情報を得てからが地獄に感じた。なにも知らないことが幸せだった。
子どもの頃、ニュースなんてほとんど興味がありませんでした。
中学2年生の頃、私はアニメやドラマ、バラエティばかりを楽しみにしていて――ある冬、大雪で借家のアンテナが折れてしまいました。
今思い出しても、あの大雪は恨めしい。
(※この借家の話は、また別の「借家暮らし体験談」で書こうと思います。)
それがきっかけで、テレビがまったく映らなくなり、当時は携帯もなかったので、完全に「情報のない生活」になりました。
母の言葉がすべて。家の中が、私にとっての世界のすべてでした。
…でも、もしかしたら、あの頃はある意味「幸せ」だったのかもしれません。
テレビが見られなくても、もらったゲームがあれば十分だったし、BOOK・OFFで古い漫画を立ち読みするだけでも楽しかった。
少年ジャンプ系はほとんど読んでました。ONE PIECE、ナルト、銀魂。
少女漫画なら、怪盗ジャンヌやふしぎ遊戯がお気に入りでした。
買えるものはなんとかお小遣いをやりくりして買っていたし、ビデオレンタルも1本100円だったので、夏休みはアニメ三昧。
ビデオ屋さんが倒産したときは、レンタル用のパッケージそのままで100円で買えるようになって、いろんなアニメや映画を買い込んだのも、いい思い出です(笑)。
それから、カセットウォークマン。おばあちゃんからもらったもので、早送りしかできなかったけど、すごく愛用していました。
“音歩人”って書いてありました。時代を感じますよね(笑)
よさこいも家族チームで参加していて、「この小さな世界が私の全て」だと、何の疑いもなく信じていました。
今思い返すと――情報がなかったぶん、いろんなことがあっても、笑っていた気がします。
だから本当に、幸せだったんだと思います。
でも――高校、大学と歳を重ねるごとに、気づいてしまったんです。知ってしまったんです。
情報にあふれたこの世界で生きることが、こんなにも「苦しい」なんて。
「人は人、うちはうち」――母のよく言っていた言葉。
聞こえはいいけれど、なんと都合のいい考え方だったのかと、今では感じます。
違和感は日に日に大きくなり、「同じ人間なのに、なんで?」と、何度も思うようになりました。
…もし、あのまま中卒で働いていたら。あの情報のない世界のまま生きていたら――
違和感に気づくこともなく、きっと母と一緒に、別の「幸せ」を生きていたのだと思います。気づくのきっとずっと先だったかも。
そう考えると、正直ゾッとします。
「家族の違和感」に気づけた私は、果たして幸せなのか。
それとも、何も知らずに母と生きていた方が、幸せだったのか。
…私はきっと、これからも「今の生きづらさ」から解放されることはないと思います。
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