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どこからどこまでが自分なの?

自我は内側前頭前野にあるらしい。それを踏まえると、瞑想は内側前頭前野で思考野の働きを知覚している状態(思考する自分を観察している状態)と言えるかもしれない。

考え1 脳の中で一番権力が強い部分が自分

自我があると言われている内側前頭前野。多分そこが、脳の中で一番権力が強いと思う。無意識にぐるぐる考えてしまう悪い癖は、思考している自分に気づくことで、改善されるかもしれない。

考え2 自分なんて無い

体は自分じゃない。脳も自分じゃない。無こそが自分だとする思想がある。

何も無い空間。それは完全に無と言えるだろうか。そこには物が存在するためのスペースがあるといえるのではないだろうか。本当に何も無いのであれば、空間さえもない。

自我にも同じことが言える。自分が存在するための空間があって、その空間こそが自分である。つまり根源的には皆同じ存在であって、自分なんて無い。自分だと思っていたものは、切り分けられた空間でしか無い。

自分だと思っていたものが自分じゃないとわかると、少し楽になる

この世から身体が消えるとどうなるか。感覚器官が無いから、全てのことを知覚できなくなる。ただあるだけになる。自分の身体が存在するはずの空間があるだけになる。改めて自分という存在を定義すると、自分とは身体に閉じ込められた空間であると思う。身体が死んだら、自分が存在した空間は、周りの空間と混ざる。自分の身体が生まれる前から自分はあったし、身体が死んだ後も自分はあり続ける。死が苦しいのは、感覚器官があるから。逆に感覚器官があるから、幸せを感じることもできる。今、人生が苦しいのであれば、それと同じくらいの幸せを感じるポテンシャルを持っている