【短編小説】 指先にバニラ
*こちらは、なみさん主催 #noteでBL企画の応募作です。BL・ブロマンス要素を含みます。
*ジャンル:恋愛(フェティシズム?)
*あらすじ
大学生の隼(はやて)と幸人(ゆきと)が登場人物。にわか雨が降る夕暮れ時に、大学構内の電話ボックスの中で、ふたりでバニラアイスクリームを食べる話。
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エントランスの造花から滴りそうなほど、持ち重りがするほどの湿気が、大気に満ちている。
旧校舎は重厚な石造りで、購買は平時から仄暗い。ひと気のない廊下でダウンライトが明滅する。
隼は遠雷に耳を澄ませ、眉をひそめた。
スマートフォンの振動と同じように、唸りが脳髄に響いてくる。
濃紺のジャージの袖をたくし上げる。
こんな日だから、冷ケースの片隅で霜をかぶったバニラアイスを見捨てるに忍びなかったんだ。たぶん、そう。
店番は冬眠中の齧歯類のような老人だった。無言でビニール袋にアイスとスプーンを入れてくれた。
校舎を出る。スニーカーの下で砂利が鳴る。地面はまだ乾いているのに、鎖骨に澱がまとわりつく。
ペトリコールが匂い立つ。
体育館まで近道をしようと考え、隼は、いつもと違う道を選んだ。
大学の正門付近の壁には、一面に蔦が這っている。
驟雨の中、蔦は、緑というよりも濡れ濡れと黒く見えた。急ぎ通り過ぎようとして、黒の中の黄色に惹かれる。
立ち止まると、雨音が鮮明になった。
蔦に抱き込まれるように電話ボックスが建っている。
中の人物と目が合う。
電話ボックスの蒼ざめた灯が、その男を照らしていた。半透明の扉越しに、彼の顔と隼の顔が重なる。
唇同士を合わせているかのような錯覚に陥る。
「雨宿り?」
隼はボックスの扉に手をかけて中にいる男に尋ねた。隼の問いに、幸人は首を振ってから、頷いた。
「どっち?」
折れ戸から身を滑り込ませる。
電話ボックスの中は、古びたプラスティックの匂いがした。緑色をした電話器の匂いだ。
隼と幸人の腕同士が触れ合い、幸人が反射的に身を引いた。
身を引いても、狭い箱の中では空間は限られている。
「雨が降ってきていたんだね」
幸人は文章を読み上げるような話し方をする。幸人の中で濾過されて出てくる文章だ。
静かで無駄のないしゃべり方。悪くない。
「このところ、カロライナジャスミンを観察するのが習慣になっていて」
幸人は電話ボックスに入っている理由を説明した。
彼の指さすほうに、その花があった。
蔦の中の黄色の点々。清楚で小さな黄色い花。黒々とした壁の中で光る星々のようだ。
それでいて隼は、花よりも彼の指先に見惚れている自分に気付くのだ。
幸人は、ほっそりと長い指をしている。骨の白さがそのまま浮き出しているような指だ。
折り取って口に入れたら、ほろほろと崩れ、溶け落ちるだろう。
「この電話ボックスは蔦に埋もれるみたいに建っているから、内側からゆっくり花を観察出来て、気に入っているんだ」
電話をしたい人が来たらどうするのか、と言いかけて止める。
ここに電話ボックスがあることは、今日まで幾度か、隼の視界には入っていたはずだけれど意識には入っていなかった。
「今どき、電話ボックスに入っている人、というのは、少し変に思われるかもしれないね」
はにかんだように目を逸らす幸人の、視線をとらえたくなる。
目を逸らしても、身体はこんなにも近くにあるのだ。
雨音が疼くように、高く低く、続いている。
「髪が濡れたね」
幸人は右腕を伸ばし、隼の髪には触れずに、所在なさげに手掌をひらめかせた。幸人の手指の方が口よりも饒舌だ、と隼は思う。
二人の上腕がまた触れ合う。
薄い布地越しの、ちりちりと化学反応を起こす、陰陽イオンの交換。
隼は、左手で受話器を取って耳に当てた。因果律のように、右ポケットの中でスマートフォンが振動する。
コインかカードを入れてください、と受話器が呼びかけてくる。スマートフォンからは案の定、実家の母が呼びかけてきていた。
スマートフォンをポケットに戻し、代わりにコインを取り出す。投入口に入れる。
コインはからからと音を立てて、釣り銭口に落ちてきた。
もう一度試す。やはりコインは落ちてくる。「十円じゃだめなのかな?」
幸人が首を傾げる。
隼も首を傾げ、同じ動作を繰り返す。
ポケットの中のスマートフォンがやっと静止した。静止と生死は、似ているなと思う。
緑色の電話機の脇には灰色の台がせり出しており、隼はそこに肘をついた。この台には、昔はきっと電話帳が置かれていたんだろう。
幸人が大きく息を吐いた。
「無意識に息を止めてしまっていたみたいだ」
それはなぜだろう。
「驚いたんだ。こんな場所で、隼に会えるとは、思わなかったから」
なぜだろう。
電話ボックスの中に幸人を見つけて、隼は驚かなかった。相応しい場所に相応しい人物を見つけた、と思った。
一人になりたかったけれど、一人でいたくなかった。
隼は公衆電話の受話器を左耳に押し当てた。乾いているのに、つぶつぶと空いた通話口からは湿り気を感じる。
幸人は、また、呼吸を止めている。
隼の一挙手一投足が彼の呼吸と脈拍に影響を与えるらしい。
自律神経系の中で唯一、自分自身でコントロールできるのは呼吸なのだ。
幸人はコントロールを手放しているように見える。
「この道を通ったら、幸人に会えるかなと思って」
冗談とも本気ともつかない隼の言葉に、幸人の耳が朱に塗り変わった。
雷鳴が近くなる。
電話ボックスの照明が不安定にまたたく。
幸人の頬のうす桃色、耳たぶの赤、彼の背後の、半透明の壁越しのカロライナジャスミンの黄色。
全てが荒いフィルターの向こうにあるかのように、現実味を失っていく。
受話器を元の場所に戻す。
「幸人。息を吐いて」
自律神経に指示を出してやる。
「次に、匂いをかぐように、ゆっくり吸って」
サックスブルーのシャツを着た幸人の胸が、呼吸に合わせて上下する。
胸同士が触れ合いそうな間近で、彼が酸素を取り込んで、吐き出す。
こんな、温室育ちの植物のような男にも喉仏があるのか、と隼は感心する。
「口から息を吐いて。ろうそくの火を消さないようなつもりで、そっと」
電話ボックスの内側が結露していく。
男ふたりの呼気が密室に充満する。
脇の下に不快感を感じる。
衣服を取り去ってしまいたい。冷たいものが欲しい。
幸人が濡れた壁にもたれた。
彼のまつげが震えている。きりんを思わせる長く濃いまつげが、頬に影を落とす。
深い呼吸を繰り返すと副交感神経が優位になる。幸人は催眠術にかかったような表情をしている。
うっすらと開かれた唇から吐息が漏れる。
脱力した彼の首筋にアイスクリームのカップを押しつけたのは、ほんの出来心。
ひゅっと幸人の喉が締まる。
「今のは脊髄反射だな」
つい、からかうような口調になってしまう。
幸人に対して、可愛らしい、と思う情動を封じておきたい。
「随意運動と不随意運動が、あるだろう」
言いながらわざとアイスクリームのスプーンを落とす。昔ながらの木製スプーンで紙のパッケージに入ったものだ。幸人があわてて空中でスプーンを掴もうとするが、間に合わない。ボックス内が狭いせいで身動きが取りにくいのだ。
「今のは反射神経のテスト?」
意図せず隼に抱きつくような体勢になったまま、幸人が尋ねる。
「まあね」
反射神経のテストは随意運動になるのだろうか。自分の意志で行うから。
「拾ってよ」
夢を見ているような表情のままの幸人に、命じる。
壁に沿うように身体を沈め、膝を折り、幸人は床に手を伸ばした。
電話ボックスの床部はむき出しのコンクリートだ。砂埃が乾いている部分と、湿っている部分とがある。
隼は、かがんだ幸人の頬に太腿を押しつけた。意図的に。
自身の脚に挟まれた幸人の頭部を、俯瞰で眺める。さらさらした黒髪に潜む白いつむじ、見え隠れしている朱い耳介、うなじに隆起した第七頸椎。
幸人は顔を傾け、窮屈そうな姿勢で隼を仰ぎ見た。
「スプーン、拾えない?」
「この体勢だと、手が届かないんだ」
神様をあがめるかように、幸人が見上げてくる。
「じゃあ、そのまま食べて」
隼はバニラアイスの蓋を取り、中蓋のプラスティックシートを外した。ビニール袋がかさかさと音を立てる。バニラアイスのカップ以外のものを電話帳台に置く。
隼は、柔らかくなったアイスを人さし指ですくい取り、幸人の唇に押しつけた。
血の透ける紅唇が白く汚れる。
隼の太腿に挟まれたまま、ひざまづいて白い汁を啜る幸人の姿に、魅入られる。
嬲りたいような、慈しみたいような、相反する気持ちが指先をそそのかす。
「息、吸っていいよ」
息を詰めていた幸人を立ち上がらせる。
脇の下に片手を入れ、支えるようにしてやる。痩せた男の肩甲骨をなぞり、脊柱を撫で上げる。
「俺にも食べさせて」
幸人が、言われるまま、陶器のような人さし指と中指で、バニラアイスをすくい取った。
隼は幸人の指を吸った。
付け根のわずかな肉の質量と、第一関節の骨の硬さを味わう。溶けたアイスを追って生命線を舌でなぞる。
喉に沁みるミルクの甘みを堪能しながら、隼は、幸人の手指をしゃぶった。とろみのある唾液が彼の手首にまで滴る。
雨音が遠ざかっては近くなる。
「俺、白いモノって苦手だと思ってたんだ」
「白いモノ?」
「クリームシチュー、ホワイトソースのグラタン、あとは生クリームとか、バニラアイス」
途切れがちな会話の間に、アイスクリームを食べさせ合う。指で。
朱い舌がちろりと白をねぶり尽くす。指先は冷えていくのに、仙骨が熱を持つ。
自分の意志では制御できない芯が芽生える。どろり、と冷たいかたまりが手の甲を伝う。
カップの底にポタージュスープのような液体が溜まる。喉奥に流し込んでやると、幸人が咳き込んだ。
飲め、と隼は命じる。隼は、幸人に対するコントロールを手放す気はないのだ。
「幸人。全部飲めよ。溢すな」
唇の端からよだれ。白い首筋に流れていくひと筋の白濁。蔦のように絡まる下肢。
電話ボックスの半透明の壁に差すオレンジ色の薄日。
雨がふいに上がり、濃緑の中のカロライナジャスミンがいっせいに花開き始めた。あっけらかんとした黄色とともに、蜜の芳香が漂う。
催眠術が解ける。
「毒があるんだ」
幸人は自発呼吸を取り戻していた。
「何?」
何の毒か、と隼は尋ねる。
「カロライナジャスミンだよ。蜜が神経系に作用する」
幸人の説明はいつも簡潔だ。
折れ度に手をかける。雨上がりの匂いに、幼い頃を思い出す。冷えた大気が扉から流れ込んでくる。
さっきまで毒にあてられていたのだ、と思いたい。
「幸人、行こう」
べとべとの手を伸ばしかけて引っ込める。 きっかけなんて、ささいなものだ。雨が止んだだけで親密さは消し飛んでしまう。
「どこへ行く?」
幸人の話し方は気に入っている。簡潔で無駄がない。
幸人は電話ボックスの床に落ちていたスプーンを拾い上げ、アイスのカップと蓋も全て、小さなビニール袋に戻し入れ、口をしばった。
「隼は、なぜ、白いモノが苦手だったの?」
雨上がりにほころぶ黄色い花を脇に見ながら、ふたりペデストリアンデッキを歩き出す。
隼の、右ポケットの中で再びスマートフォンが震えだした。母からだろう。蔦に埋もれかけた電話ボックスを振り返る。いっそ九十年代に生まれたかった、と思う。
「母の味、みたいなのが苦手なんだ」
白くて甘くてこってりして、母乳を思わせる。それを幸人に飲ませたいと思うのは、なぜなんだろう。
第二グラウンド手前の水飲み場で、バニラアイスと唾液まみれの手を洗った。雨上がりの黄土色の地面に水滴を飛ばす。
幸人の指先から、絹糸のように細い水流が滴る。
体育館へ向かう分かれ道で、隼は幸人の背を見送った。彼は、妙に頭が小さくて、全体的にマッチ棒を思わせるひょろりとした体躯をしている。
猫背がちな肢体が隼を振り返った。
眩しそうに目を細めているのは、隼が夕日を背負っているからだろう。
それでいい。幸人はまばゆいものを見る目で俺を見るべきだ。
隼は安堵する。
諦めの悪いスマートフォンが、本日五度目の着信を知らせた。
隼は母の呼び出しに応答する。
「大丈夫だよ。友だちと一緒にいたから、出られなかっただけ」
母と話していると、とうに別れた女の機嫌を今さら取っているような、胸塞ぐ気持ちになる。
幸人はまだ、振り返ったまま隼を見ている。
その視線を独占したい。ただ、隼がそこに立っている、存在している、それだけで価値のあるような、そういう目で母が自分を見てくれたことは無い。
湿気が地表から空へ還ろうとしている。
オゾンが大気を漂白し、浄化する。
隼は、歩き出す方向を決めかねている。
《 完 》
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今回のお題は次の三つでした。 ①家以外の、作者の大好きな場所や土地、時代を舞台にする。②「食事シーン」を書く。③「脊髄反射」
拙作の場合は、①電話ボックス ②バニラアイス ③は「冷たい!」という脊髄反射からの、随意・不随意運動、交感神経・副交感神経に、しつこく迫ってみました。
今作の隼と幸人は、noteでBL第18弾の時に出させてもらった組み合わせです。支配・被支配を思わせる、濃密な描写がしたいな、と思ったので再登場させました。
今回は、noteでBL第20弾✨という記念の回にちなんで、noteで書くにはちょっと濃いかな、というギリギリのラインを狙って書いてみました!
大人気のこの企画を運営してくださっているなみさん、参加作家の皆さん、そして読んでくださる皆さん、いつもありがとうございます✨
