あなたにとっての“自由”?|#ちび創作大賞
みなさん、カワムラさんを知ってらっしゃいますか?!
僕が尊敬するnoteのAI漫画家さんの一人です。
以前、『顔のない問い劇場』でねんころさんに登場して頂いたときにも少しだけ触れさせていただいています。
カワムラさんは、主にAI(ChatGPTのヨシダ,Claude,Gemini)を交えたコミックエッセイを書かれてるんですが………
まず、いつも───
こんな破綻のないAI漫画って
書けるんだ?!(°∀°;)
と、いつもビビらされてます。
しかも……
毎日投稿で このとんでもない
クオリティだと?!(・_・;)
と、最早どうやっているのか想像もつかない……眩し過ぎる存在として、僕の目には映っています💕
※ちなみに、コミック部分を除いたエッセイとしても凄く面白くて、当初、そういう仕事をしてらっしゃるプロの方なのかな~って勝手に思っていました💦 そしたら……記事を読んでみると、普段の仕事に並行して、記事を書いて毎日届けていらっしゃるとのこと😳やば~・・・尊敬し過ぎて、少し畏怖の領域に達しています。
で、カワムラさんの記事には、読むとついついコメントしたくなる記事も沢山あってですね~。先日、コメントさせて頂いたときに───
今 私主催のイベント開催中なので ぜひぜひ顔のない問いさんにも参加してほしーのです🌸 まだ期間長いのでよかったら気楽に遊びに来てください。
☝こんな感じで誘ってくださいました😭
折角、誘っていただいたので!
漫画では作れそうにないけど、普通にエッセイ風記事(とてもエッセイなどと言えないw)で参加させて頂こうと思います✨
#ちび創作大賞
それでは、本編です☟☟
テーマ|あなたにとっての「自由」
───宇宙珍獣ゆる勇者あかね さん
僕は結構、傍から見ると“自由”なのかもしれないです😅
上司にも言われたことあります💦
「カオナシくんは、良くも悪くも、自由な発想だよね😅」
同僚にもよく言われます💦
「カオナシは基本、自由過ぎるだろ😅」
部下や後輩も言ってますね💦
「カオナシさんって、自由ですよね😅」
なんで、みんな苦笑いなんだよ?(°∀°;)
まぁ、確かに……
自由とは?
その答えは、人によって違うと思いますけど。
僕も「自由とは?」という「問い」を大切にしている人間の一人です。
僕は、生きる上で「自由」を大切にしています。
だからこそ、「自分にとっての自由とは何か」を考え続けることは、もはや「呪い」のレベルになっています😅
「いや、他人のそんな呪い興味ないからwww」と思うかもだけど……もしかしたら、誰かの思考の「補助線」として使えるかもしれない💦
ってなわけで……今日は、
無駄と理解しつつ、共有させていただきます。
「顔のない問い」が辿り着いた、自由の形。
☟☟☟お納めください☟☟☟
そもそも究極の「自由」に「個」は存在しない。
なぜなら「全は個、個は全」だから。
だから、「個」としての「自由」とは、「不自由」(自然や社会のルールなどの制限)あってのもの(その中で立ち上がってくるもの・意味付けされてくるもの)なんだと思う。
どの「環境」(条件:年齢・階級・貧富・場所などを含む)に行っても、そこ特有の自由と不自由がある。
だから───
いつ、どこで、どんな、ステージで
どのくらいの「自由」を得たいのか。
「どの自由」が自分に合っているか。
あるいは、合わせに行けるか。
それを「自分で選ぶ」ことが重要で、
それこそが「自由の本質」なんじゃないか?
そう考えてる。
だから、僕は、“それ” 以外のときは……
いつ、どこでも焦点を合わせれるレベルで
「選ばない」寄りの「選ぶ」で生きてる。
そして、いざ “それ” が必要となった時に、
自分の意志で「意味」を立ち上げることができるのなら。
───僕は十分に、「自由」だ。
はい。
相変わらず「選べない」性質の言い訳でしかないけどw
グダグダ、語ってしまいました🙄
簡単に言うなら?
僕にとって「自由」とは───
「自分と世界を同時に見つめる俯瞰的な視点を持ち、やがて訪れる自然の法則を受け入れながらも、思考と身体の余白が許す限りにおいて、日常の中に『選択を保留し、人間らしい無駄を愛する瞬間』を意図的に立ち上げ続けること」
と、言うことなのですが💦
もう少し、ちゃんと分解すると以下の「5つの柱」をイメージしています:
▼僕の自由を支える「5つの柱」
第1の柱:不自由という「器」を愛する
(全と個の調和)
「全は個、個は全」。だからこそ、絶対的な無制限が自由なのではなく、自然の法則や社会のシステムという「不自由」があって初めて、その内側に「その人」だけの「自由」が形作られるんじゃない?って考え方です。
「不自由」を嫌って排除するのではなく、「自由」を注ぎ込むための大切な「器」として、ふんわりと受け入れるスタンスです。
第2の柱:「ステージ」のメタ選択
(大枠だけを見定める)
どの「環境」(ここでは、あらゆる社会的・時間的・物理的な条件の総体を指す)に行っても、そこ特有の自由と不自由のセットが存在します。
だからこそ、「自分はどの不自由のステージなら、自分らしくいられるか(合わせに行けるか)」という大きな土台だけを、自らの責任でしっかりと「選ぶ」。
この「大枠の選択」さえ済ませておけば、「自由」は半ば約束されたようなものだと考えています。
第3の柱:「選ばない」寄りの「選ぶ」
(焦点のたゆたい)
ステージさえ選べば、日常の些細な「AかBか」という二分法に毎回白黒をつける必要はないんじゃないのかなって考えています。
基本は境界線を溶かし、全体をぼんやりと俯瞰して「選ばない(宙吊りの)」状態をたゆたう。
しかし、必要なときにはいつでも瞬時に焦点を合わせられる「視力」(ここでは環境・能力も含む)は、静かに研ぎ澄ませておく。白でも黒でもない、この「宙吊りの余白」に『こころの在処』を置くこと。それが、システムにコントロールされずに「自由」を得るための、僕なりの戦略です。
第4の柱:欠乏と「無駄」を遊ぶ余白
(執着からの解放)
すっごく大切なのは、「満たされない」「答えが出ない」という状態すらも、次へ向かうための余白(幸せ)として楽しむこと!
自然界の「効率化(コントロール)」にただ従うのではなく、あえて人間らしく非効率な「無駄」を許容し、執着から離れることで、心をいつでも身軽な状態に保つことを意識しています。
第5の柱:時間軸の中で「自由な瞬間」を立ち上げる
四六時中、何にも縛られずに生きる(自分らしく在り続ける;自由で在り続ける)ことはできません。これは残念だけど、諦める!
やがて来る・あるいは今そこに在る「自然の法則(不自由)」を俯瞰しながら、日常というタイムラインの隙間に、「今、ここだ」と焦点を合わせて意図的に無駄(自由)を味わう。その瞬間を自らの手で立ち上げ続けることこそが、「自由の実践」である……という結論です。
………。
……。
…。
ど、どうかな?(°∀°;)
負け犬の遠吠えでしかないんだけどねw
ただ、世の中には、避けられない「不自由」が確かに存在していて、それも条件として吞まないといけないときがある───
身体的にも(重力や体力や能力の限界)
認知的にも(脳の処理能力や生物学的な波)
年齢的にも(不可逆な老い)
関係性的にも(思い通りにならない他者の存在)
言語的にも(既存の言葉を借りるしかないもどかしさ)
環境的にも(現在の生活圏や物理的な場所)
構造的にも(社会のルールやシステムの制約)
時代的にも(今この時代の常識やテクノロジーの限界)
時間的にも(過去には戻れないという、宇宙の絶対法則)
「選ぶ」ことすら許されない、絶対に吞み込まざるを得ない「初期条件」(時に不条理な「後付け条件」さえある)としての不自由が存在するってこと💦
これだけ並べてみると……
僕たちがどれほど圧倒的な「不自由の海」の中で生きているのかが、よりリアルに感じられますよね😅
でも、だからこそ!!
この「不自由」という「器」があって初めて!
「人生」の中での「自由」が活きるのかなって?
そう感じませんか?!
アハハ、詭弁かwwww😂
最後に───?
▼漫画『ヒストリエ』に見る“自由”
僕が「自由」について考えるとき、
真っ先に浮かぶ作品が『ヒストリエ』(岩明均)です🙄
舞台は紀元前4世紀の古代ギリシア世界、マケドニア王国という巨大なうねりの中心で、アレクサンドロス大王を静かに観測し続けた書記官エウメネスの生涯を描いていた「物語」です。
主人公のエウメネスは元々、特権階級の次男として何不自由なく育ちました。しかし、ある陰謀をきっかけに身分を剥奪され、「奴隷」として社会の最底辺へと転落してしまいます。その後、数奇な運命と偶然(乗っていた奴隷船の難破)が重なり、彼は再び「自由の身」を手に入れることになります。
一方で、かつて彼の家で仕えていた奴隷の男・カロンは、長い年月をかけて地道に金を貯め、自らの身分を買い取ることで、システムの中から自力で「自由」をもぎ取りました。
そんな二人の人生の軌跡が、数年の時を経てアテネの裏社会でふたたび交錯する場面があります。(単行本9巻)
すでに立場は対等になり───
暗黒街の顔役として確固たる居場所を築いたカロンにむけて、エウメネスが確かな祝福を込めて言葉を投げかける場面。
「大いなる“自由”!
おめでとう!
メランティオス!」
これに対するカロンの回答が印象的です。
「ありがとうございます……! 今は
“自由”の“軽さ”と“重さ”
存分に味わっております」
軽さと重さか、上手いことを言うね!!
(エウメネスと同じことを思ったw)
最後に風を切って駆けていくエウメネスを眺めながらのカロンの独白にはもう一歩踏み込んだ、このセリフの重みが付与されていて……ぜひ読んでほしい。
すべてを失い、裸一貫で偶然の自由を得た「元主人」。
正当な対価を払い、自らの手で自由を勝ち取った「元奴隷」。
互いが持っていた(あるいは押し付けられた?)「不自由」は違うけど、二人がそこから得た「自由」の意味を理解しているからこそ、このやり取りは「重い」。
やはり、「不自由」を噛みしめてこその「自由」!
不覚にも涙が出ました。上の僕なんかの考えを読むより、『ヒストリエ』を読んでほしい😂
これが結論ですw
▼おわりに
今回のお題『#あなたにとっての自由』、宇宙珍獣ゆる勇者あかねさんからの提供です✨
ん~~~~・・・どっかで見たことがある方だ😫
って、思ってたらwwww
はんくさんのお知り合いでしたね✨
それにしても今回の「テーマ」:
#あなたにとっての自由
これ、凄く!凄く!凄く!!素敵なお題だと思いました。
先に挙げたけど、、、、
人は本当に様々な「不自由」に縛られています。
まぁ、それがあるからこそ楽しめるんですけど、
でも、それがあるがゆえに苦しみもするんです。
でも、その苦しみから抜けるのって、やはり外から視点を与えてもらう方がいいことがあって、どういう視点で切り取るかで変わるんですよ。
この企画、このテーマに参加した人の数だけ「自由」の視点(あるいは「不自由」の視点)が見れるんです!😫
その視点の中に、今まさに「自分なりの不自由」に苦しんでる人を救うヒントがあるかもしれない。そして、救う可能性があるってことですよね?
「素敵なことだな」と思いました。
参加させていただき、ありがとうございました。
さて、今日もお付き合いいただきありがとうございました!
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。
#ちび創作大賞
#あなたにとっての自由
蛇足:
記事本体の方は、僕がテキトーに書き殴っているので、すっごく分かりにくいと思います😅 なので、ちょっとAIに補完して書き出してもらいましたw
|補完版|【顔のない問い】が辿り着いた、
自由を生きる「5つの柱」
第1の柱:不自由という「器」を愛する(全と個の調和)
自由とは、すべてのルールや制約から逃れることではありません。何の制約もない「究極の自由」の中では、すべてが同化してしまい「私(個)」という輪郭すら消滅してしまいます。
身体的、年齢的、関係性的、そして時間的。世界には私たちが絶対に避けられない「不自由」が存在します。しかし、その不自由(制限)という強固な器があるからこそ、その内側に「自分だけの自由」が形作られます。 不自由を敵視して排除するのではなく、自由をこの世界に立ち上がらせるための「必要不可欠な輪郭」として受け入れる。これがすべての出発点です。
第2の柱:「ステージ」のメタ選択(大枠のパッケージを選ぶ)
どの環境(年齢、職位、経済状況、生活圏など)に行っても、「自由だけ」を手に入れることはできません。そこには必ず、その環境特有の「自由と不自由のセット(パッケージ)」が存在します。
裁量(自由)を得れば、責任や効率化(不自由)が伴う。安全な居場所(自由)を得れば、関係性の維持(不自由)が伴う。 真の自由とは、用意された選択肢から何かを選ぶことではなく、「今の自分なら、どの不自由のステージなら心地よく引き受けられるか(合わせに行けるか)」という、自分が立つ盤面そのものを選ぶことです。
第3の柱:「選ばない」寄りの「選ぶ」(焦点のたゆたい)
第2の柱で「ステージ(大枠)」さえ選んでしまえば、あとは日常の細々とした「AかBか」という二分法に、毎回白黒をつける必要はありません。選択とは、無限のグラデーションを切り捨てる「究極のコントロール」だからです。
普段は特定の役割や正解に縛られず、「カオナシ」のように境界線をたゆたい、全体をぼんやりと俯瞰する(=選ばない状態)。しかし、いざという時にはいつでも瞬時に焦点を合わせられる「知性と身体の余白」だけは静かに保ち続ける。この力みを手放したしなやかな在り方が、システムに支配されないための生存戦略です。
第4の柱:欠乏と「無駄」を遊ぶ余白(効率化への反逆)
自然の法則や社会のシステムは、常にエラーを排除し「効率化」を求めてきます。すべてが満たされ、最適化された状態は、実はシステムに完全にコントロールされている状態に他なりません。
だからこそ、あえて人間らしく「無駄(非効率な回り道、答えの出ない問い)」を許容し、楽しむこと。「欲しい・満たされていない(欠乏)」という状態すらも、次へ向かうための余白として愛すること。効率という鎖から意図的に逸脱するこの精神活動こそが、人間だけに許された自由の証明です。
第5の柱:時間軸の中で「意味」を立ち上げる
時間は不可逆であり、誰もがやがて老い、衰えという不自由に吞み込まれていきます。そして、24時間365日ずっと自由な状態を維持し続けることも不可能です。
自由とは「状態」ではなく「瞬間」です。 不自由な日常というタイムラインの隙間に、「今、ここだ」と焦点を合わせ、自らの意志で世界に「意味」を打ち込む瞬間。その瞬間を自らの手で立ち上げることができる限り、人はいつでも、十分に自由であると言えます。
以下が記事本体では語らなかった内容です。
上記の「5つの柱」を成立させるために自分で磨いていかないといけない「能力」や「考え方」としてまとめてみました。
|【能力】自由を運用するための「ハードウェア」
1. 認知的・環境的能力:メタ認知と「パッケージ」の目利き
第1・第2の柱(ステージのメタ選択)を実行する力です。自分が今、どんな社会構造や年齢的な制約の中にいるのかを俯瞰し、「この自由を得るためには、どの不自由(責任やリスク)を呑み込む必要があるか」をセットで正確に見積もる能力。環境の境界線を読み取るセンサーと言えます。
2. 時間的・認知的能力:ネガティヴ・ケイパビリティ(宙吊りに耐える力)
第3の柱(選ばない寄りの選ぶ)を支える力です。答えが出ない状態、白黒つかない矛盾した状態に置かれたとき、すぐに決着(選択)を急がず、時間軸の中でただ対象を観察し続ける忍耐力。この「保留する力」がないと、人はすぐに二分法というコントロールに絡め取られてしまいます。
3. 身体的能力:常に「重心」を捉え続ける身体的知性
思考の自由は、身体の自由(力学的なバランス)と直結しています。例えば、体を少し前傾(前のめり)にさせて重力に身を委ねつつも、ヒールストライク気味に重心の下へすっと足を下ろして自らを支える。あの歩行の力学のように、ガチガチに力を入れるのではなく、流れの中で自分の重心(アンカー)だけは正確に捉え続ける身体感覚です。
4. 関係性的能力:「帰る場所」としての安全基地の確保
カオナシのように境界を越えてたゆたうためには、逆説的ですが「どれだけ越境しても、最後には戻れる場所(コミュニティや家族)」が必要です。完全に世界から切り離されてしまうと、それは自由ではなく「孤立(最大の不自由)」になります。他者をコントロールせず、しかし確かな結びつきを保つ関係構築力です。
|【考え方】自由を立ち上げるための「ソフトウェア(OS)」
1. 「全」の不寛容さを知り、「個」へのリスペクトを貫く
自然の法則や社会のシステムといった「全」は、徹底して効率化を求めるため、基本的に懐が広くありません。そこから自由になるためには、全体主義的なコントロールからふっと降り、目の前の複雑な「個」のあり方をそのまま尊重し、面白がる。このスタンスが、他者や環境との絶妙な距離感(余白)を作ります。
2. 「欠乏」や「無駄」をバグではなく仕様として愛する
第4の柱を支えるOSです。何かが足りない、満たされない、あるいは効率的ではない(無駄である)という状態を、「解消すべき苦痛」ではなく「人間らしさを遊ぶための余白」として肯定するマインドセットです。これにより、執着から解放されます。
3. 「補助線」を引き、自ら意味を立ち上げる遊戯性
第5の柱(意味の立ち上げ)の原動力です。世界そのものには意味がないという虚無主義に陥るのではなく、漫画や映画、あるいは日常の些細な出来事から得た視点を「補助線」として使い、自らの意志で世界に意味を打ち込んでいく。この「世界を自分なりに解釈して遊ぶ」という強靭なエンタメ精神です。
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