【短編小説】お前はクロエじゃない
※この短編小説は、3つのお題を使った5,000文字BL小説企画の応募作です。
⭐︎登場人物⭐︎
芹(セリ)16歳の威嚇系男子×紘(ヒロ)身体の弱い29歳
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「キキョウ?」
思い浮かんだのは青紫の花。
夕暮れ時の雑踏の中で、スマートフォンを耳に押し当てる。
ヒロの、か細い声が鼓膜にしみ込む。
「胸が痛いなと思っていたら、肺に穴が開いて空気が漏れていたんだ」
桔梗ではなく、気胸と書くらしい。
タイヤのパンクか、と呆れた声を出そうと思ったのに、ヒロの説明に俺の息が詰まりかけた。
「それでね、芹くん。肺の穴をふさぐために、入院して明日手術するって言われたんだ」
芹くん、と俺の名を呼ぶヒロの声が耳の中で花に変わる。
ヒロの肺から漏れた空気が青い花になって俺の鼓膜を突き破る。
ヒロの肺を花が突き破る。
青い花が咲き乱れて、肺も心臓も花に食い尽くされて、ヒロが息絶える。
白昼夢を打ち消すために、急ぎ足で改札を通り抜けた。点滅する信号を突っ切り、病院の正面玄関にたどり着いたら、自動ドアが閉まってた。
自動でも手動でも開かない。
透明なドアを蹴っ飛ばそうとしたところで警備員に止められた。
夜間救急出入口という場所に引っ張っていかれ、面会票なるものを書かされた。
変に時間を取られてイライラする。
動きたくて落ち着かない足をなだめる。
「お兄さんおいくつ?」
五十代くらいに見える男性警備員が俺に尋ねた。
「十五歳以下は、一人では面会できないよ」
「十六」
答えてから面会票に目を転じる。
入院患者の欄にヒロの名前、面会者の欄に俺の名前と続柄。
母親の再婚相手の弟、という存在がヒロで、続柄なんてどうやって書けばいいのか分からない。
仕方なく、弟と書いておいた。
なんだか腑に落ちない。血は繋がってない。
「肺の手術患者の病棟ってどこ?」
俺が警備員に尋ねると、知らないんですか? とそいつが眉をしかめた。
「呼吸器外科は七階西ですね」
入院病棟の欄に七西と書き込んで面会票を差し出したら、警備員は壁掛け時計を見上げ、もったいぶった芝居がかった仕草で言い放った。
「えーと、君ね。芹くんね。残念。午後七時回っちゃったから、今日はもう面会は出来ないね」
警備員を押しのけ、夜間出入口を背にリノリウムの床を蹴って走り出す。
足元がふわふわする。
急いでいるのに花弁にまとわりつかれて、上手く進めない。
俺は巨大な花を登っているらしい。
青紫の花びら。
花の中心部のふにゃりとした白。
キキョウに蔓や蔦があるはずもないのに、手脚に絡みついてくる。
青紫に染まる視界から花を振り払う。
喉奥が絞まる感覚。もどかしくて息苦しい。
なぜヒロに花が取り憑いたんだろう。
階段の手すりで身体を支える。手すりや壁が妙に生温かい。気持ち悪い。
息を整えたいのに整わない。
俺を追って来る警備員の呼吸も荒いのが分かる。
ヒロの息はきっと、もっと、苦しいんだろう。
母親が俺を捨てたみたいに、ヒロも俺を切り捨てるべきなんだ。きっと、俺を引き取ったりしたから呪われたんだ。
ヒロの肺が破れて死んでしまう。
七の表示を認めて扉を押し開け、階段室から廊下へ出た。
白い床でスニーカーがきゅっと音を立てる。
今いるところが西病棟なのか確信は持てない。
いつだって、自分の居場所に確信が持てない。
俺は病室の扉を順番に開けていった。ナースステーションに近い部屋から取りかかった。
水色のユニフォームを着た看護師が、慌てて俺に声をかけてきた。
「触るな!」
7115室のスライド扉を開けた瞬間、自分でも思いがけないセリフが出た。
触るなと叫んだ。
それは俺の肩に手をかけようとした看護師に。俺の後を追って階段を駆け上がってきた感じの悪い警備員に。
つきまとう花の幻に。
それから、ヒロの薄っぺらい胸に手を当てようとしていた医師に。
ヒロの身体に管が繋がっているのが見えて、俺は怯む。日に焼けていない肌の、浮き出た肋骨のやや下の方からチューブが出ていた。
花びらは散り、青かった視界が赤く狭まる。
医師は短髪の、白衣を脱いだらラグビー選手にでも見えそうながっちりした男だった。
医師はヒロの肌から何かを読み取ろうとしていた。俺には分からない、何か重要な情報をヒロから得ようとしていた。
嫌だ。
「触んな」
俺は医師がいる方と反対側からベッドに回り込んだ。
息が苦しい。こんな風にしたのはヒロだ。
ヒロのせいだ。
俺に花の呪いを感染させやがった。
俺はヒロに繋がっている管を脇によけてベッドにのし上がった。管の中に赤黒いものが見えてぞっとする。
ヒロの息は病人臭かった。
腹が立つ。
乾いた口の匂いと乾燥した肌の匂い。
ヒロの首筋からは、わずかにユーカリとミントの香りがした。いつもヒロの枕から漂ってくる匂い。
そこに鼻を押し付けた。
匂いを吸い込む。病人臭さとユーカリとミントの匂いを吸い込んで、沸騰しそうな頭をヒロの首筋に押し付けた。
「バカ」
ヒロの匂いをかいでいるうちに、呆れるほどに耳がしんとしてきた。
ヒロなんて大キライだ。俺の知らないところで勝手に肺に穴なんか開けやがって。勝手に花に呪われやがって。
勝手に死にかけやがって。
「手術ってなんだよ。バーカ」
医師は俺に分かるように説明してくれた。丁寧な口調の裏で、一刻も早く俺を帰らせたがっているのも分かった。
「ヒロさんは典型的な気胸体型ですね。痩せていて背の高い人に多い病気です。何か原因があるわけでもなく、自然に肺に穴が開いて、空気が漏れ出すことがあるんです」
「癌とかじゃないわけ?」
俺は医師をにらみつけながら訊いた。自分の声が震えてないか、気になりながら。
「癌とは違います」
医師と話しながら、俺はヒロのつま先を見ていた。ヒロの顔を見るのも、胸の管を見るのも嫌だった。だからシーツの下から突き出した足を見ていた。
靴下を履いていない足。
俺はヒロの足指の爪が気にかかった。親指の爪の端っこが浮いているように見える。
「肺の穴は自然に治ることもあるんですが、ヒロさんの場合はふさがってくる気配がないので、手術をしてふさぎます。腹腔鏡を使う手術で、難しいものではありません」
俺はヒロの足から視線を外し、医師の顔を見た。屈強そうな男だ。
医師と言うよりスポーツ選手みたいだ。少なくとも、気胸体型ではない男。
こいつは俺と同じ十六の頃に、どのくらい勉強したんだろう。
この男がヒロの手術をするんだろうか。
「先生。手術に失敗したら、あんた俺にメスで刺されるからな」
手術が簡単だろうが難しかろうが、俺には関係ない。この男が医師免許を取るのにどれほど努力したか、俺には関係ない。
こいつがヒロの身体に触れるのなら、それ相応の責任を取ってもらう。
それだけだ。
酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせているヒロを黙らせ、俺は医師に向き直った。
「あんた。こいつを治せんの?」
「治ります」
医師はマスクを外した。
唇は一文字に引き結ばれていた。太い眉と唇は平行線を描いていた。
「中島・・・・・・」
俺は医師のネームプレートを読み上げた。
ヒロのバカ、と心の中で罵る。ヒロがキキョウになんてなるから、手術が必要だなんてことになるから、だから俺がこんなバカみたいなことを言うハメになるんだ。
ヒロのせいだ。
「中島先生!」
後になってからヒロは、この日の俺の言動を、道場破りみたいだったと表現した。
「先生。ヒロの手術を」
知っている限りいちばん丁寧な言い回しで頭を下げた。
「・・・・・・よろしく、お願い申し上げます」
ヒロがもし死んだら、お前らみんな死ね、と心の中でだけ罵ってやった。
今夜は俺も病室に泊まると主張したら、中島医師が特別許可を出してくれた。これ以上騒がれたら困ると思ったんだろう。
ヒロは個室だったし、ちょうどいい。
ナースステーションから、つめ切りを借りて病室に戻った。
ヒロはリクライニングさせたベッドに上半身を預け、青白い顔をしていた。呼吸はそれほど辛くないけれど、胸に管が入っている部分が痛むらしい。
「胸にも管が入っているし、あの、実は排尿の方も、管が入っていて」
ハイニョウとわざと固い言葉で表現しつつも相当に恥ずかしいらしい。
ベッド脇に見えるビニールバッグを隠そうとする。
「入院になる直前に自分でトイレに行ったら、車椅子のフットレストで足の爪を剥がしそうになっちゃって」
慣れない車椅子に乗っけられて、足置きに自分で爪をひっかけてしまったらしい。
俺はベッドに腰掛け、ヒロのつま先に触れた。
ヒロの足先は冷たかった。
「バーカ」
ただでさえひょろひょろしてバランスが悪いんだから、小便なんて看護師に手伝わせればよかったんだ。
「つめ切りなんてやらせちゃってごめんね。痛くて、身体を上手く曲げられなくて。芹くんに僕のお世話をさせちゃうなんて」
ヒロはいつもそうだ。
自分のことはいつも後回し。今だって俺の心配ばかりしている。院内コンビニで夕飯を買ってこいとか、寒くないかとか暑くないかとか、明日学校はどうするのかとか。
「芹くん、ごめんね。足なんて汚いよね」
ヒロの足はヒロに似ている。ほっそりして長細い。くるぶしが飛び出している。
触るとあまりにひんやりしている。生きているのか心配になるような冷たさが気に入らない。
さいわいヒロが剥がしそうになった爪は、ちょっと深爪する程度に切れば大丈夫そうだ。
つめ切りに力を入れると、ばちん、と思いの外大きな音がした。
ヒロが身を震わせる。
「あ。芹くん、ごめん」
痛いのか、と俺が尋ねる前にヒロが謝る。
ヒロはすぐ謝る。ヒロのせいじゃないってことも謝る。
だから俺は何でも、お前のせいだと言いたくなってしまう。
「ごめんね。思ったよりつめ切りの振動が胸に響いて」
青白かったヒロの頬が心なしかピンク色に染まっている。
こいつ、俺に痛くされると生き返るのかな。
さっき中島医師の前で騒いだ時に、ヒロの胸に俺の身体がぶつかったと思う。
痛かっただろうな。
俺はつめ切りについているやすりでヒロの足指の爪を整えていった。薄くて栄養不足っぽい爪だなと思う。
爪の先端をやすりでなぞると、ヒロの冷たかった足先がほんのり温まってくる。
ヒロの顔に生気が戻ってくる。
爪を削る、そのわずかな振動がヒロをよみがえらせている。
「ヒロ。痛いの?」
右足の全ての爪にやすりをかけて、左足も差し出させた。
「痛くない、よ」
ヒロの手がシーツを握っている。
ヒロの手もヒロに似ている。細くて長くて繊細そうな指。その指が、時々、けいれんするようにシーツを握りしめる。
「二十九歳にもなって、十六歳の男の子に爪を切ってもらう背徳感がすごくて」
恥ずかしそうに、ヒロが恥ずかしいことを言う。
「バカ。ヘンタイ」
俺は毒を吐く。胸が痛いくせに、俺に触られている爪先のほうが重大みたいな顔しやがって。
「芹くんに、バカって言われる度に胸がちょっと痛くて、どきどきしてた。恋の病にでもかかったのかと思ってたよ」
ピンク色の頬でうつむく年上の男に、心底バカらしくなってくる。
「芹くん。今日嬉しかったよ」
ヒロが消え入りそうな声で告げた。
「僕を心配してくれてありがとう」
なんだよそれ。今言うタイミングなのか。
手術は明日で、まだ何も終わってないのに。
「バーカ。心配なんてしてない。ヒロのことなんて別に」
大キライだ。バカ。ヘンタイ。勝手に死ね。
浮かんだ言葉を口にしかけて、思考が立ち止まる。
ヒロの胸を痛ませるのも嫌だけど、恋の病だなんて。なんていうか、シュミじゃない。
手に持っていたつめ切りを閉じる。ぱちりと小気味よい音がした。
俺はつめ切りをナースステーションに返すために立ち上がった。
シュミじゃないけど。
「でも」
ヒロに向き直る。
胸に穴が開いてしまった男が首を傾げて俺を見上げている。
ヒロのことなんて好きじゃない。
ひょろひょろした見た目の、世話好きのヘンタイで、幸福の王子みたいに惜しげもなく自分を投げ出して、どんどん貧相になっていく。
見ていてイライラする。そういうところが大キライだ。
でも。
「好き」
身をかがめてヒロの右耳に注ぎ込む。
ヒロの耳が熟れたように赤くなって、頬がピンクになって、唇からは血の気が引いて青っぽくなっていく。
四季の移り変わりみたい。
あるいは、開花してほころんでいく花の早回し、または逆再生。
恋の病の特効薬が欲しければ、くれてやる。
今夜だけは。
明日、手術だから。それが終わるまで。
俺より早く死なれたら困るから。
それだけ。
《 完 》
なみ様のBL企画に参加させていただきました!
3つのお題はこちらでした!
・花
・つめ切り
・大キライ!でも好き
本作のタイトルはボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(私は岡崎京子先生のマンガで読みました)の、肺から蓮の花が生えてしまう少々の名前から。文字数はギリギリの4,995文字で何とか書き終えました。
今作は、タイトルは『アルファ・ビルヂング』なんですけど、オメガバースではない(!)自作の年の差同居BLから、ふたりを出張させてきました。
なみ様、ご参加のメンバーの皆さま、今回も素敵な企画をありがとうございます!!
私は実は、つめ切り描写フェチなので、楽しく書かせていただきました✨
