旅先の「未知」が減っていく時代、現地での発見は薄まるしかないのか
星5には、二種類の言葉がある
最近インバウンド客に人気といわれる茶道体験のレビューを読むと、大きく二つのタイプが存在する。
「予定どおりに進みました。説明も分かりやすく、英語でも安心でした。星5。」
「茶室に入ったときの緊張感と心地よさが忘れられません。帰ってからも、ときどき自分で抹茶を点てています。星5。」
同じ五つ星なのに、書かれていることはまったく違う。
前者が語っているのは、不安なく予定が完了したことだ。時間どおりに始まり、説明は理解でき、困ることはなかった。言い換えれば、「予定どおりだった」という満足だ。
後者が語っているのは、旅先で受け取った何かが自分の中に深く浸透し、「自分の内面に何かが起きた」という満足だ。
星の数は、ネット世界で一等地を獲得するための事業資産になった。モノの販売でも、飲食店でも、美容室でも、観光体験でも、星は「未知であること」のリスクを減らす装置として働いている。
観光は、知らない土地、言葉、習慣、人との距離の中で時間を過ごす、未知の多い買い物である。失敗や不安を減らしたいという思いは切実だ。星が重視されるのは当然と言えるだろう。
しかし、星の獲得を目指す観光事業者は、少し注意が必要だ。
同じ星5の中に、少なくとも二つの旅がある。一つは、期待どおりに過ごせた旅。もう一つは、自分自身の内面が少し動いた旅。
今、チェックリストをこなすだけではない深い旅、探索的で発見のある旅を求める動きが見えている中では、前者の星だけでは十分ではないだろう。
この記事では、情報があるからこそ安心して来てくれた旅行者に、後者のような深い印象を残す体験を、偶然に任せず設計できないかを考えてみたい。
旅の「行きたい」を増やすほど、現地での発見は減るのか
30年前、旅には今よりはるかに大きな「未知」があった。
パンフレット、ガイドブック、旅行雑誌。旅先について知る手段は限られていた。現地に着けば地図にない店があり、想定外の会話があり、思ったより早く暗くなる町があり、写真では分からない匂いや湿度があった。
そうした未知の中の旅は不便であり、不安であり、失敗も多かった。
しかし一方で、その不便と不安を受け入れればたくさんの偶然が待っていた。そして、その偶然が旅の物語の一場面として、後々まで重要な意味を持ち続けたりもした。
現在はどうだろうか。
旅に出る前から、街並み、店構え、営業時間、混雑具合、価格帯がほぼ正確に分かる。SNSには誰かが切り取った最高の瞬間がある。動画を見れば、街の音も人混みも、移動の順番も、店の入り方も、料理のサーブのされ方も分かる。スマホを操作すれば、多くの情報が手に入るし、旅行先の地域も店舗も、知ってもらうことに心血を注ぐ。
この「知りたい」「知られたい」の連鎖の構造は旅先を未知から既知へと変え、来訪の敷居を下げ、「自分でも行けそうだ」という感覚をつくってきた。かつてなら旅先の候補にすら入らなかった場所や体験が、行きたい場所として立ち上がる。
そういう意味では、この「知りたい」「知られたい」連鎖による情報の膨張が、私たちを旅へ連れ出してきたと言える。
しかし同時に、旅先に関する膨大な情報は、現地に対する印象や期待を、事前に、かなり具体的に、私たちに植え付けることになった。
こういった事前に獲得した膨大な情報が、旅を「下調べとの答え合わせ」のようなものにしてしまうとしたら、旅先での発見という楽しみは減ってしまうのだろうか。
今後ますます情報が増えていく中で、旅がそんな方向に向かっているとしたら、それは旅をする人にとっても、旅を提供する側にとっても、見逃せない問題ではないだろうか。
人の脳には、探究せずに「ああ、あの話ね」で片付ける習性がある
私が長く関わってきた業務改革の現場でも、新しいはずのことが「知っていること」として浅く伝わってしまう場面がある。
仕事のやり方を大きく変えるとき、新しい手順や新しい仕組みを丁寧に説明する。その場では新しい仕事の仕方が伝わったかに思えるのだが、実際の現場では以前の仕事のやり方が続いてしまうことが少なくない。
なぜか。
人は、新しいものに出会った瞬間、それをすでに知っている何かに当てはめて理解しようとするからだ。
「ああ、あの話ね」
表情がそんなふうに変わり始めたら要注意だ。
これは、その人たちが後ろ向きだからということではなく、人間の脳の習性だ。
複雑な世界を、限られた処理能力で判断しながら生きるために備えている自然な働きのせいだ。すべてを毎回、初めて見るように受け止めていたら日常は回らないので、脳が手を抜くのだ。
この働きは、脳を効率よく使うためには必要だが、放っておくと新しいものを、すでに知っている古い枠組みの中に回収してしまうという副作用を伴う。
そして、「分かった」と思った瞬間に深く見ることをやめてしまい、理解が中途半端になった結果として、昔ながらの仕事の仕方が続いてしまう。
この副作用への対処は簡単ではない。説明を増やしても、その説明は知っている話としてタグ付けられ、「深く見るに値しないこと」として処理されてしまうからだ。
この「ああ、あの話ね」という感覚は、旅先でも頻繁に起きる。
先にも述べた通り、人間は目の前のことすべてを本気で知ろうとしていたら脳がもたない。ある程度の情報を受け流す必要があるので、脳の手抜きは必ず起こる。
まして、出発前にたくさんの情報を浴びている現代の旅行者の頭の中には、「ああ、あの話ね」のネタがたくさん詰まっている。
そう考えると、そんな旅人たちに、来訪先が用意した体験を新鮮な気持ちで受け止めてもらうことは簡単ではなさそうだ。
解決の鍵は「注意の向き先」にある
業務改革の中でそのような状況に直面した場合、私はちょっとした切り替えの場面を用意する。驚きをもって受け止めてもらえるような数字を示したり、顧客の生の声を紹介したり、時間があれば普段見る機会のない現場を見に行くといったものだ。
そこでは安心感、程よい秩序、程よい日常からの距離感に気を配る。そして、最初のうちは参加者が発言する機会をできるだけ控え、安心して受け身になってもらう。発言を促したりした瞬間に頭が回りだし、目の前のことより自身の記憶の方に注意が向き始めるからだ。
最近、インバウンド客に「茶道体験」の人気が高まっている。その理由は、単に日本的であるというだけでなく、茶道そのものが持っている導線が印象を深めるように作用しているのではないか、と私は考えている。
茶会は、客が茶室に座った瞬間から始まるわけではない。待つこと、露地を歩くこと、手を清めること、低い入口から身をかがめて入ること。そうしたプロセスが先にある。そこで日常の速度を落とし、身体の姿勢と視線を変えていく。
こういった流れには、意味を与える前に、まず感じてもらうという知恵があるように思う。それが安心感を与え、到着時には記憶の中から引き出されていたSNSの写真やOTAのレビューを一度脇に置いて、目の前の現実に注意を向けるように作用しているように思えるのだ。
私の経験の話と茶道の話の共通点は、「人の注意の向き先」に対して外部環境が作用することを利用している点だ。注意の向き先そのものはコントロールできなくても、環境や刺激に対する反応ならある程度は予測できる。過去の記憶に注意が向くのを抑えるように環境を組み立てれば、同じ体験でも、より深いものとして印象に残せる確率は高まるはずだ。
私がこれまで業務改革の現場でやってきた方法を旅に応用したステップを、以下で紹介したい。
「手放す、観る、結び直す」の3段階で注意の向き先を変えていく
「注意の向き先」を目の前の出来事に向けるには、大きく三つのステップがある。このステップを理解し、旅行者の体験の中に注意深く入れ込むことで、旅行者の注意が「知っていること」から離れ、目の前の体験へ向かいやすくなる。
最初は、「手放す」ことだ。
下調べで見た写真、コメントの内容、比較したサービスのこと、この体験の後の予定。そういった気になることを、一時的に横に置く状態になることだ。
ここでは少しの驚きや、身体感覚の切り替えがあると効果的だ。五感の刺激は、注意を目の前の現実に引き寄せる。
前にも述べたが、安心感も重要だ。予定が遅れないだろうか、想定したサービスが受けられるだろうか、といった基本的な事が解決されていないと、脳は思考の方向に引き寄せられ、記憶を引き出してしまう。
次に、「観る」ことだ。
すぐに意味づけず、言語化せず、目の前のものをしばらくそのまま受け取る時間は、早すぎる解釈や評価で、目の前のものを固めないために必要になる。
建物の古さだけでなく、そこに差す光や通る風を感じる。料理なら、調理道具や火、食材から発せられる音。街であれば、そこに暮らす人の服装や声の大きさ、店主の立ち位置や目線、野良猫と人々との距離感。そういった細かいことに目を向ける時間が、まだ言葉にならない、自分でも気づいていなかったような関心を引き出してくれるはずだ。
最後に、「結び直す」ことだ。
ここで初めて、説明を聞く。質問をする。誰かと話す。味わう。旅先の歴史や文化が、自分の人生とどう関係するのかを探り始める。そして、自分はなぜそれが気になったのか。自分にとってそれはどんな意味があるのか。
対象を理解することと、自分を語ることは、ここで初めてつながる。旅先の世界が、自分の中で「いい体験だった」という評価を超え、「自分らしさの一部」になり始める。
同じ体験でも、旅行者の注意が目の前へ移り、その場に留まりやすくなるように設計することによって、記憶としての体験の深さは増してくる。すでにある体験についても、この型で見ることで、改善点が浮き彫りにできるはずだ。
この三段階は、旅行者に努力や感性を求めるのではなく、情報を抱えたまま現地へ来る旅行者を、提供者側がどう迎えるかを考えるための設計指針の一つにになるのではないだろうか。
既知を抱えて来た旅行者を、地域はどう迎えるべきか
「手放す、観る、結び直す」という三段階が、注意の向き先を整えるための設計指針だとしたら、旅行者を迎える地域は、これをどう活かせるだろうか。
分かりやすいのは、やはり茶道との共通点だ。
現代人には少し意外だが、茶の湯には、中国から伝わった唐物の道具を飾り、高価な器物を用いる華やかな流れがあった。その後、茶道、とくに今日の茶道の礎となったわび茶は、豪華なものを足して人を驚かせる方向ではなく、余分なものを削り、簡素さや不足の中に美を見出す方向へ深まっていったものだ。
この茶道の生い立ちは、地域の暮らしの中に今も残る質素さ、季節感、道具へのまなざしを、観光価値として読み直すヒントになる。
今も地方の暮らしや信仰の中に残る、自然との距離感、季節のうつろいと連動した営み、そこから生み出された風景や道具の中に、茶道が内包する「注意の向き先」に作用する何かが宿っていると見ることはできないだろうか。
神社の鳥居をくぐり、参道を歩き、手を清め、石段を上がり、社殿の前で立ち止まる一連の導線。
自然の中で暮らすための用の美を極めた家屋の佇まい。
祭りのリズムや掛け声、人々の表情、時には危険とも思える火や水と人間の距離。
海や山の恵みとともに息づく人の暮らし。
こうしたものが、根底にある美意識という点で茶道と響き合うのだとしたら、地域はその差し出し方、差し出す順番を、旅行者の注意の向き先に注目して工夫するだけで、提供できる価値を深めることができるのではないだろうか。
参考:表千家不審菴「茶の湯の伝統:村田珠光」、東京大茶会「茶道とは」、裏千家「はじめてのお茶」
未知が減っていく世界で、地域が魅力的な行先であり続けるために
地域の中には、集客を増やすことには成功したが、滞在期間の短さが課題になっているところも多い。
それは、地域の一部が切り取られ、それだけをこなして去っていく旅行者が多いということでもあるだろう。冒頭の「二種類の星5」で言えば、「予定どおりに回れた。星5」に近いイメージだ。
本来、情報として知っていることと、現地に身を置くことはまったく別だ。事前に受け取る情報が増えたとしても、その場に身を置かなければ分からないことの方が、はるかに多い。
ただ、それを「すでに情報として知っている人」に深く感じ取ってもらうには、差し出し方を少し丁寧にしてあげる必要があるのだ。
地域が旅行者の滞在時間を増やす方法として、観光スポットや体験を増やすというのも一つの方向だ。
しかし一方で、いま、すでにある資源の意味を掘り下げ、地域全体を貫く世界観の奥へ、注意の向き先を変えながら導くような導線を設計するという方法もあるのではないだろうか。
「注意の向き先を変える」という見方は畑違いな業務改革の場から持ち出したものだが、未知が減っていく時代に、地域の価値をもう一度深く見つめ直すきっかけになればと思う。
