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【短編小説】 天空列車

*こちらは、なみさん主催#noteでBL企画の応募作です。BL・ブロマンス要素を含みます。

*ジャンル:ヒューマンドラマ

*あらすじ:晶は急逝した兄のアカウントから、司という男に返信を続けている。会うことができないため、司との待ち合わせはキャンセル続き。春休みのある日、晶は司から「京急線の天空橋駅で待つ」というメッセージを受け取る。土壇場でキャンセルしてしまう予定だったが・・・・・・。

✏︎✏︎✏︎こちらから本文(4,987字)です。


 急逝した兄になりすまし、僕は男にメッセージを送った。
『いま地獄にいる。もうだめだ。ごめん』
 相手は司。
 僕が兄から引き継いだこのアカウントには、フォローもフォロワーも司しかいない。二人きりの、袋小路のように閉じたSNSだ。

『明日、最後にひと目だけでも会いたい』
 数秒後に返信があった。
 司が待ち合わせに指定してきたのは、京急線の天空橋駅だった。羽田空港の一つ手前の駅。

 司は三日前から出張で都内にいるのだ。響に会いたい、というDMが毎日入ってくる。
 響は兄の名だ。
 僕は兄の名を騙り、司に返信している。
 会うことは出来ないから。

『仕事が終わらない』
『今日も帰れない』
『今夜は余裕がない』
 僕は兄に成り代わって、司との約束をキャンセルし続ける。

 プロフィール欄に偽りがなければ、司は、黒髪で整った横顔の、兄と同年代の男だ。
 司の投稿はいつも背景が空白だ。ぼやけた空と雲、淡いグレーや濃いグレー。おそらく重要なのは音。列車の走行音と、時々、駅名を告げるアナウンスが入っている。
 僕は、そこに何らかの手がかり、例えば息づかいが聞こえることを期待する。

 
 僕も小中学生の頃までは、兄とともに電車に乗った。四両や二両編成の私鉄線の末端まで行って、ひんやりした空気を吸い、帰ってくる。
 ひとまわりも年上の兄と何を話していいか分からなかった。
 兄は僕を先頭車両に連れて行って座らせ、ひよこを形どったお菓子をくれた。僕は白あんをぽろぽろと膝の上にこぼしながら、窓の外や兄の手の甲を見ていた。
 菓子はほんのり甘く乾いていて、飲み下すのに苦労した。
 兄は黙って、車輪の音や列車のきしむ音に耳を澄ませていた。
 やがて高校生になった僕の目には、無口な兄との旅は少々退屈に映った。兄自身、一昨年転職してからは休暇が取れなくなっていた。

「晶? そろそろ起きる? お父さんとお母さん、今日は社労士さんに会ってくるから」
 ドア越しに母が遠慮がちに声をかけてきた。春休みに入って完全昼夜逆転になっている次男を、両親は甘やかしている。
 というよりも、親は僕のことまで気が回らないのだろう。

『さっきホテルをチェックアウトしたよ。天空橋駅に向かいます。羽田発伊丹行きの最終便は十九時十五分です。響にちょっとでも会えたら嬉しい』
 静まりかえったダイニングテーブルで僕は司からのメッセージを確認した。
 司は待ち合わせの時刻を指定していない。ぎりぎりの時間まで天空橋駅で兄を待ち続けるつもりだろうか。

『なんで天空橋なの?』
 キャビネットの上の兄の写真に語りかけるように、僕は司に返信した。

 間を置かず、司からファイルが一つ送られてきた。『赤い電車』とある。
 駅中の雑踏のざわめきが聞こえる。シュウっという空気音と不明瞭なアナウンスに、僕は眉をしかめボリュームを上げた。
 吹き上がってきたのは音階。
 僕には絶対音感なんてないけど、単純にドレミファソじゃなくて、途中不器用に半音階になりながら、あっという間に上り詰めていく二秒間のオーケストラ。
 インバーターの加速音と風切り音は、空に舞い上がっていくかのよう。

 天空橋駅行きはドタキャンのつもりだった。僕は兄の代わりには、なれないのだから。

 兄は、もしかしたらこの電車に乗りたいのかもしれない。そう思ったら自然に身体が動いていた。
 音階が、羽毛のようにきりもみして昇天していく、その様を思い描く。

 すでに午後三時を回っていた。羽織のフードの中にピンクの花びらが落ちてくる。雨上がりの大気をふるい落とし、最寄り駅から横浜方面の電車に乗った。
 乗り換え案内を指先で操作し、枯れ枝の先のような路線図の上をじりじりと進む。
 耳にイヤホンを入れる。
 京急線、音階、と検索すると、ドレミファインバーターなるものに行き当たった。
 独シーメンス社製のもので、加速音が音階になっている。2021年まで使われていたらしい。実際はファソラシドと音が上がっていく、と解説している動画もあった。
 もうすでに走っていない電車と知って、僕は落胆した。
 現実の電車のモーター音と2021年以前の走行音を聞きながら、数年前の兄の姿を思い起こす。
 ささやかなパラレルワールドに浸る。

 空港線に乗り換えた。線路はほどなくして地下に潜る。浮き足立っていた耳が落ち着く。
 もの寂しい。電車の窓に映る自分の顔が、兄に成り代わる。
 京急電車は加速が速い。内耳に圧を感じる。
 これから飛び立つためというよりも、地球の中心へ向かって降りていくかのよう。
 下降一方通行のエレベーターみたいだ。

 天空橋駅は、やはり地下にあった。
 構内の藍色のタイルは僕を尻込みさせた。場違いなところに来てしまった。開放感などどこにもない。
 壁の青と点字ブロックの黄色の対比。黄色を踏み超える。列車は走り去る。
 赤い車体が遠ざかる。

 司がいるのが、羽田方面か東京方面か、どちら側のホームかを確認していなかった。
 土壇場で尻込みする。
 僕は羽田方面のホームに立ち、そのまま他の人に紛れて改札を抜けてしまうことを考えた。あるいは向かいのホームに回って、自宅へ帰る電車に乗るか。
 
 考えているうちに人並みは霧散し、ホーム上には僕ともう一人、紺のスーツ姿の男だけが残された。
 男は機内持ち込みサイズのスーツケースと手荷物鞄を持ち、車両一つ分くらいの距離から僕を見ていた。心持ち首を傾げ、まばたきした。
 彼が司だ、と僕には分かった。
 僕は一歩近付こうとし、司はスーツケースを引いてこちらに歩み寄ってきた。

「兄は来られなくて」
 とっさに出てきた言葉が幼稚に思えて、自分でも嫌になる。
 
 弟さん? と顔をのぞき込まれた。柔らかな声だった。
「響が、髪型を変えたのかと思った」
 僕は、最期の頃の兄はどんな髪型をしていただろうかと考えた。前髪を切ってくれ、と兄から頼まれた日があったことを思いだした。
「兄は、もう、来られません」
 僕の台詞に司は目を伏せた。
 そういう意図はなかったけど、傷つけたのかもしれない。

「君は天空橋に行ったことがあるかな?」
 司は朗らかな口調で僕を誘った。
 兄ではなく僕を待っていたかのような振る舞いだった。
「行ってみないかい?」

 司の後について改札をくぐり、地下通路を抜け地上に出た。
 思いのほか冷えた外気に首をすくめる。空はまだ明るい。花冷えという言葉が頭をかすめる春先の、遅い午後。
 地上出口のところで司は左右を見渡し、口元に手を当てた。スーツケースが司の左脇で自立する。
「たぶんこっちだったと思うんだ」
 僕は司の後ろ姿を追う。
 肩幅は兄と同じくらい。背が高く、全体的に細身で敏捷な物腰の人だ。
 
 ふいにスーツケースの車輪の音が止まり、僕は橋に着いたことを知る。
 司が道に迷うそぶりを見せた理由が分かる。
 天空橋という壮大な名前には似つかわしくない、地味で平坦な、歩行者用の橋だった。入り口に天空橋と刻まれていなければ、それと気が付かないかもしれない。
 海が近いのだろうか、磯の香りが時より寄せてくる。

「七月二十日って司さんの誕生日ですか?」
 橋の真ん中あたりで、僕は聞いてみたかったことを尋ねた。

 Tsukasa0720というのが、兄から引き継いだアカウントのパスワードだった。
 兄が、倒れる直前にわざわざ僕に知らせてきたのだ。
 僕は、男二人と電車の走行音だけのSNSに、どういう感想を抱いていいのか分からなかった。尋ねることが出来ないまま兄は逝ってしまった。
 
 司が見上げる空はインディゴブルーに移り変わり始めていた。
「それは、京急のドレミファインバーター電車の、ラストランの日付だね」
 司が目で、僕の話の先を促す。
 僕は黙る。僕が知りたいのはむしろ、司と兄の話だ。

「電車オタクの、いわゆる音鉄の間では、ドレミファインバーターはメジャー過ぎたんだ。面白さが分かりやす過ぎるというのかな」
 分かる気がする、と僕はうなずく。
「有名だしずっと存在するものだと思ってた。だから実際に聞かないうちにドレミファインバーターが消えてしまうというのは、ショックだった」
 司の顔がオレンジに染まっていた。
 空が、インディゴブルーからあかね色のグラデーションに変化する。遠くない場所で、飛行機が離陸を始めた。
「響とは、オンライン上の音鉄仲間だったんだ。性別はお互いに知らなかった。思い切って、会いたいとメッセージを送ったんだ。ドレミファインバーターみたいに、いつかそのうち、と思っていたら永遠に会えなくなってしまうんじゃないかと思って」
 永遠に会えない、という一文が僕の喉を詰まらせる。
 飛び立っていく飛行機が、淡くにじむ。

「それで、初めて響と俺が待ち合わせたのが、天空橋だったんだよ。名前からは、こんなに普通の橋だと思わなくて」
 思い出の場所に立って司は微笑んだ。
 首の後ろがすっと伸びた横顔は、彼の、SNSのプロフィール欄の写真と酷似していた。あれは兄が撮影したものだろうか。


『いま地獄にいる。もうだめだ。ごめん』
 司は宙空に書かれた文字を読み上げるかのように、一言一句間違えずに暗唱した。
 それは昨夜、僕が司に送った文言であり、兄が家族LINEに送ってきた最期のメッセージでもあった。

「君のお兄さんは、俺に会えない理由があるのかな」
 僕は司のしゃべり方が、兄とよく似ていることに気が付く。柔らかで静かで、物音のはざ間にひっそりと響くのだ。
 もう兄の声を聞くことは叶わない。

『仕事が終わらない』
『今日も帰れない』
『今夜は余裕がない』

 そんな一言一言さえ、ひっそりとしていた。
 兄がどれほど追い詰められていたのか、僕には気付けなかった。

 僕のボトムスのポケットの中で、スマートフォンが振動した。母からだ。社労士相談から帰ってきたらしい。僕の出かけ先と夕飯の心配をする内容が書かれている。
 さらに母のメッセージを読み進め、僕は気分が悪くなる。

『お兄ちゃんの新しく入った会社で、直属の上司からパワハラがあったんだよ。ノルマを押しつけられて、お兄ちゃん大変だったみたい。社内であることないこと変な噂を立てられて、それも、その上司の仕組んだことらしいよ』
 母の怒り口調そのものの文面をスクロールする。
 怒っているうちはまだいいのだ。僕が帰宅する頃には、母は泣き疲れているだろう。


「兄が地獄にいるとは思いたくないんです」 

 ふわり、と温かくて軽やかなものが僕の肩に降りてきた。司のジャケットだった。
 司自身は白いシャツ一枚で少し寒そうに首の後ろを縮めた。僕の震えを寒さだと思って、気を遣ってくれたらしい。

「でも、もう、兄はこの世にはいないんです」

 永遠に会えない。

 地下駅から人々が地上に登り、橋を渡り、住宅地の方へ歩いて行く。
 日が暮れる前に、空はいっそう深い青になる。羽田空港の灯りがまたたいて、地表と空の境目を曖昧にさせる。

「響は、いつ亡くなったの?」
 司は、半ば予期していたような話し方をした。

 去年の年末。寒さが本格化する頃だった。兄は会社の最寄り駅で倒れ、救急病院に運ばれた。意識は戻らなかった。

「もしかして、君がずっと、響の代わりに俺のメッセージに応えてくれていたのかい?」
 僕はかぶりを振りかけて、思い直す。
「そうです」
「三ヶ月間も?」
「ごめんなさい」
 結果として、司を騙していた。

「君の名前は?」

「晶」

 あきら、と司が復唱した。
 僕の名を口に出すときの、わずかに恥じらうような間が、兄に似ていた。
 声質は全然違うのに兄を思い出す。僕のことを晶、と呼んでくれる年上の男の人。
 僕は司のジャケットをぎゅっと肩に巻き付けた。

「響は、響のために一緒に泣ける存在を、用意してくれていたのかな」
 君のことだよ、と司が喉を開く。
 歌うように。
 
 僕は司の横顔を見上げる。
 瞳の表面に水分があって、それは平時には意識されない。水際がふっくりと盛り上がって、表面張力が均衡を崩し、出来たての滴が睡蓮の上をころげるように、生まれては落ちていく。
 司の頬を涙が濡らしている。
 音は聞こえない。

「もう一度、僕の名前を呼んでもらえませんか?」
 僕は司の涙を手のひらで受けたいと思う。

「晶」

 右耳から、僕の名前が吹き込まれ、額を通過し空へ抜けていく。
 上っていく音階と、蒸発していく手のひらの水分と。

「お兄ちゃん」

 僕は祈る。
 兄が天国行きの列車に乗っていますように。


《 完 》


*3つのお題は、「地獄」「土壇場でキャンセル」「オタク×オタク」でした!


*あとがき:今回は、あとがき記事は別に書かず、こちらに簡単に記載させていただきます。
 人が亡くなる話はなるべく避けたい、と思っているのですが、今回すごく暗い方へいってしまったのが反省点です。前回のお題の経験を活かし、一文一文の密度にこだわってみました。BL度は低めだったかなと思います。
 着想のきっかけになったのは、noteでBL企画メンバーの四四田鹿辰さんも、好きとおっしゃっていたヤマシタトモコさんの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・トーキョー』という短い漫画と、くるりの『赤い電車』です!
 オタクというお題が、楽しくも難しかったです。

 皆さんの企画作品を読むのも楽しみにしています。読んでくださる皆さま、そしてこの魅惑の企画を運営してくださっているなみさん、いつもありがとうございます!


2026年4月20日


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