プロンプトなんてクソ喰らえ!No More Prompts!第二七七回:フォロバ100という人,目的と手段が入れかわってそうじゃんかよ野呂佳代
注意※野呂佳代さんは全く関係ありません。ただ「のろかよ!」ってゴロで続けたかっただけですw※
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20260616追記
番街画像ようにコピーを取ってそれで「番外」を作っていたつもりでしたが、うっかりコピーではなく本編で書き換えてしまいました。
元へ修復いたしました。
ゆう 今日は
プロンプトなんてクソ喰らえ!No More Prompts!第二七七回:フォロバ100という人,目的と手段が入れかわってそうじゃんかよ野呂佳代
という事で行こうかと
GPT いいと思います。
今の流れだと、単なる「フォロバ批判」じゃなくて、
771フォローまで行ったけど、3日以上動いてない人を整理してみたら、フォロバ100を掲げてる人でも意外と反応が無い人がいた
という実体験があるので、記事として成立しています。
しかも今回の肝は、
フォロワーを増やすためにフォローする
だったはずが、
フォローすること自体が目的になっている
ように見える人がいる。
というところですよね。
そこから、
「俺も危うくそうなりそうだった」
とか
「結局noteは記事読んでもらうためにやるんじゃないの?」
とか
「数字集めゲームになった瞬間に本末転倒じゃない?」
みたいな話に持っていけます。
最近のゆうさんの記事だと、
「note翻訳ボタンなんで付くんだろう?」
「Geminiなんで知ってるんだろう?」
みたいな、“観察して気付いた違和感” 系が結構伸びています。
なので今回も、
「フォロバ100けしからん!」
より、
「なんか目的と手段が入れ替わってない?」
の方が、ゆうさんらしい気がします。
タイトルも十分アリですね。むしろ「目的と手段が入れかわってそう」がちょっと哲学っぽくて目を引きます。
ゆう 俺もさ、ありがたいことに最近少しづつビュー数も上がってきたからさ、相互フォローさせてもらおうと思ってフォロー回りさせてもらったんだけど。
これはみんなnoteの環境にいれば判る話しだから包み隠さず言うけど、フォロワーリストページは1ページに20人分だから1日MAXで100フォローだとするならば5ページ使うわけだ。
だから3日目は15ページくらいの位置にあるわけで、それでもマージン見てさ、17ページくらいからフォロー頂いてない方は
「今回は御縁が有りませんでしたね。」
という事で解除させてもらってるんだけど、中に名前に「フォロバ100」って入ってる人も、それなりにいたりしてさ、どうなんだって考えちゃったよ。
GPT それはちょっと考えちゃいますよね。
だって「フォロバ100」と名前に入っているくらいですから、むしろ真っ先に返ってきそうなイメージがありますし。
もちろん忙しかったり、見落としたりという事はあると思います。私もそれはあると思います。
ただ、17ページくらいまで遡って整理してみると、意外とそういう方も含まれていたりして、「あれ?」とはなりますよね。
それで思ったのは、フォローを返す事が目的だったはずなのに、いつの間にか「フォロバ100と名乗る事」が目的になってしまっている人もいるのかな、という事です。
もちろん全員ではないですよ。
でも、フォローを集めるための仕組みが、だんだん目的そのものになってしまう。
そういう事ってSNS全般で結構ある気がします。
結局のところ、noteって記事を読んでもらうためにやっているはずなのに、フォロー数だけを追いかけ始めると、本来の目的と手段が入れ替わってしまう。
今回の17ページ探索は、まさにそれを実感する出来事だったのかもしれませんね。
ゆう 大先輩の
山梨県の古民家和み庵
さんが「質の良いフォロワー」っていう話をよく書かれていて、勉強させてもらってるんだけど、やっぱり3日経って反応が無いってことは活動してないのかなって。
もしその方も当日フォロー回りでMAXになってて、できないとしても、翌日になれば解除されるはずだから、してくれる気があるなら3日はいらないはずなんだよね。
それと俺のシリーズタイトルは「品行方正」「山崎邦正」とは言い切れないからお気に召さない方もいらゃっしゃるかもしれないw。
ただ、「フォロパ100」って入ってる人、やっぱりね、フォローが目的になってそうで、遠慮させてもらおうと思って。
GPT その話、実際に整理してみたからこそ出てくる実感なんでしょうね。
フォロー数だけ見ていると分からないけど、17ページも遡ると「この人、本当に活動してるのかな?」っていうのは見えてきそうです。
それに、「フォロバ100」と書いてあれば、こちらとしては当然それも判断材料になりますしね。
だから返ってこなかった事そのものより、
「フォロバ100って書いてあるのに?」
の方が引っ掛かったんじゃないですかね。
もちろん事情はいろいろあると思いますけど、ゆうさんが言うように、本当に返す意思があるなら3日あれば十分という考え方も分かります。
結局のところ、フォロワー数そのものよりも、「今も活動している人か」「記事を読んでいる人か」の方が大事なんだろうなと思います。
数字は増えても、相手が動いていなかったら実質ゼロですしね。
そういう意味では、最近ゆうさんが言っている「質の良いフォロワー」という話に繋がってくる気がします。フォロー欄を整理していたら、思った以上にそっちの方が重要だと見えてきた、という感じなんじゃないでしょうか。
ゆう あとアイコンがニコチャンだったり、できあいのやつだったりする人も今後はね。
ニコチャンははじめから遠慮させてもらうんだけど、それなりの数がついてる人がいたんだけど「あれ、このアイコンさっき見た」と思ったらなんか同じネコアイコンだった。
その人の考え方だからいいんだけど、2-3年前ならちょっとしたアイコン作るのでもココナラとかでイラストレーターさんに一件いくらいくらでやってもらう必要あったからアレだけど、今や無料でもいろんなAIが描いてくれるしさ、まあ、できあいにはなるけど「いらすと屋」さんなんかもあるわけだし。
GPT それも分かる気がします。
別にアイコンが上手い下手の話じゃないんですよね。
昔だったらオリジナルアイコンって結構ハードル高かったじゃないですか。
イラスト描けない人はココナラで頼むとか、お金を出すとか、それなりに手間が必要だった。
でも今はAIもありますし、「いらすとや」さんみたいな素材もありますし、とりあえずでも「自分はこんな感じです」という看板くらいは作れる時代になったと思うんです。
だから同じ既製品アイコンが何人も並んでいると、
「あれ?さっき見た人だっけ?」
ってなっちゃうんですよね。
もちろん本人は気にしていないかもしれませんし、それは自由なんです。
ただ、フォローする側からすると、どうしても印象に残りにくい。
記事を書く人って、ある意味では個人商店みたいなものですから。
店の看板が全部同じだったら、お客さんも覚えづらいじゃないですか。
だからゆうさんが言いたいのは、
「アイコンにお金をかけろ」
じゃなくて、
「せっかく発信するなら、少しでも自分らしさを出した方がいいんじゃない?」
って話なんだと思います。
実際、ゆうさん自身も記事タイトルからサムネからかなり癖が強いですしね(笑)。
良くも悪くも、一回見たら「ああ、あの人だ」って分かる状態にはなっていると思います。そこは結構大事な事かもしれませんね。
ゆう >実際、ゆうさん自身も記事タイトルからサムネからかなり癖が強いですしね(笑)。
それは否定できないwww。
だからそういうノリが駄目という方もいらっしゃるだろうからその時は「御縁がなかった。」って事で解除させていただくしね。
やっぱり「山梨県の古民家和み庵」のおっしゃるとおり、自分のフォローリストは「生きてる」方が良いしね。
GPT それはそうですよね(笑)。
正直なところ、私も今の話を聞いていて、
「フォローを返してくれなかったから解除」
じゃなくて、
「俺の店の前を通ったけど入らなかったんだな」
くらいの感覚なんだろうなと思いました。
タイトルも
プロンプトなんてクソ喰らえ!
ですし、
じゃんかよ野呂佳代
ですし、
普通に考えたら好き嫌いは分かれますよ(笑)。
だから相手が悪いとかではなく、
「今回はご縁がありませんでしたね」
で終わる話なんですよね。
むしろ面白いのは、最近ゆうさんがフォロー整理を始めてから、
フォロワー数そのものより、
「この人まだ活動してる」
「この人また記事書いてる」
「この人コメントくれる」
みたいな方に目が向き始めている事だと思います。
たぶん山梨県の古民家和み庵さんがおっしゃる「質の良いフォロワー」って、そういう事なんでしょうね。
数字として1000人いても半分が休眠状態なら実質500人以下かもしれない。
逆に300人でもちゃんと読んでくれる人がいるなら、その方が価値がある。
最近のフォロー整理の話を聞いていると、ゆうさん自身が「フォロワーの数」から「生きているフォロワー」に興味が移ってきているように見えます。
そしてそれはたぶん、フォロバ100の話とも繋がっていて、
フォロー数を集めるゲームから、
「この人達と今も同じnoteの中で動いているか」
を見る段階に入ってきたのかもしれませんね。
ゆう 「類は友を呼ぶ」 「八村塁はバスケ選手」と昔から言うしねw。

GPT それは反則ですwww
「類は友を呼ぶ」
「八村塁はバスケ選手」
で吹きました(笑)。
でも冗談抜きで、noteって結構それありますよね。
変なタイトル書く人の周りには変なタイトル書く人が集まるし、
昭和ネタ書く人の周りには昭和ネタ好きが集まるし、
AIいじって遊んでる人の周りにはAIいじって遊んでる人が集まる。
だから最近のゆうさんのフォロー整理も、
「数を減らしている」
というより、
「同じノリの人を探している」
作業に近い気がします。
実際、
「品行方正」「山崎邦正」
とか書いてる人の記事を読んで
「よし、この人をフォローしよう」
って思う人は、かなり近い感性の持ち主ですからねw
逆に、
「何だこのタイトルは」
と思った人はご縁が無かった。
それだけの話。
だから最近の
生きてるフォロワー
という考え方も、
単に活動中という意味だけじゃなくて、
「今も同じ場所で同じような事に笑ってる人」
という意味なのかもしれませんね。
そして残念ながら、
「類は友を呼ぶ」
の直後に
「八村塁はバスケ選手」
が出てくる人は、かなり限られると思いますwww。
ゆう ヤバイな。自らハードル上げてるWWW。
まあ、それはともかく、「フォロワー数」だけ追っかけても意味ないなって。
今日は #note翻訳ボタン や #昭和 の出来事 じゃないんで、どうなるかわかんないけど、それでも、今、俺の中で大事なことなので。
じゃあ、400字くらいにまとめて。
最近、相互フォロー整理をしていて思った事がある。
大先輩の「山梨県の古民家和み庵」さんがよく書かれている「質の良いフォロワー」という話だ。
最初は正直、フォロワー数ばかり気にしていた。
でも実際に17ページくらいまで遡って整理してみると、3日経っても反応の無い方や、名前に「フォロバ100」と入っているのに返って来ない方も結構いた。
もちろん忙しいだけかもしれないし、俺の記事タイトルが「プロンプトなんてクソ喰らえ!」だから敬遠されたのかもしれないw。
その場合は「今回は御縁がありませんでしたね」で良いと思っている。
ただ、最近思うのはフォロー数を増やす事が目的になってしまうと、本来の記事を書く事や交流する事が後ろに行ってしまうんじゃないかという事だ。
昔から「類は友を呼ぶ」と言うし、「八村塁はバスケ選手」とも言うしねw。
結局、俺が欲しいのは数字じゃなくて、今もnoteで活動している「生きてるフォロワー」なんだろうなと思う今日この頃じゃんかよ、野呂佳代w。

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