【短編小説】 天国かいだん
※この短編小説は、3つのお題を使った5,000文字BL・ブロマンス小説企画の応募作です。
幸せなら手を叩こう、的なやつが苦手。
思い出すのはアメリカに引っ越したばかりの、なじめなかった小一の暗黒時代。
「なあ、篠田。手、叩ける?」
篠田祐介の部屋のポータブルスピーカーからHappyが流れてきたのを、なんとなく放っておけなかった。
篠田はドクターペッパーの缶をローテーブルに置くと、生真面目な顔で手を叩いた。
見た目の整った奴は何をしても整って見える。ある意味、哀愁が増す。
「篠田って、いいよな」
しみじみ呟いた俺に篠田が首を傾げた。
胸の前で柏手を打つみたいに手を叩きながら。
親の仕事の都合で現地校に放り込まれた。
ちょうどその頃にこのHappyっていう曲がやたら流行ってた。
ファレル・ウィリアムスに恨みなんてない。まあ、ちょっとはあるのかもしれないけど。楽しもうね、って場面では必ずかかってた。
日本人が手拍子を叩くと、どうしても音頭っぽくなる。それはもう、民族レベルで身体にしみ込んでる。
自分だけ世界から取り残されるっていうか、そういうホラーな感覚ってあるじゃんか。
六歳の俺は、まわりとおんなじように手を叩けてない自分に気が付いて、青ざめてた。
それだけじゃなくて。
「なあ。篠田って幸せ?」
歌詞の意味が分かっちゃって、怖かった。
ハッピーなら手を叩こうって。
目を閉じると浮かぶんだ。アメリカ中西部の乾燥した空気。芝生の上の虹色のパラバルーン。手を叩いてはしゃぐクラスメイト。
青い空。
ああ、こいつらみんな幸せなのかって、やけに冷静な自分が怖かった。
幸せかと問われて篠田は動きを止めた。
気まずくなって俺はドクターペッパーに口をつけた。薬草みたいな変な後味のコーラ。
なんで篠田はこれを愛飲してんだろ。
「明人」
薬草めいた液体ごと、篠田が俺の唇を奪った。篠田に名前を呼ばれると、へその辺りにダイレクトに響く。
こいつは低くて良い声してるんだ。
薬っぽいべたべたした甘さを舌先で交換する。
突然、始まる。
休み時間のバスケの1対1とか、温泉街の卓球。あるいは、みぞれ混じりの水っぽい雪合戦。男同士なんてそんなバカな遊びみたいなもの。
ぶつかり合って汗かいて、終わったらまたコーラのんで寝るわ、的な。
途中にさ、少し本気になっちゃうみたいな、安いドラマがないわけじゃないけど。
篠田と付き合ってるつもりって、そっちの方がホラーだよなって思いながら、耳の中からHappyが消えるまで待つ。
ざわっとした気持ちを脱ぎ捨てる。
「重っ」
目覚めたら、篠田の腕ががっちり俺の身体に巻き付いていた。
腕の中から抜け出して、脱ぎ捨ててあった服をかき集める。
「篠田? 俺のパンツどこ?」
篠田の腕が動いて、もう一回ベッドの中に引っ張り込まれそうになった。起きてるのかなと思ったけど、どうやらこの男は寝ぼけているだけらしい。
仕方なくTシャツを被って、ボトムスに足を突っ込む。
パンツはおそらくベッドの中で篠田の身体にプレスされてるはず。
篠田のさらさらした黒髪がシーツにこぼれてて、寝ぼけてるくせに端正な横顔を装飾している。唇が少し乾いてる。
キスでもしてあげようかなと思って止める。
俺は篠田の冷蔵庫を勝手に開けて水を飲んだ。水と牛乳と、いつ買ったか分からない味噌とマーガリンとミニトマトが冷蔵庫の中で冷えている。
違和感は、すぐにはっきりした。篠田の好きなドクターペッパーが冷えてない。
篠田を起こさないように静かにスニーカーを履いて外へ出た。アパートの鍵は開けたまま。
外階段をジャンプしながら降りて、松ノ湯の隣のつぶれたタバコ屋に向かう。
歩いて一分。つぶれたタバコ屋前の自販機にドクターペッパーが売っている。
大学進学と上京にあたって篠田のアパート選びの条件は、近くに銭湯があること、近くにドクターペッパーが売っていること、この二つだったらしい。
こだわりと好き嫌いがはっきりしているのは、あいつのいいところだと思う。
九月も終わり、夜が明けたばかりの世田谷代田の街は存外冷えていて、秋が訪れつつあることが分かる。
それともパンツ履いてないからすうすうするだけかな。
電子マネーが使えない自販機の前でポケットに手を入れて、そんなことを考える。
「明人!」
切羽詰まった声が腹に響いた。
ああ、これ俺の名前かって妙に納得しているうちに、背後からぶつかってきた腕に抱きすくめられた。
「あせった。明人、黙って帰ったのかと思った」
あせってるらしい割には良い声してる篠田を振り返る。ぎゅうぎゅうに抱きしめられているせいで、方向転換に苦労する。
「泊めてもらったお礼にドクターペッパー補充しとこうと思ってたんだけど」
寝起きなのに髪に天使の輪が出来てる篠田を見ていたら、思い出したことがあった。
「篠田。やっぱ今朝はコーヒーにしよっか」
甘いコーヒーとシュガードーナツという血糖値が爆上がりしそうな組み合わせを抱えて、篠田が階段を上ってくる。
階段を上りきり、ふたりして、高架橋のフェンスに額を押しつけて、電車が地下に潜っていくあたりを眺める。
線路がきらきらと太陽を反射しながら思いのほか曲がりくねって続き、突然闇に飲み込まれるところを見やる。
この眺めが気に入っていて、篠田の家から帰る前には、よく高架橋に上る。
小田急線の特急はロマンスカーという名前だと、篠田は知っているんだろうか。
そんな名前の電車に乗ったら、箱根どころか空まで飛びそう。
篠田が手にしたコーヒーからパンプキンスパイスの香りが漂ってくる。
最近日本でも発売されるようになった秋限定のフレーバーコーヒー。大きなサイズをふたりで分けて飲むことにした。
パンプキンとシナモンとナツメグを人工的にシェイクさせたような独特の匂い。
懐かしい匂い。
秋から冬にかけてアメリカは浮かれ騒ぎになる。新しいスクールイヤー、ハロウィン、サンクスギビングからのホリデーシーズン。その間中このスパイスの匂いが、いたる所にあふれている。
みんなパンプキンスパイスラテのコマーシャルフィルムを食い入るように眺め、この季節が来たと興奮して身をよじり、待ちかねたようにドライブスルーに押し寄せる。
コーヒーをひとくち飲んで、篠田が呟いた。
「なにこれ。旨っ」
俺はドーナツを吹くかと思った。
篠田の味覚はアメリカでやっていける。
「旨い?」
俺は泣き笑いで尋ねる。
「旨いよ」
答える篠田の上唇にホイップがちょこっと乗っかっていて、キスしてあげようかなと思って、止める。
篠田が俺の唇にコーヒーカップを近づけた。「明人、やけどすんなよ」
過保護な奴だ。
篠田といると薄いブランケットでくるまれているような気持ちになる。
排泄器官の無限の可能性をこいつに思い知らされてるとはいえ、俺は女子じゃないのに、と思う。
久しぶりに飲んだパンプキンスパイスラテは、やっぱりというか、安心と落胆の入り交じったような味がした。
「旨くね?」
尋ねる篠田にあいまいにうなずく。
「旨いような気もする」
俺にはこれが、旨いんだか不味いんだか、味があるんだか匂いだけなのか、よく分からなかったし、今日飲んでみてもやっぱり分からない。
怖いのは、それを言ってはいけない気がすること。誰にもその微妙さを分かってもらえない気がすること。
自分とぴったりくる人間なんて、結局どこにもいないんじゃないかって突きつけられること。
その、うすら甘い温かなコーヒーを飲み下す。ホイップクリームとパンプキンスパイスと、ドーナツの小麦と油と砂糖が、偏頭痛も吹っ飛ばしてくれそう。
不幸せってわけじゃない。
ブランケットに包まれてても、どこにも居場所なんかない気がするってだけ。
「篠田、おまえ、パンプキンスパイス好き?」
「ん。気に入った」
「ドクターペッパー好き?」
「ん」
「銭湯好き?」
「ん」
それで、おまえ、俺のこと好き? って聞かないけどさ。
「篠田、ファレルは? 好き?」
「なに? 誰?」
「じゃ、ロマンスカー好き?」
「それなに?」
「小田急線の特急の名前」
「新婚旅行専用?」
ぶはっと思わず声に出して笑ってしまった。「篠田、おまえ、かわいいな」
新婚旅行専用の特急には、ぜったい、男同士じゃ乗れないじゃんか。
線路を眺めている俺に、ふいに篠田の唇が近付いた。
「明人。これから実家戻る気?」
やけに深刻そうな口調で尋ねられた。
篠田はアパート住まいで、俺は実家住まいだ。しかも帰国後の俺の実家は北関東で、だからしょっちゅう篠田の部屋に泊めてもらってる。あまりに頻繁だから申し訳ない気もする。
「篠田の部屋にパンツ忘れてきたから、いったん取りに帰ってからかな」
さすがにぬるくなってきたパンプキンスパイスラテを篠田に手渡す。
篠田の指先を見て顔を上げる。
髪の下から見え隠れするこいつの耳が、真っ赤になっているのに気が付く。
「え?」
ふたりの口から疑問符がユニゾンで放たれた。
「明人。履いてないってこと?」
「履き忘れた」
俺の言葉に動揺して、篠田が高架橋のフェンスにおでこをぶつけた。
「やば。えっろ」
篠田が口元を抑え、俺から視線を外す。
なんだよ。そこでそんなに照れるのかよ。
やっぱり篠田は面白い。
「な。明人、帰ろう」
篠田が勢いよく動いたせいでパンプキンスパイスラテがほんの数滴、カップからこぼれて高架橋を濡らした。
匂いが立ち上って、すぐに路面のシミは消えていく。
「なに? 篠田? やんの?」
朝からか。元気な奴。
「バカ! そうかもだけど、違う!」
なんだそれ。変な奴。
「おれ、明人がパンツ無しで電車乗ってチカンにあったりしたら、死ぬ」
呆れる。
そんなことで死ぬな。パンツ履いてないって外から分かるわけないし。
篠田が俺を抱きすくめるようにして、階段を下り始めた。このままだと俺のことを、姫抱っこでもしそうな勢いにびびる。
「Happyって曲、好き?」
こわばった顔の篠田に、試しに尋ねる。
「好きだけど」
篠田が即答する。
ほら、俺は言い出せない。その曲を聴くと疎外感がリアルに浮かび上がって怖いんだ。
高架橋を下りたところで、篠田がおもむろに俺の右耳にイヤホンを突っ込んだ。
片方ずつ音を分け合う。
「明人。急げ」
篠田は俺の手を取ろうとして、引っ込めた。
引っ込めた手で落ち着きなくスマホをいじる。俺はそこから目を逸らす。
イヤホンから、じょわん、というギターの音が流れてきた。
「これなに?」
「Happyだろ」
いや、俺の知ってるんと違う。
パンツに穴が空いててそっから金が出て行っちまう、という歌詞が聞き取れる。
このパンツは下着じゃない方のだろうけど。
「誰のHappy?」
俺が尋ねて、篠田は当然のように答えた。
「ストーンズ」
こいつの趣味がほんとに分からない。
親の世代飛び越えて、おじいちゃんの時代まで行ってる。
「好きなの?」
「ん」
言葉少なに答える篠田の横顔に歌が被さってくる。
幸せで居続けるには愛が必要なんだって。
信号待ちでもどかしげに身震い。
手の中でひしゃげたコーヒーカップ。
俺は篠田の下唇にくっついたままの粉砂糖が欲しくなる。
「この曲、どこが好き?」
篠田はしばらく考えてから口を開いた。
「この曲はキースが歌ってるとこが好きだ」
「そうなの?」
正直、俺には誰が歌っているのか分からない。
ベイビー、愛が必要だ、俺を幸せにしてくれ、とローリング・ストーンズが片耳に怒鳴りかけてくる。
松ノ湯の前を通り過ぎる。今日の篠田は自販機のドクターペッパーに目もくれない。
右耳のストーンズがシュガーハイになり始めた。
「篠田? これってさっきと同じ曲? それとも別の曲?」
競歩みたいな勢いで歩いてるから息が切れてきた。
「別の」
大股で歩きながら篠田が答える。
「ほぼほぼ、おんなじ曲に聞こえない?」
思わず漏れた俺の率直な感想に、篠田は急に真顔で立ち止まった。
「そこがいいんだろ」
感心した。
たぶんこいつと一生かみ合わない。
「ロマンスカーは? いつ乗る?」
あえぐように息を弾ませ、アパートの階段を上りながら、試しに尋ねる。
「今度な」
簡潔な返答とともに、篠田が部屋の鍵を開ける。
篠田の目の中の自分と目が合った。
俺たちはたぶん一生、ロマンスカーに乗らない。
ただ、後ろ手に施錠音とまばたき一つ、ふたりして手を取り合って、6畳の天国にダイブする。
《 完 》
なみさんの企画に参加しています!
三つのお題は、「秋の味覚」「本当にあった怖い話」「パンツ履き忘れた」でした!
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お題の発表後からパンツ履き忘れエピソードの創作で、皆さんが盛り上がっていたのが楽しかったです。わたしも今作とは別に、パンツ履き忘れのゆるゆるしたのを一作書いてしまいました。
今作は、私なりに「BLらしい」感じに全振りしてみました。時々書いている『せたがやだいた』という、大学生の男の子ふたりの連作短編があって、そこからふたりを出張させました。
そして、パンプキンスパイスラテは今年はスタバさんで売ってないみたいです・・・・・・。あれ、アメリカの方めっちゃ好きですよね。
ファレル・ウィリアムスのHappyは、中間部分の拍手がけっこう難しいなと思ってます。
なみさん、企画参加メンバーの皆さん、拙作を読んでくださる方々、いつもありがとうございます!
