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「文章にリズムがある」とはどういうことか


最近,若い学生さんたちの間で「エッホ エッホ」という言葉が流行っているということで,何それ?と思いながら,「エッホ エッホ」の元祖となったという動画を見てみました。



開始ボタンを押すと,真っ白な毛色のメンフクロウの赤ちゃんが,「エッホ エッホ」と言いながら芝生の上を走り始めました。何これ。たったそれだけの,15秒程度の短い動画なのです。しかし,「エッホ エッホ」の不思議なリズム感が頭にこびりついてしまいまして,一日中,脳内で「エッホ エッホ」が再生され続ける状態が続いております。再生を止めようとしても止められない人がいるって伝えなきゃ🦉。


なぜこんなにも,聴く人の記憶に強く残るのか。独特な音程やメロディラインとか,芝生の上を走るメンフクロウの赤ちゃんのかわいらしさとか,様々なモダリティの複合的な影響があるのだと思います。しかし,それよりも,この強い印象の正体は,歌詞が刻むリズム感にあるのではないか。「エッホ エッホ」を聞きながら,そんなことを真面目に考えていました。


文章はリズムで決まる



これは,プロの文筆家の方々が共通しておっしゃっていることでもあります。

もしその文章にリズムがあれば,人はそれを読み続けるでしょう。でも,もしリズムがなければ,そうはいかないでしょう。二,三ページ読んだところで飽きてしまいますよ。リズムというのは,すごく大切なのです。

村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』
文藝春秋,2012,p. 559

文章には,「文体」と呼ばれるものがある。
そして,文体の正体とは「リズム」である。
「リズムの悪い文章」はなぜ読みにくいのか?
リズムの悪い文章とは,端的に言えば「読みにくい文章」のことである。
書いてることは間違っていないし,いいことも書いてある。
けれどもどうにも読みにくい。
すらすら読むことができず,小骨が喉に刺さったような違和感,引っかかりを感じる。

古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』
星海社新書,2012年,pp. 58–60


文章のリズムについて,『言語学大辞典』(亀井孝ほか編)によると,次のように説明されています。「ある発話において,音の強弱,高低,長短などに関する一定のパターンがくり返し現れ,個々のパターンに要する時間がほぼ等しいとき,そこにはリズムがみられる」と。


この定義に従うと,文章のリズムというのは,「一定のパターンを繰り返す」ことだと言えそうです。もちろん,要素はこれだけではありませんが。
先ほど触れた「エッホ エッホ」の動画で使われている歌詞を文字化してみると,聴覚だけでなく,視覚的にも,リズムの正体が見えてきます。


アンパンマンは / つぶあんって / 伝えなきゃ
エッホ  エッホ エッホ 
ニンゲン以外は / ねこじたって / 伝えなきゃ
エッホ 
みんなに / 伝えなきゃ


「アンパン」と「ニンゲン」はどちらも「◯ン◯ン」という撥音(ん)が入る,「つぶあん」と「ねこじた」はどちらも「濁音」が入るというリズムの共通点があります。真面目に分析している人がいるって伝えなきゃ。
というか,アンパンマンの中身は,こしあんじゃなくて「つぶあん」だったのですね。


リズムがあると印象に残る。リズムがあると心地よい。
この「リズムの正体」とその重要性は,日常会話の中でも観察できると思います。私は,職業上,若い学生の日常会話を耳にする機会が多いのですが,特に女の子たちの「初対面なのにいきなり仲良くなっちゃう」能力の高さに,いつも驚かされているんですね。これは,おそらく,女の子たちが,身体に染み付いたある一定の「語りのリズム」でコミュニケーションを取っているからではないか。そんなふうに思うことがあります。お互いが「なにを考えているか」という「話の内容」そのものよりも,「語り口」のリズムで「ノリが合う」かどうかということが,まず意識されている。これは,最近,授業の合間の休憩時間に,大学1年生の女の子たち(3人)のやりとりを耳にしたときにも感じたことです。学業成績を数値化したGPA(Grade Point Average)のことを話していたようなのですが,話の内容はさておき,そのやり取りに見られる「ノリ」というか,独特の「リズム」に引きつけられたのです。

あみか:あれ,なんだっけ,あれ,成績を数値で表したやつ。アルファベットの。BGM?

かすみ:いや,BGMって,それ音楽っしょ。バックグラウンドミュージック。

みどり:笑。成績ってGDPのこと?

かすみ:いや,GDPって,国内総生産やん。GPAちゃうん?

あみか:ああ,そうそう。

(中略)

みどり:っていうか,今日,餃子 食べに行かへん?

ある日の女子大生の会話(名前は仮名)


BGMがGDPに訂正され,さらなるフィードバックを経て,GPAに訂正され,なぜか,当初は予測もつかなかった「餃子を食べに行かへん?」という展開で着地する。彼女たちの関心事は,学業成績の平均値であるGPAでは,もはやないのです。それよりも,重要なことは「すでに始まった会話を何が何でも継続する」という共通目的のために,全員一丸となって協力しあうことにある。一人一人が瞬時に「自分のパート」を直感的に探り当て,そこで期待される「リズム」を相手の期待通りに「発する」。一人が最初に「テーマ」を提出すると,もう一人がそのアイデアを引き継いで異なる展開を試みる。「ヴァリエーション(変奏)」を返す。それが,結果的に,自分たちだけが奏でられるハーモニーとなる。このバトンをつなぐような技巧が,ただただ,おみごとで,感動すら覚えてしまいました。自分が,サッチーという4人目の女子大生として,この女の子たちの会話に入っていたら・・・このリズムに入っていくのは至難の業だったはずです。会話を継続することができず,キャッチボールがそこで終わってしまっていたことでしょう。関西圏では「オチのない人」としてディスられてしまう可能性が高いです。


コミュニケーションの本義は,単に意味のある情報を送り合うだけではなく,「コミュニケーションできる相手がそこにいる」という事実を確認し,共有し合うことである。コミュニケーション研究で言われていることですが,彼女たちのコミュニケーション・パフォーマンスはそれをみごとに表しているように思いました。そして,3人のやり取りを支えているのは,それぞれの「勘の良さ」と,自然に習得した「語りのリズム」ではないか。それは,譜面もなく指揮者もいないのに,自分たちの呼吸だけで演奏を始めた即興楽団のようでもあります。ただ自分たちの勘とリズムにしたがって演奏を続けていく。こういう技巧は,文章を書くときにも共通するもので,本質は同じではないか。「前へと前へとスイスイ読める文章」とか「次が読みたくなる,続きが読みたくてしかたない文章」とは,読み手が無意識に期待しているリズムを,書き手がその期待通りに「発する」ことで生まれるのではないか。情報の伝達というよりも,関係性の構築がコミュニケーションの根源だからです。そう考えると,「いい文章とはリズムである」という説は,単なるテクニック論ではなく,読み手と書き手がいかに共鳴するかという「関係性の話」なのかもしれません。3人の女の子たちのやり取りを聞きながらふと考えたことです。このことを伝えなきゃと思って,文章を綴ってみました🦉



hd4anceさんの画像をお借りしました。ありがとうございます。