見出し画像

壬申の乱の敗者たち──その後、そしてもし勝っていたら?【第25話】

日本史のなかでも特にドラマチックな政変──それが**壬申の乱(672年)**です。

舞台は、天智天皇の死後。
後継を巡って、その子である大友皇子と、天智の弟・**大海人皇子(のちの天武天皇)**が衝突します。

この戦いに敗れた大友皇子とその側近たちは、その後どのような運命をたどったのか?
そして、もしこの戦の勝敗が逆転していたら、日本の歴史はどう変わっていたのか?

今回は、「敗者」のその後と、歴史の「もしも」を辿っていきます。



■ 大友皇子──若き“帝位継承者”の悲劇

大友皇子は、天智天皇の第一皇子で、当時20代の若さでした。
正式な立太子はされていませんでしたが、政務を任されるなど、事実上の後継者と見なされていました。

壬申の乱では、近江の朝廷を率いて防衛戦に臨みます。
しかし、兵力や民心の差もあり、あえなく敗北。自ら命を絶ったとされます。

ただし、その最期については異説もあり、逃亡・出家説や、処刑されたという説もあります。
いずれにせよ、彼は**「逆臣」**として歴史から姿を消すこととなりました。

しかし、時を経て明治時代に「弘文天皇」という追号が追贈されます。
これは異例の措置であり、彼を“正統な天皇の一人”として認めたものでした。

気になる子孫については、確かな史料が残っておらず、消息は不明です。
一部に「大友氏」と名乗る家系が後世にも存在しますが、彼の直系かどうかは断定されていません。



■ 蘇我赤兄──最後の蘇我宗家

蘇我赤兄は、蘇我倉山田石川麻呂の子。
かつて権勢を誇った蘇我氏の末裔であり、大友皇子を支える重臣のひとりでした。

壬申の乱では近江朝廷側に立ちましたが、戦後に記録から姿を消します。
多くの研究者は、敗戦後に粛清されたと見ています。

ただし、蘇我氏そのものは完全には滅びず、地方の豪族として細々と生き残ります。
中央政界から姿を消した一方、地方の役職や郡司の名簿に名前が見えることから、“歴史の裏側”で系譜は続いていたと考えられます。



■ 中臣金──兄は敗れ、弟は時代の覇者に

中臣金は、藤原鎌足(中臣鎌足)の一族であり、大友皇子に味方しました。
壬申の乱では敗者側となり、その後の記録には登場しません。

おそらく、戦後の混乱のなかで失脚・処罰されたのでしょう。

しかし興味深いのは、同じ中臣氏のもう一人──**中臣不比等(のちの藤原不比等)**は、勝者・天武天皇のもとで大出世を果たします。

この結果、家系としてはむしろ栄えることになり、「藤原氏」として平安時代の政治を実質的に支配することになるのです。

つまり、敗者と勝者が同じ一族に同居していたという、非常に稀なケースでもあります。



■ 佐伯連男──武をもって仕えた将軍の末裔

佐伯連男は、朝廷の近衛軍である「衛士(えじ)」を率いた軍事官僚。
壬申の乱では、近江朝廷の武力を担い、重要なポジションを占めていました。

戦後の処遇は不明ですが、彼個人の名は記録から消えます。

しかし、佐伯氏という氏族はその後も奈良時代・平安時代に名前が登場し、地方官人として生き残ったと見られます。
一族の中には国司や郡司を務めた者もおり、中央から姿を消しても、地道に血脈は受け継がれていったようです。



■ もし大友皇子が勝っていたら?

さて、ここからは“歴史のif(もしも)”の話。

もし壬申の乱で、大友皇子が勝っていたら──
日本はまったく違った形の国家に育っていたかもしれません。

まず、中央集権的な天皇制国家(律令国家)の形成は遅れていた可能性があります。
天武天皇は、大王を“天皇”と名乗らせ、国家機構を飛躍的に整備した人物です。

一方の大友皇子は、天智天皇の政治スタイル──やや貴族合議的な政権──を踏襲していたと見られ、ここまで強い統治権を天皇に集中させなかった可能性が高いのです。

さらに、彼が勝っていれば、中臣不比等=藤原不比等の台頭はなかったかもしれません。
そうなると、「藤原氏が日本の政治を支配する」という平安時代の構造自体が消えていた可能性すらあります。

また、中央集権化が不十分であれば、地方の武士や豪族が早くから独立性を強め、武家政権の登場がもっと早まった可能性もあります。
もしかしたら、鎌倉幕府のような仕組みが、平安時代の初期にはすでに芽生えていたかもしれません。



■ 敗者の歴史は、勝者だけが語るものではない

壬申の乱は、たしかに勝者・天武天皇の歴史です。
しかしその裏で、敗者たち──大友皇子、蘇我赤兄、中臣金、佐伯連男たち──が辿った運命も、確かに存在しました。

敗れても、姿を変えて生き残る一族。
粛清されても、地方で語り継がれる名。
そして、同じ一族から勝者と敗者が生まれるという、歴史の皮肉。

「勝者が歴史をつくる」と言われますが、
敗者の生き様にもまた、私たちが学ぶべきものがあるのではないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!