#16 楽に楽なし、苦労に苦労なし
「楽に楽なし、苦労に苦労なし」
まだ大学を出たばかりの22歳、大学時代にできた円形脱毛症のあとがまだ残っていて、髪もうまく整わず、美容院に行くのも気が引けた新入社員の頃。
苦しさの真っただ中で、この言葉に救われた。
楽しか知らなければいつまで経っても楽にならないし、苦労してきたらどんなことでも難なくクリアできるようになる。
私の会社は地元の某ガス会社。
新入社員として3ヶ月ほど経ったある日、職場の人が気まずそうに「家の表札って……」と話しかけてきた。
「かまぼこの板ですよ」と、私は気にせず答えた。本当は恥ずかしかったけれど、開き直って笑ってみせた。
前の住人の表札が埋まったままの中古物件に引っ越して、表札代わりにかまぼこの板にガムテープを貼った。
戸建てで表札がないことの意味なんて知らなかった。ただ、「表札って高いんだな」と思っただけだった。
そのときに察したその人が「楽に楽なし、苦労に苦労なしや」って言ってくれたんだ。
会社は成長の過程にあり、初めて女性の新卒を採用した年だった。私はその一期生。同期は5人。専門知識を学びながら、切磋琢磨して過ごした日々は楽しかった。
けれど、収入があっても右から左へと消えていく。奨学金の返済が始まり、家には「もっとお金を入れて」と言われた。兄からの風当たりも強くなっていった。兄は自分が買った家という気持ちが大きくなっていた。だから私に住まわせてやっているという気持ちが強くなっていた。私は家に残ることを望んでいなくて、早く家から出たかった。家に帰りたくなかった。ただ眠るためだけに帰る家。
働いていない母は私の悪口を親戚に話して回り、昼夜逆転の生活、たばことゲームに明け暮れていた。単なる「心の病気」では語れない現実があった。
そんなとき、祖父が亡くなった。泣いた。いろんなことがあったけれど、私は祖父が好きだった。私にとって、父親代わりの存在だった。
これから祖母の介護や、叔父との会議が待っている。叔父はいつも厳しかった。経営者らしい一切の甘さのない人だった。「お前たちももう社会人だろう。母を守りたいなら、それなりに差し出すものがあるはずだ」と言われた。
祖父母から受けた恩に、応える気持ちはあるのかと問われた。
叔父は祖父の通院にも、祖母の介護にも関わっていない。金銭面でどれだけ支援していたのかはわからない。頼れる叔父だった頃もあった。でも、このときばかりは家族同士の対立になった。
そんな中、私の会社の会長が言った。
「お金がないなら、いつでも出してやる。助けてやる。」
弁護士も紹介してくれた。会計士は行政書士を紹介してくれた。その言葉と行動に、家族全員が泣いた。
金銭的に頼るつもりはなかったけれど、「私たちには味方がいる」と思えた。それだけで心が救われた。
祖父の葬儀には、兄の上司、私の部長も駆けつけてくれた。叔父の高圧的な言動に心が折れそうになったとき、本当に救われた。
あのときの恩は、感謝してもしきれない。
叔父の言っていることが正しいと、実は私もわかっていた。
母を守りたい。でも、母が悪いこともわかっていた。
それでも——母なりに、必死にもがいていたことも知っていた。
私たちは、ただ「お母さんがお母さんでいてほしい」と願っていただけだった。
