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手渡された“給食費未払い”の茶封筒―子どもに向けられた眼差し

私は「見えない貧困」をテーマに発信しています。このテーマを発信しようと決めたのは、自分の幼少期からの貧困の経験があったからです。育児を通して、どんな家庭の子どもであっても、「泣かせたくない。つらい思いをしてほしくない」と強く思うようになりました。


私にできることは、ほんのわずかです。実体験エッセイを通して、少しでも多くの人に「見えない貧困」があることを知ってもらえたら嬉しいです。今回は、「義務教育の給食費が払えない」というエピソードをお話ししたいと思います。


学校に行けば、当たり前のように給食がありました。お弁当の地域もあるかもしれませんが、私の地域は給食でした。小学生の頃は、給食費のことなど気にしていませんでした。

けれど、成長するにつれて気づいてしまったのです。先生から向けられる視線に、手渡される茶封筒の意味に。給食費を払っていないのに、みんなと同じように食べていることへの後ろめたさに。

そしてもうひとつ。教室でその茶封筒を受け取るとき、誰かに見られてしまうことが恥ずかしくて仕方がありませんでした。


払えないことは、子どものせいではありません。
けれど現実には、その視線は子どもに向けられてしまいます。

給食費の問題は、いろんな自治体で取り上げられています。
「無償にすれば栄養バランスが心配」
「有償にすれば払えない家庭が出る」
――そうした議論を耳にするたびに、みんな一律に平等というのは本当に難しいと感じます。どこかで線を引けば、必ずその外側に取り残される人が出てしまう。

線を引かずに、人によって制度をむやみやたらに変えてしまえば、一見、寄り添っているように聞こえますが、それを整える側に過度な負担がのしかかっているのも事実です。

私は思うのです。
傷つくこと自体は悪いことではない、と。
大切なのは、自分の環境すらもどう操るか。私は盾も持たずに生きて、何を言ってもいい人間として扱われてきた。それでも、良心のある人はその痛みに気づける。

だからこそ、悔しくても、傷ついても、立ち上がり続けてほしい。
私はそう願っています。

最初から強い人間なんていない。
強いと思える人は、どこかで立ち上がった人だと思います。

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