【短編小説】 この部屋に棲むひと
※この短編小説は、3つのお題を使った5,000文字BL・ブロマンス小説企画の応募作です。
荷解きは中途半端な状態だったけど、息抜きにロフトから窓の外を眺めようとして、それに気付いてしまった。
ロフトへ上がる階段の、最上段の裏にガムテで張り付いていた手紙。茶封筒に大きくこう書いてある。
『この部屋に住む人へ』
衿は手紙を握りつぶそうとした。かくかくした生真面目そうな文字も、絶対やばい。
『読んで』
ロフトの手すりに頬杖をついて、男が衿を見ていた。
『それ、書いたの、俺』
顔立ちの整った幽霊だった。しかも下着一枚、ボクサーパンツだけはいてる幽霊だった。
幽霊を初めて見るけど、幽霊って分かるものなんだな、と衿はやけに冷静だった。男の身体がうっすら透けている。
「事故物件だったんだ」
衿は呻いた。家賃が相場より安かったわけだ。
『あんた名前は?』
幽霊に問われて仕方なしに答える。
「衿」
『衿はもしかして女?』
幽霊は矢継ぎ早に質問してきた。
「女です」
この質問に答えるのは慣れている。衿と、衿の身体との間にある違和感は、絶えず奥底を流れている。
ちょうどロフトから川と橋が見える。川に水があるように、衿は、違和感と常に同居している。水位が上がったり下がったりする。
幽霊に促され、衿は茶封筒を開いた。
「新って誰ですか?」
『あ、俺』
新を成仏させたければ、冬真と再会させ、冬真から新へ、愛の接吻を捧げさせること。
衿は説明を求めて新の顔を見た。
心なしか顔の向こう側に透けて見えるダウンライトがピンク色に染まっている。
「冬真って?」
『俺が恋人だと思ってた男』
新はふてくされた声を出した。
衿は続きを読み進める。
色白
よく見たら童顔
奥二重
眼鏡
髪はさらさらのストレート
身長は高め
声は低からず高からず
包容力高め
ルマンド好き
『身体的特徴だよ』
おそらく冬真の特徴なんだろう。包容力高めってそもそも外見から分からない。しかもルマンドって、あのお菓子?
衿は手紙を手にしたまま布団に伏せた。ロフトをベッド代わりに使う予定だった。
『まあ、呆れるよな。男に振られたくらいで死んでから地縛霊になっちまって』
呆れたというより、そこまでの執着が分からない。自身の身体の違和感以上に、恋愛や性愛にのめり込む気持ちが、衿には分からなかった。
冬真を想って成仏できないなんて。
夕方、頭を冷やしたくて走りに出た。
ロフトから見えていた橋までは、走れば3分くらい。片側一車線ずつの、車道と歩道に分かれた立派な橋だ。
橋の真ん中あたりに立って振り返ると、衿の新居が見えた。ビルの間にすーっと立っている細長いマンション。
あそこに今日から、ゲイのイケメンの、しかもパンイチの幽霊と同居。
状況がおかし過ぎて疲れがどっと出る。
衿と同じようにため息をついている人影があった。透けてない。ちゃんと服も着ている男の人だ。歩道の端に立って、衿と同じ方向を見上げていた。
色白
よく見たら童顔
奥二重
眼鏡
髪はさらさらのストレート
身長は高め
衿は再びため息をついた。
冬真でなくてもそんな外見特徴の男性なら世の中にたくさんいるはず。
肩甲骨を回してから走り出そうとして、振り返る。
その男性は胸のあたりに見覚えのあるパッケージを抱きかかえていた。変なたとえだけど、お通夜で遺影を掲げる喪主みたい。
紫色のパッケージの上部には白字でルマンドとあった。
部屋に帰ると新がロフトから手を振っていた。どうやらあそこから出られないらしい。
「待って」
衿はパジャマの前をかき合わせた。
タオルもパジャマも段ボールから出したばかり。疲れ切っていた。
「待って。一緒に寝るってこと?」
『遠慮すんなよ』
新は先に敷布団に上がり込んでいた。
「しかもなんで添い寝?」
『大丈夫。俺、死んでるし、女の子には興味ないし』
パンイチのイケメンの幽霊と同床。
衿は目の前が渦巻くのを感じた。
せめて服を着て。その姿で死んだの?
『引っ越しで疲れてんだろ。早く寝ろ』
衿は掛け布団を被って通販サイトを開き、大急ぎでベッドを注文した。
ロフトに寝るのはやめよう。小さいサイズのベッドならロフト下に置けるはず。
翌日にはベッドが届いたが、一人では組み立てられない代物だった。
段ボールと梱包材とベッド枠で占拠されたリビングで寝るのを諦めて、衿はロフトに上がって布団に入った。
『手伝えなくてごめんな』
幽霊は当然のように添い寝してくる。
衿は掛け布団を被り、新は敷き布団の端っこに横たわる。
新に、絶対に成仏してもらわなくちゃ困る。
衿は就職と同時にこの街に引っ越してきた。
新人研修で挨拶するたびに、名前と性別を確認される。
あいつ女? 男? と同期の男性社員が耳打ちし合っている。衿の扱いに困っているのがひしひしと伝わってくる。
新は、ロフトに鎮座して鼻歌を歌い、ルマンドは食べないのかと尋ね、夜は寝るまで衿の愚痴を聞いてくれた。
やばい、と思う。
幽霊との暮らしが快適になりつつある。
新は甘党のようだった。
衿は栄養補助食品を販売促進する会社に就職した。商品サンプルをもらって帰ると、新はロフトから身を乗り出してくる。
『衿、ひとくち食べさせて』
幽霊なのに食べられないでしょ、とロフトを振り仰ぐと、新はパンイチで手すりにもたれていた。
『ちょっと乗りうつらせてくれれば』
ぎょっとする。そんな幽霊らしいこと、出来るんだ。
『衿の中に俺が入るんだよ。ちゃんと衿の意識もあるし。ちょっと味覚を共有させてもらう感じ?』
怖くなる。
入ってきて欲しくない。
誰かが自分の身体に侵入することを考えると震えがくる。
「ごめんなさい。新が幽霊だから、ダメなんじゃない」
受け入れたくない。
自分は女に生まれるべきじゃなかったと思う。胎児を育てるのもきっと無理。
食物を取り込むことにすら抵抗感が出て、ゼリー飲料で生き延びていた時期があった。その縁で、今の会社を選んだ。
『それ、どんな味?』
新は衿の表情に気付かないふりをしてくれた。
「チーズケーキ味。チーズの風味が結構しっかりしてる。プロテイン含有量が高いんだって」
『いいねー。しかもルマンドと同系列の会社じゃん』
へらっとパンイチで笑う新を見ていると、彼は何を苦にして死んだんだろうと思う。
ほぼ裸の幽霊に、毎晩添い寝される。慣れてしまった自分が怖い。新は、衿の顔と窓の外を交互に見ている。
カーテンを取り付けないまま半年が経とうとしていた。天井が高く窓が大きいせいで、なかなか合うサイズのカーテンが無いのだ。
それに。
「新はいつも橋を見ているの?」
新の視線に込められた熱に気がつくようになった。
新は微笑んで衿のまぶたに触れる。ひんやりと冷たい幽霊の指先。
『寝た方がいい。明日、接待なんだろ?』
「別に。社外の人と会食らしいんだけど」
衿が同行すると相手方が戸惑った顔をする。それが分かっているから憂鬱だ。
女らしくも男性的でもない見た目。衿は長距離ランナー特有のバネのような体つきをしている。胸がさほど成長しなかったのは衿にとって救いだった。
「行きたくない」
『サボれば?』
無責任なことを言う幽霊だ。
行きたくないと生きたくない、は似ている。
衿は、真夏以外は夕方に走る。
秋が深まった頃、また、あの男性を橋の上で見かけるようになった。冬真に身体的特徴が似た男の人。
いつも同じ場所に立ち尽くし、ルマンドを抱えて、衿のマンションの方を見ている。
眼鏡越しに衿に会釈する。
週を重ねるごとに、彼は冬真ではないかという確信が大きくなる。声をかけてみようかと思い悩んでは、会釈し、通り過ぎる。
同居中の幽霊に成仏してもらいたいのか分からないのだ。
包容力高め、は新に当てはまる気がする。
十一月の祝日だった。
今季一番の寒波の中、衿は普段通りランニングをして、橋にさしかかった。
眼鏡で色白の男性は、衿のマンションを見上げていなかった。
衿を目で追っていた。
会釈する距離まで近づいたとき、ひとひら、白いものが男性の髪に落ちてきた。
衿は通り過ぎることが出来なかった。
男性のさらさらした黒髪に雪が落ち、落ちたそばから水に変わっていく。
白と透明の、その境目から衿は目が離せなかった。奥二重の瞳は優しそうだった。声は初めて聞いた。
高からず低からず。
「ルマンド、お好きですか?」
衿はイヤホンを外す。彼の話に耳を傾ける。
「三年前の今日、僕が付き合っていた人がここで事故に遭ってしまったんです」
そういえば新がどんな死に方をしたのか、衿は知らない。
「僕たちは二人でルマンドを食べるのが好きでした。今は、一人では食べる気がしなくて」
衿は橋の欄干を見渡した。花束などが供えられていたこともない。ここが事故現場だなんて想像もしなかった。
新はロフトからいつもこの橋を見下ろしていた。今もきっと部屋から見ているだろう。
「よかったらあなたが食べてくれませんか?」
衿はルマンドの袋を受け取った。受け取らないという選択肢は無かった。
男の眼鏡越しの奥二重の瞳が、さみしげに細められた。
衿は汗をかいた身体のまま、ロフトの階段を上がった。
「おおルマンド! もしかして、今日が俺の命日って、言ったっけ?」
衿の隣に座り込み、新がパンイチで微笑む。
衿は呼吸を整える。
「新はもしかして、三年前の今日、あの橋の上で死んだの?」
新は答えなかった。窓の外を見ていた。
「入って」
衿は新のボクサーパンツを掴んだ。
衿の指が素通りしないところは、新の下着だけなのだ。
「私の気が変わらないうちに、私の中に入って。一緒に食べよう」
パンツがぱさりとロフトの床に落ちた。
入ってきた。
他者が体内に侵入してくる。
指先から作り替えられ、足先まで血が入れ替わるようだ。
心臓の中が擦られる。おなかの底が熱い。
衿には性体験が無かった。破瓜というのはこんな感触かと身震いした。
新となった衿の指先がルマンドのパッケージを開ける。ココアクリームが人差し指にくっつく。
崩れやすく繊細な甘みを、とりつかれて味わう。それは今まで食べたどんなご褒美より、衿を魅了した。
衿は来た道を橋へと引き返した。新をその身に取り込んだまま、衿は走った。
頭頂部から引っ張られるような感触が続いている。脚力には自信がある。まだ彼はあそこにいる。きっといる。
新を待ってる。
橋に一歩踏み出したとたんに、自分の目が新の目と共有されたことが、衿には分かった。
今年初めての瑞々しい雪に濡れた、愛おしい冬真。
衿は確信する。
衿が、こんな胸の苦しさを覚えることは二度とない。最初で最後の恋心。
手も足も声も、新のものになる。
新が衿に、完璧に乗りうつる。
衿は新の声を初めて聞いた。空気を揺らす肉声を聞いた。
高からず低からず、切迫した声だった。
「冬真!」
新の腕が冬真を抱きしめ、その唇を奪った。
ルマンドの甘い香り。
頭のてっぺんに抜けていく吐息。抱きしめ返してくる冬真の腕の感触。
乾燥し固くなった冬真の唇が、押しつけられ、柔らかくとろけ、舌が口蓋をなぞる。
幾重にも折り重なったクレープ生地のお菓子みたいに、衿の身体の中で二人が混ざり合う。
雪が、三人の髪と肩に落ちては水になって、空に還っていく。
衿は冬真を部屋に招いた。カーテンの無い窓の外に、さっきまでいた橋が浮かび上がっている。
冬真はベッドを組み立てるのを手伝ってくれた。
「なんで新と別れたんですか?」
衿の問いに冬真は首を振った。
「僕は新を好きで、すごく好きだったけど、男を好きな自分のことが、どうしても好きになれなかった」
その感覚は衿には分かる気がした。恋愛感情の方じゃない。自分が自分にそぐわない感覚というのは、きついのだ。
「新を傷つけた。その話をして別れた帰り道に、新は事故に巻き込まれて」
いつもだったら新と冬真は、この部屋に一緒に帰っていた。
三年前の今日、新がどんな死に方をしたか、衿は知らない。『この部屋に住む人へ』という手紙を新が、死ぬ前に、あらかじめ階段の裏に貼り付けておいただろうことは、黙っていた。
「ロフトに布団があるんです。それを下ろすのも手伝ってもらえますか?」
新が成仏したかどうか、冬真に確かめてもらいたかった。
冬真はロフトへ繋がる階段を上り、床の上のルマンドのパッケージと新の残していった下着を拾い上げた。
まるで遺影と位牌を抱くみたいに。
《 完 》
なみさんの企画に参加しています!
3つのお題は「ルマンド」「初雪と一目惚れ」「シングルベットの組み立て推奨人数が2人だった」でした!!
本文はきっかり5,000字になりました。
今回は、お題の難易度が過去一難しかった気がします。「ルマンド」はお題リターンズですね!
そして自作も過去一変なものになってしまいました。今作は以前のお題「パンツ履き忘れた」のときに着想したものも混じっています。
女の子の中で男の子同士が混じり合うというアイデアは私の中にずっとあって、いろいろな形で表出しているのですが、このように、ほんとうに魂が直接混ざり合うという作品が書けたことは、私としては嬉しかったです。
いつも自由な形でこの企画に参加させていただいています。
なみさん、参加作家の皆さま、拙作を読んで下さる皆さま、いつもほんとうにありがとうございます✨
