と衝突しました。

子どもは、親が働いてくれていたことを、大人になってから理解するのかもしれません。
たとえ、当時は寂しかったとしても。

だから私は、息子に「働く姿」を見せ続けたい。
生きるために仕事をする。それは当然で、大切なこと。
たとえ、身体が思うように動かないときも、つらいときも、私はそれを隠さずに、息子の前で働き続けたいと思っています。

ある日、息子が言いました。

「ママとパパはいつもお仕事頑張ってる」
「ママはいろんなことを教えてくれる」
「パパは朝早くからお仕事行ってる」
「ママとパパはたくさん買ってくれる」
「大きくなったら、ぼくが仕事して、車を買ってあげる」
「頑張って保育園行くよ」

そのたびに、目の奥がじんわりと熱くなります。

私は、息子の人生の“足かせ”にはなりたくありません。
もし、動けなくなるほど苦しくなったら、私はきっと…自分で身を引きます。

息子には、優しくて、たくましい人に育ってほしい。
時代の変化に柔軟に対応して、私たちがいなくても自分の力で生きていける子になってほしい。
いつも、そう願っています。

お金は、あってもなくても、人を惑わせます。
でも、子どもはちゃんと親を見ています。
親同士がギクシャクしていることも感じ取ります。
それでも――
子どものために必死で働く姿を見せていれば、たとえ「遊んでくれなくて寂しかった」と記憶に残ったとしても、私のように親と絶縁状態になることはないはずです。

かつて、ずっと一緒にいてくれた親。
でも今は、血のつながりのある“他人”になってしまいました。

それでも――

本当は、今も母と並んで歩きたかった。

もう叶わないのかもしれないけど、

そんな気持ちを、ずっと胸に抱えています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
「スキ」で応援していただけたら、とても励みになります。

いいなと思ったら応援しよう!