裁判員制度が始まった頃、私はまだ高校生だった
高校生の頃、法テラスで裁判員裁判のビデオを見た記憶があります。
当時は、ちょうど裁判員制度が始まったばかりの頃でした。
そのビデオには、突然裁判員に選ばれた人たちが、それぞれの立場から討論する様子が映っていました。
「なんでこんな制度ができたんだ」「俺がいないと会社が回らないから、さっさと終わらせるぞ」と苛立つサラリーマン。
「正社員は有給があるからいいけど、パートは時間給なのよ」と怒る女性。
環境も立場も異なる人たちが、最初は自分目線で語っていたのに、次第に事件や裁判の本質について向き合っていくストーリーが印象的でした。
その頃、我が家は労災裁判の真っ只中。
私たちは法律の知識も経験もなく、ひたすらに調べて、自分たちの主張が通るように必死でした。
社会保険料の仕組みや労働保険については、そのとき初めて知りました。
必死に調べて、自分たちなりに理解しようとしていましたが、「調べて知ること」と「実際の仕組みを体験すること」との間には、想像以上のギャップがあったように思います。
今になって振り返ると、あのときの私たちの主張が、どこまで法的に正しかったのかはわかりません。
それでも――あのとき、必死で声を上げようとした気持ちは、まぎれもなく本物でした。
法律というものは、「弱者を守る」ためにあるのではなく、むしろ「社会の秩序を守る」ためにある――
今の私は、そう感じています。
たとえ弱者であっても、法律に沿わない訴えであれば、容赦なく切り捨てられる。
それでもやっぱり、法律があるからこそ、守られることもある。
法律を知った上で、自分の主張と相手の主張の「落としどころ」を冷静に考えられるようになったのは、きっとこの経験があったからだと思います。
今、職場では、なかなか分かり合えない経営層と社員の間に立つこともあります。
その立場にいられるのは、きっとどちらの気持ちも理解し、どちらの言葉も伝えられるから。
「法律的に見てどうなのか?」という視点から問いかけることで、感情的になりがちな場面でも、話を冷静に戻すことができます。
経験が、学びを促し、学びがまた誰かの支えになる。そんな循環を信じていたいのです。
法律を知らないことで、優しい人が泣かなくて済むように。
身近な誰かの、ほんの少しの救いになれるように。
だから私は、これからも知識をアップデートし続けたいと思います。
