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聖徳太子と現代人、会話は成立するのか?──言葉のタイムスリップ、1300年の隔たり。【第21話】

「こんにちは」は通じるのか?

たとえば、もし聖徳太子が現代にタイムスリップしてきて、あなたの目の前に現れたら。
あなたはこう声をかけるかもしれません。

「こんにちは。いつもお世話になってます!」

……でも、これ、きっと通じません。
なぜなら、聖徳太子が話していた言葉と、現代日本語はまったく違うからです。



上代日本語ってなんだ?

聖徳太子が生きたのは、7世紀前半。
このころの日本語は、「上代日本語(じょうだいにほんご)」と呼ばれています。

これは、今の日本語とはかなり違います。
文法も語彙も、なにより発音そのものが異なっていたとされています。

⏬過去回に聖徳太子のお話しもあるので興味ある方是非😋


たとえば――
• 「山(やま)」は今と同じように「やま」
• 「鳥(とり)」は「とほり」や「とり」
• 「私」は「われ」や「あれ」

つまり、同じ意味でも音や使い方がまるで違うんです。



太子はどんなふうに喋ってたの?

聖徳太子が話していたのは、万葉集のような世界に近い言葉。
つまり、“日本語の原型”ともいえる形です。

「日(ひ)」が「ぴ」や「ひ」など複数の発音だったり、
「母(はは)」や「父(ちち)」のニュアンスが今と少し違ったり。

現代人がそのまま飛び込んでも、通訳が必要なレベルです。

言葉は時代とともに変化します。
だから、1300年前の太子と私たちが「そのまま会話する」のはかなり難しいのです。



じゃあ、どうやって通じてたの?

当時は「漢字」が使われていました。
でも、読み方は中国語ではなく日本語っぽく変換して使っていたんです。

これが、「訓読(くんどく)」という日本独特のスタイル。
• 中国語の文法 → 日本語風に並べ直す
• 発音 → 当時の日本語で読む

こうして、漢字を使いながら、日本語を育てていったのです。
聖徳太子もきっと、漢文を日本語的な語順・発音で読みながら人々と会話していたはず。



「言葉の進化」をたどる旅

言葉は「生き物」です。
変わっていくものなんです。

古代 → 中世 → 江戸時代 → 明治 → 現代
そのたびに日本語は形を変えてきました。
• 平安の貴族たちは、雅な言葉で和歌を詠み、
• 武士たちは命がけの約定を口にし、
• 江戸の町人は、粋な言い回しで商いをし、
• 明治以降は「言文一致」で、話し言葉と書き言葉が近づいてきました。

今のLINEやSNSの言葉だって、きっと100年後には「昔の日本語」になるかもしれません。



🔚 おわりに

言葉が変わるということは、
その時代の人々の“考え方”や“価値観”が変わるということでもあります。

もし、聖徳太子と会話できたなら、
それは「言葉のすり合わせ」だけでなく、「心の時差調整」でもあるのかもしれません。

それでも、こう言えば、きっと伝わる気がします。

「いとをかし」

言葉の向こうにある“気持ち”が、今も昔も変わらないことを願って。



🔜 次回予告(第22話)

南北朝時代──なぜ“天皇が二人”になったのか?

一つの国に、二つの天皇?
南朝と北朝──それぞれの正統性をめぐる争いは、日本史でも特に複雑で、
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次回は、この“日本史最大級のねじれ”である南北朝時代を、
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