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「人類誕生~レンとトオルの物語」第1話

「人類誕生~レンとトオルの物語」第1話
渡邊 聡

あらすじ
レンとトオルは誰が見てもお似合いで、周囲の羨望を一身に受けるカップル。レンはその慈愛で。トオルはその、生来のリーダーシップとセンス、運動能力やタレントで、彼らに悪意を向ける者も少ない一族だ。さらに予言によりトオルは救世主の存在を、レンはその伴侶にして巫女を、約束されていた。先にレンにその兆候が表れる。巫女になったレンはトオルの元服を待つ。も、いつまでたってもその兆候は表れない。焦るトオル。そしてようやく迎えた元服。しかし、問題の救世主の証は、トオルには現れなかった。トオルの絶望と、レンの逡巡。そして、救世主の兆候が表れないままに、異端審問と絶望的な不測の事態が始まってしまう。

「人類誕生~レンとトオルの物語」第1話

旅の終り

もうすぐわたしたちは、一本の、樹になります。
今度こそようやく、本当にひとつになれたわたしたちだから、
やがて、交わす言葉も不要となり、
二人して紡いだ思い出すら、樹液の中に柔らかく溶け込んで、
いつの日か、判別不能になるでしょう。
如何に今のわたしたちの在り方を、
二人して願い続けてきたことか…。
だから、いいんです。
今まで酷使し続けてきた、足や手や、目を、失っても。
でもね、
今二人して思い出すと、ちょっと懐かしい。
ひとつになれず苦しみ続けたわたしたちの望みがようやく叶い、
ひとつになれたことで、捨てた、小さななにか。
失ったもの?というには、儚いくらいに優しい、いとおしいなにか。
それこそが今も、わたしたちのコアを形成している、
そんなあたたかい、なにか。
そんななにかを、いずれ失う言葉で少しでも残せれば…。
これからつむぐコトバたちは、そんなわたしたちの想いが、はぐくみました。
つたない言葉で二人の軌跡を、
その彩りを、
その輝きを、
なにより心の平穏を、
どこまであなたに伝えられることか。
つむいだのち、
ようやく手にし、永久にまどろむわたしたちには、
知る術はありませんが。
いつか雨の日に、わたしたちの元へ、あなたが宿りに来て下さる、
そんな日を祈念して。
              レン&トオル

予 言

丘の頂上に続く、岩を切り通した、苔むした階段。
その階段を、一対のカップルが登っていく。
通称「試しの階段」、レンとトオルだ。
「ダメだわ」
そういって一旦立ち止まり、我が身を守るように背中を丸めるとレンは、トオルを先に促して、うしろにまわりトオルの腰に手をあてる。その手の上からトオルの手が、すっぽり覆う。
階段が勾配を増すこの辺りから、敷き詰められた緑のコケは薄く剥げ、硬く黒い岩の地肌が顔を出す。そしてそれまで、小雨のように振っていたパルスが、全身を貫通する小針に変わり容赦なく降り注ぎ、階段を上がるごとに、さらにその強さを増す。
だから、試しの階段。
以前は、パルスを浴びれば浴びるほど、変異が研著になるという言い伝えに従い、こぞって人々は試しの階段に、我が子を昇らせていたという。
けれど尻込みする我が子を無理矢理押上げる行為には、なんとも言い難い不快が伴う。どうせゲンプクは向こうから勝手に来るのだからと、我が子に苦行を強いる親が最近は、メッキリ減った。
今では概ね、スクールの必修で、一度試せば良い方。
教師たちも、微弱なパルスだけ体感させて、ひとしきりキッズ達をワーワー騒がせてから引き返す、陽気な儀式に様変わりした。
「すごいね」
「ううん、慣れだよ」
レンはここに、親に連れられて来た記憶は、ない。
いつもこの階段はトオルと、登ってきた。
手を通して、トオルの骨盤のねじれと筋肉のしなりが、うねりのリズムとなってレンの身体に侵入し、内から温める。
「ねぇ、一人でも来ているの」
「うん、時々ね」
「え~、大丈夫なのかな?心臓とまっちゃわない?」
言葉に併せて、腰を握るレンの手が、強くなったり弱くなったり、トオルをくすぐる。
「迷信でしょ」
そんな反応をトオルがした時には、必ず見せるレンの、いつもの表情。
ゲンプク前のあらゆる人種から、その美しさを少しずつ集めたような、レン。その大きく見開かれた切れ長の瞳と、整った唇をイィッと一文字に引っ張ったレンの顔が浮かび、思わずトオルは頬を緩める。黒い髪の光沢。白い絹の肌。フランキンセンスの香り。けれど外見にも増して、トオルはレンの心音に憧憬を覚える。ひたむきにやりとげようとする姿勢。あらゆる痛みにシンクロする、優しさ。
トオルの厚い弾性のある筋肉一杯に力を込めて神経や血流を守っても、パルスを跳ね返すのは、この辺りが限度だ。
レンは手を通じ、一気のトオルの、脱力を知る。
「痛くない?」
きっと、すぼめた唇。レンの、漆黒の憂いをたたえた瞳。
「平気。一瞬ガッツーンと痺れるけど、緩め切ればまだいける」
トオルの手を通し、不規則に伝わってくる、波のような痙攣。思わずキュっとレンは、トオルの腰を握り一緒になって守ろうとする。
突然振ってくる光量が増幅し、背中を刺す痛みが、レンを襲った。
レンは目を閉じ、ピッタリトオルに身体をつける。
ビクッと震え、また脱力するトオル。
この瞬間も、トオルには試練だ。
背中に押しつけられる、レンのたわわな二つの膨らみに、思わず反応して力を込めてしまい、失神しかけたこともあった。嬉しい試練。
シティの中心が、煌煌と光を吐き出す、その心臓部。
エリア0「予言」、あるいは「戒め」とも呼ばれる。
通称 運命の岩。
トオルによると、いつ見てもその小山のような大きな岩石は、中から熱せられているように赤銅色に燃え上がり、金色のパルスの波動が、岩全体から雪崩のように放射されているそうだ。
その岩の前面が削り取られ、そこに、シティに住む民の、運命が刻まれている。
流れる涙。鼻の奥がツゥンとはじけ、炭の匂いが充満し、痛みが喉の奥にイガグリのようなかたまりをつくる。
瞼をシャッターのように硬くしめて、肩や背中を、トオル大きな体躯をすり抜けたパルスに射抜かれながら耐えるレンの耳に、トオルの声が物のようにはいり込み、響く。
「キュウセイシュ カノクニニ アラワル
 ソノモノ ジンチヲコエタ イギョウナリ
 ユエニ マドウベカラズ
 スベテノテキハ ウチニアリ
 ホロビシトキハ シンヲウシナウトキ」
一瞬気が遠くなった。
「時間よ」
レンがトオルの背を掴み、後に引っ張る。
そうでないと、完全にトオルの意識は、フェイドアウトする。
「そんなに身体を離してはダメ」
トオルはとっさに、そう言おうとするが、声が出ない。
と、突然光が遮断される。
飛来した大きな影は、ドンと衝撃波で二人を包みこんだ。
痛みが巨大な刷毛でひと払いされると、水に洗われた花粉のように足元まで流れ落ち、地面に吸い込まれる。
トオルが慌ててレンを後ろ手で抱きとめながら頭上の影を見やると、そこに純白の両翼を一杯に広げ、後光をたたえ笑うエースが、いたずらっ子のように二人を見下ろしていた。レンも顔をあげる。
「よっ、お二人さん。感心だね」
「エース!」
弾ける二人の声。
「レン、トオルをよろしくな」
「はい、まかせてください」
「おお、羨ましいバックアップだな、トオル。もうすぐだな」
「まさかパルスそのものを、消してない?エース!」
「そうそう、新しい芸」 
「そんなこと、できるの!」
二人同時に、再び。
「まかせろ、なんてったって、エースだぜ」
「ビジョン、どうだった」
真顔で聞くトオル。
「もぞもぞやっているうちに、微塵に帰してやったぜ」
後ろから、ヒョイっと挨拶する感じで、エデンの笑顔が顔を出した。
「レン、いい子にしていた?」
「キャー」
レンの嬌声に、なぜかエデンの嬌声も被る。エースは目を白黒。
レンとエデン。この二人は、外見だけでなく、姉妹のようにこれまで、時間を共有してきた。レンの中に巫女の発動を見出し、育ててきたのも、このエデンであった。こちらは妖精のように透き通る白い肌。淡く金色に輝く髪、グリーンの瞳。
「このヒト、バックアップの必要もなかったわ」
高くよく通る声がうたうように降ってくる。
いやぁと照れるエースの笑顔に、フッと射す、雲の影。
 と、満面笑みに戻ったエースは、
「さあ、今のうちに降りろ。ゲンプクすれば、ここは用なしだ」
「サンキュー、エース」
レンと位置を入れ替え、今度はレンを先頭に、階段を下る。
パルスはまだ、消失したままだ。
コケが緑に再生し広がり始めるその辺り、二人が止まり、上を見上げると、空中に静止し、真っ白な翼を大きく広げ、ゆっくりとあおぎながら腕組するエースと、その肩にアゴを置くエデンがいた。
「ゲンプクはいいわよ、レン!二人して楽しめるわ」
「はい!」
きっぱりと短く、明るく、力強く返事をしながら、さっとシルクのような肌を上気させる、エデンに劣らず妖精のようなレンを見たトオルが、その意味にうろたえる。
「トオル、しっかりしろ。後はまかせたぞ」
「まかせてよ、エース」
四人の笑いが弾ける。
背中に刺さるパルスの痛みがまるで、脆弱なビジョンのあがきのようで、むず痒い。
さらに二、三段。彼らが降りたのを見計らったエースは、敬礼すると、空中でヨーイの姿勢をとり、目をシティに見やる。その瞬間、ドンと空気の衝撃波が背を叩き、見るとエースが矢になってシティ方面に消えて行く。重力を無視したように軽やかな妖精エデンの手の、ヒラヒラの残像が花びらになって二人に焼き付く。
「お~」
そしてトオルが叫ぶ
「待ってろよ、エース!オレが続くぜ~」
レンはトオルの腕を抱き、目を閉じた。
自分の声が、レンの脳裏だけに、こだまする。
「トオル、トオル、そんなに急がなくていいの、出来ればいつまでも、このままで」
レンが力を緩めた瞬間トオルがスルッと走りだし、あわてたレンが、後を追う。
どんどんなだらかになって行く階段を駆け下りた二人が、試しの階段の、二人いっしょになんとか通れるアーチをくぐるといきなり、細い道に突き当たった。
真っ白な石の街路。しばらく走ると、細いその路地から、広大な石畳の広場を行き交う、喧騒の只中が、近付いてくる。
どちらからともなく歩を緩め、フーフー言いながら、手を取りあう。
レンはヒィーヒィー言いながら、恨めし気にトオルを見上げる。広場の外周を進んで程なく、スクールの入り口につながるアーケードに向かって進んだ。
トオルの家は、スクールの目の前にある。
入ろうとしたトオルの二の腕に両手をまわして、ウンと後ろに引っ張り、トオルを置き去りにして、息を切らしながらレンは、先に家に入った。
ブーブー口走り、捕まえようと手を伸ばすトオルをかわし、キッチンにむかうと、トオルに構わず、取り出したビーフの塊を鍋に入れて、持って来たシチューを上からかけ、火を灯し火力を最大にする。
肉の香りがたちあがると、お~っと気勢をあげ、周り込んで来ようとするトオルに、
「スティ、シット!」
とレンが一喝。
チョコンと姿勢をただし、舌をハッハと出すトオル。
「ゲンプク後は、かわいいワンチャンかな~」
「ウ~」
吠えるトオルの鼻先に、鍋を差し出し蓋をあけると、ジュウジュウ沸騰するビーフの香りが、いやおうなしに吸い込まれ、
「ヒィ~~~」
いななくトオル。
「はいはいはい」
レンは、鍋の中の肉に、直接ナイフを入れ、半分に削いだビーフの塊を皿に盛る。
我慢できず、イタダキマスと同時に肉を放り込み、はみ出すのも構わず、口一杯で頬張る。
そんなトオルを満足げに見ながらレンは、彼の足の間に尻をはめ込み、一緒に座る。
二つのご馳走に迷いつつ、再び肉を頬張りながら、一番美味しそうな所を、レンの口にあうよう、小さく切り分ける。
トオルの差し出す、まだレアの、柔らかいトコロを咀嚼し始めると、いきなり地の底から沸いてきたように、レンの耳に先程のコトバが、コダマする。
「ソノモノ ジンチヲコエタ イギョウナリ」
一瞬咀嚼は止まり、遠くにトリップする、レン。
ここぞとばかり、レンの身体の、あらゆるトコロに伸びる、トオルの指。
「これ」
捉まえた指を抑制し剥がしながら、咀嚼を再開するレン。
流れた汗が乾き始めたレンの、湿った首筋に鼻を押し付けるトオル。淡く甘い匂い。くすぐったがるレンが首をすくめ、トオルのアゴを手の平で押上げる。
レンには予見があった。
そしてそれは、ゲンプク前の、巫女特有の発現であることも、レンは自覚していた。
コトバでなく、事実として自覚する、発現特有の不思議な知覚。
レンの中で、発現された予見が、声高に『事実』を、伝えてくる。
レンは、トオルにとって、無二の存在であること。
トオルにとって必ず、レンが要となること。
そして、正体不明のビジョンの襲来からシティを救うキュウセイシュは、まぎれもなく、トオルであることを。
巫女はシティに二人しか存在しない。一人はエデン、もう一人が、レンである。しかしキュウセイシュの予見は、レンにしか発現しなかった。だからレン以外、トオルはもちろん誰一人として、その事実を知らない。
「ビジョン、変わったよね~」
トオルの指が、攻勢にでる。
「ヒトモドキの時代は、ゲンプク前でも倒せたのにな」
「え~、そんなこと、やったことあるの?」
「いや、やったことはないけど、さ」
レンは指を捉まえると束ねて、脇腹に拘束する。
「形がないって、こわいわ」
「空飛ぶし、な」
手が自由を求めてあばれる。
「ちょっと、まだ、食べてるのよ」
「はいはい…、おー、なめらか~」
「ちょっと!トオル、ビジョンはね、探知しにくく攻撃されにくい形に、どんどん変わっていない?」
「そうだよね~」
レンは食べることをあきらめ、トオルの首に手を回し、密着したままトオルに向き合う。
「焦らなくていいからね、トオル」
「はいはい、了解」
トオルの顔を両手で挟むと、トオルの視線を自分の瞳にしっかり捕える。
「トオル、焦らないでね。時は必ず、向こうから来るから」
トオルの細い目が、ニッコリ笑う。どこまでも澄んだ眼に憂いがないことを確認してレンは、大きな眼を一杯にあけて、トオルを抱きしめる。立ち昇ったフランキンセンスの放香が、トオルからジビエの脂のような、すっぱい匂いを炙り出す。


スパーリング

やわらかな弾力がトオルの唇から離れた。
フッと浮き上がったトオルはレンを抱き止めようとするが、形の良い唇の感触だけを残して、今そこにいたはずのレンが消え、香りだけが残っている。
天井を見ると、そこに陽が、スクールの屋根の影を切りとって、印刷し始めたよう。
眠い。寝たい。このまま再び深い所まで沈むことが出来るかな?トオルは脱力するが、あらゆる感覚がどんどんたち上がって、鋭利に研ぎ澄まされて行く。口の中の粘つきと、浅かった眠り。神経の高まり。
トオルは身を反転させ、足を下ろす。
ヒンヤリとした冷気が、足の裏からさらに、覚醒を加速させる。
窓の外に視線を投げると、空をオレンジ一色に染めあげた黎明。
開いたままのブラインドからは、スクールの闘技場の屋根が、斜めにそびえていく様が日の出と共に映し出される。
階段を降りる。今は亡き父の写真と、隔離塔で今だ覚醒しない、母の写真。
トオルの家は、スクールの門前にあった。
それは父と母の、実績の現れでもあった。
だからトオルにとって、闘技場は、勝手知ったる庭の延長そのものだ。
今も唯一の記憶として残る、亡き父のスパーリングの、圧巻な様。
シャークの、エースの、エデンの、伝説的なゲンプク。
トオルはそこで、それら全てを、目の当りにしてきた。
だからトオルは、同級生の誰よりも、ゲンプクがなんたるかを、理解する。
シャツを着ると、パンにチーズとハムを乗せ、かぶりつき、オレンジを一飲みし、表に出る。
朝日を浴びてもまだ、眠っているような闘技場の、入り口だけが、朝日に向って口を開いている。
開口口が最上段まで開閉された入り口。このサイズは、シャークだ。
「オース」
四メートルはあろうか。
遠目にも、その巨大さが、見て取れる。
純白の胸を交錯する黒の、貝のような硬いウロコ。菱形を縦半分に切って、左右に付けたようなコンパクトな翼。火球を発する二本の触覚。鋭利な爪と、尖った顔。そして牙。凍りのように冷徹な銀色の目。
入ったトオルを目の端で見とめたシャークは、うなずく。
「トオルよ」
いぶきのように、投げられるシャークの声。
「はい」
「おまえは、戦法を、イメージするか」
少し間を置いて、トオルが答える。
「いえ、その場のインスピレーションに委ねます」
ホウと言うと、シャークはそのままカプセルに入る。うなりを上げたカプセルが、シャークの全身にパルスを浴びせる。
常にクールで、切れ上がったシャークの、銀色に輝く目がカプセルの中から、トオルを見るとはなしに、見ている。
「オース」
ハデスだ。
ハデスもデカイ。ゲンプク前にして、二メートル近くは、あるだろう。
ハデスの赤茶けた栗毛は、なんともまぎらわしい。
ゲンプクの十二時間前、全ての者の髪は、赤く染まる。それがゲンプクが始まった、唯一のサイン。
こちらはシャークとは対照的な、燃えるブラウンの瞳。ひょろりと高く、無骨な体系は、ゲンプク前のシャークの、模倣のようだ。そばかすだらけの童顔に、緊張を一杯たたえている。
「エースは?」
「まだ」
「いつ来た?」
「いまさっき」
そして息を吐きながら、開脚したトオルは、ペッタリと上半身を床につける。
「また、柔軟かい」
そんなハデスの嘲笑に、軽い頷きで、トオルは応えた。
全てはゲンプク後のために。
今出来る、あらゆる労苦を、我が身に。
ステップを切り、サークリングすると、シュっと息吹と共に、パンチを繰り出すハデス。
ハデスの思考は、今日のトオルとのスパーリングで、一杯である。
これでエースが来れば、舞台は整う。
「なにが足りないか、教えてやる」
ハデスが驚いて、ステップを止める。
「なに?」
「今日教えてやるよ、君に足りないものを、ハデス」
吐きかけた言葉を飲みこみ、カッとハデスが燃え上がる。
ほら、それだって、ハデス。
そう独白しながら再び、床にペッタリ伏せるトオル。
いくら拳に殺意を込めても、当てなければ意味がない。出方に応じた対応で、闘いをコントロールし、征する才覚。君に足りないものはそれだ。
ビリビリとトオルに向って放たれる殺気をいなして、トオルはペッタリ床に伏せたまま、脱力すると眠ったように動かない。
スクールでのヒエラルキーは、必ずゲンプクに継承される。
いや、と、確信した様にトオルは独白を続ける。
正確に言えばそれは、ゲンプクによってさらに助長されるのだ。
そしてトオルは、ゲンプク後の自分を、何千回も夢想してきた。
ブン
空気の弾ける音。
体を返し、ブリッジし、タンと床を手で弾き、トオルが飛び起きる。
羽音と、一陣の風が壁を叩く音。
エースの飛来だ。
「おはよ~、本日も快晴!」
グオーンという停止音と、ブッシュ―というカプセルの開栓。
出てきたシャークが、早速ハデスの闘気に呼応し、キーンと異音を発する。
それらをイナす、エースとトオル。
特に合図は、必要なかった。
お互いが呼応し、柔らかめの床をすり足で進み、中央の赤い点を挟んで対峙する、ハデスとトオル。
「おう」
ハデスの裂ぱくの気合と共に、トオルを襲う旋風脚が、スパーリングの合図となった。
上体をそらして一脚をかわすと、後回し蹴りの予備動作に入り背を向けた瞬間、トオルは、スッと踏み込みハデスの背後に密着する。
「せい」
ハデスの脚が回る方向に体をかわしたトオルは、その脚を抱きとめながら、ハデスの身体全体を抱く様に巻き込み投げると、さらにその身をあずけた。
ドンと、闘技場に重い音が響く。
抱きとめ、自身の体重もあずけて、ハデスの身体をボールに見立て、赤い点の中心に、タッチダウンしたようなものだった。
打撃戦を得意とする両者の、意外な結末に、オッホーと声を上げるエースと、腕組し静観するシャーク。
「んん、むぅ~」
くしゃくしゃにゆがんだ、そばかすだらけのハデスの白い顔と、うつろにさまようブラウンの眼。衝撃の残骸を、その身から追い払おうとうめいているハデスを尻目に、トオルはスっと立ち、エースに微笑んだ。
勝敗と、経た時間は満点。技のバリエーション、威力。創造性。全て満点の加点。
言論統制のブースに、朝食を取っていたシティの全ての生徒の食卓に、この模様はライブで配信されていた。
トオルはそのまま出口に向った。
それはトオルのゲンプクに対する、意識されたアピールのように見えた。
自分は、準備万端である。自分はすべきことはすべて、やりきったという、自分自身へと、全て見る者たちへのパフォーマンスにも見えた。
ゲンプクよ、さあ、こい!
コンパクトで、しかし他に類をみない、バランスのとれた筋肉の発達。均整のとれた体躯。
その時をむかえたら…。トオルはそれまで、何千回と繰り返してきたシーンをまた、脳裏に描き、トレースしていた。服を着るという煩わしい行為から永遠に解放されたトオルが、誇らしいその体躯ひっさげ、誰より先にレンに、報告に行く。
やはりゲンプクを向えたレンは、今以上にトオルの目に、美しく映ることだろう。
そのままトオルはどこにも行かず、レンと、ついに、この世のものを、超越した悦楽に興じるのだ。
だが…。まだ、こない。
級友たちの、羨望の声の数々が聞こえるようであった。
早く、ゲンプクよ、来い。
ぼくには、彼等が交わす、ゲンプクへの恐れなどありません。
不安も、ありません。
微塵も感じることなど、ありません。
友達たちの眼差しに表出されているであろう羨望と嫉妬までをも想像に加え、トオルはせめてと、楽しんでいた。ゲンプクが到来しない、わずかな小波のような苛立ちとともに。
頭上から舞った微風は、トオルの五感を引き戻した。わずかなプラムの香り。エデンだ。
見たと同時に、クリーム色の羽毛の、やわらかな曲線がゆっくりとトオルの目前に舞い降りながら、言葉を投げてきた。
「トオル、レンに来たよ」
エデンの言葉に、トオルの心臓は大きく裏返った。
「えっ、いつですが?」
「今さっき。髪が真っ赤に」
「部屋にいます?」
「だめよ、行っちゃ」
エデンはフフっと笑いながら、トオルがさらに聞こうとすると、立てた指を口に持っていき、トオルを制す。
「マザーが告げたわ。出撃よ」
トオルの顔が、サッとこわばる。
「エース」
呼ぶ意味が無いにも拘わらず、声を張り上げ虚空に目を走らせるトオル。
「ハイハイ」
すぐそこから陽気な声で答えたエースは既に、エデンにより添い、ランデブーを完了していた。
「エリア10、近いわ。嫌な感じ」
へェーともの珍しげなエース。
「こんどはどんな、ビジョンかな~?」
ジャァと翼の手をヒラヒラさせると、ドンと矢印となって、既に遥か上空高く粒となった銀のツガイは、さらに高く放物線を描く。
「やっぱり、レンのやつ」
トオルは自分の脚で、もどかしそうに走る。
レンが悪いわけではない。出来ればトオルが先にゲンプクして、レンを迎えたかった。勝手にトオルが、そう思い描いていただけの話しだ。だけどそういう話しをすると決まってレンは、バツが悪そうに、少し寂しそうにトオルに答える。
「ごめんね、トオル。私の方が、きっと早いわ」
レンの勘は、バツグンにイイ。だけど、こんな時ぐらいは、外して欲しいものだ。
「ハーィ、トオル」
「よぉ、トオル」
全力疾走のトオルに、クラスメイトが挨拶をおくる。
声の代わりに、一瞥したり、手を振り払ったりしながら、幾何学模様の管理塔に飛び込むと、エレベーターの横の階段をかけあがる。ゆっくりしたエレベーターの開閉に、とても付き合える気分ではない。間違い無くエレベーターの方が早いのだが。
「中には、入れないぞ。トオルよ」
すれちがうはずのない、マシュマロマンそっくりの、ブクブクで皺だらけの統治の大声だけが、突然降ってくる。シティを管理するコンピューター、マザーは全てをつぐむ。
うんうんと頷きながらトオルは、遮二無二昇る。
それ以上声は降ってこない。てっきりトオルは階段の音声装置が壊れているのだと思った。めったに人は通らないし。 
「判っているよ、そんなこと」
トオルは叫ぶ。


レンの十二時間

発現し変異終了まで、ほぼ例外なく12時間。
個体の状態がどうなり、変異中に個体がなにをしでかすか?まったく予測がつかない。
おしとやかな女子があらぬコトバを叫び続けたり、真面でおとなしい子が抑制を引き千切り暴れ狂ったり。錯乱して人事不省に陥る者も多い。急激な身体の変調自体にもがき苦しみ、まれにアレルギーを起こして絶命寸前となり、薬で強制的に変異を止められる場合もある。そうなると例外なく、一生隔離塔のお世話になる。
発現が感知されると、個体は部屋ごとエリア1の南棟42階層、通称「ウブゴエ」に隔離される。5階層で終わった階段から飛び出したトオルは、ガーガー息を吐きながらフロアを横切って、タマゴ型カプセルのような、エレベーターの前に飛び込んだ。
ここで終わりか。でもレンなら絶対ぼくを感じるはずだ。
すると音も無くスッと、エレベーターの扉が開く。
とりあえず飛び込むトオル。飛び込んだ瞬間、扉は閉まり、静かな急上昇を始める。その間、音声は、変わらず無言のまま。
トオルの目に飛び込んで来たのは、ガラス張りの奥に見える巨大な繭の入り口から、ヒョッコヒョッコと歩いてくるレンの姿だった。
白いパイルのガウンに身を包み、自分のその身を抱く様にまわされた両腕。涙目の、微笑。
驚くべきことに、レンは自分の脚で、立って歩いてくる。
判っていてもトオルは、ガラスに激突し、へばり付き、叫ぶ。
「だいじょうぶか、レン」
涙がレンの頬を伝い、球となって床に落ちる。フランキンセンスの香りが、フッとただよったような気がした。
「だいじょうぶよ、トオル」
「痛いか、レン」
「痛くないわ」
「辛いか、レン」
「だいじょうぶよ」
トオルの力が、一気に抜けた。
「始まってしまったわ、トオル」
「おお、12時間なんて、あっという間だ、レン」
「トオル、わたし、恐ろしい」
「なんだ~」
破顔のトオル。
「大丈夫だよ、巫女さまは負けない」
胸を張るトオルにレンがつられてほころぶ。
「たとえ突然変異が起きても、たとえ異端宣告を受けたって、ぼくは一生レンから離れないよ」
フフッっといつもの、レンの微笑。トオルはこのレンの顔が、一番好きだった。時間を止める完璧な美があるとすれば、この、レンの微笑。
「それは私が嫌よ。安心して、トオル。私は無事に遂げるの」
「おお、そうか!安心したよ」
「トオル?」
「どうした?」
「これが私なの。また逢えるかもしれないけど。私を覚えていて。トオルの目に、わたしを焼きつけてあげて」
「だいじょうぶだよ、レン。中断や絶命んなか、命に代えてもさせない。安心して。レンなら、もっとキレイになるよ」
ううんと、首を振って、レンは一瞬下を向き顔を上げた。また涙が、一滴。
「いい、トオル。変異前も変異後も、私は貴方だけのモノ」
顔をあげたレンの、意外にも真剣な表情に、トオルが気圧される。
「もちろんだよ、レン。だけどレンは物じゃなくて…」
レンがエデンのように、立てた指を自分の口にもっていく。
「そうじゃないの。私は貴方だけのパートナー。なにがあっても、それを忘れないで」
「…。決まっているじゃないか。レン。それがパートナーだろ?」
「そうね。わたし恐くて。ゴメンね、トオル」
レンは、流星雨のようにトオルに降りかかるであろう運命の音色を、感じていた。けれど自分の運命を、そこに重ねて見ようとすると、ボンヤリ霧のように霞んで焦点が定まらない。巫女は唯一、己の運命だけ感じることができない。
「レン、戻りなさい」
「はい」
身体に違和感が吐き気の固まりのように、増大してきた。
レンはトオルの唇にガラス越しにキスすると、ゆっくり繭に、戻って行く。
振り返ると、トオルは細い眼を一生懸命見開いて、レンを見守っている。
「キュウセイシュ カノクニニ アラワル」
雷のように飛来する巫女の発現にうたれながらレンがつぶやく。
トオル、貴方は、救世主なの。
「マドウベカラズ」
なにを惑うんだろう…。トオルもフトその時、同じことを思っていた。
惑うことなんて、あり得ないのに。
レンもそう、思っていた。トオルの辞書にはこれまで、惑うという言葉自体、存在していなかった。だから、トオルにとっては、惑うこと自体に、随分惑うことだろう。
「ホロビシトキハ、シンヲウシナウトキ」
どちらの可能性もある。滅ぶか、滅ばないか。
けれどトオルはあきらめない。どんな逆境にも、逃げずに正面からぶつかっていく。
そしてレンは、トオルが負う傷を畏怖していた。だから二人で、二人の努力で、乗り越えるしかない。
トオルより楽天的でないレンは、巫女の発現の嵐の中で、そう決意していた。
しかしレンにはまだ、想像を超えた苛酷な運命の総体が、大き過ぎて見えない。
内側からほてり、かゆみ、そしてジンジンとした痛みがリズムにあわせて増幅する。
脱力が上手くいかず、焦れば焦るほど呼吸が早く、浅くなる。
「トオル、助けて」
繭に入った途端、レンの意識は混濁した。
「トオル、トオル」
カメラを通して二人を見続けてきた、一様にシワだらけでブヨブヨに肥大した、言論統制達は、銘々うなずいた。
「間違いなかろう」
「ああ」
「間違いない」
口々に確認する。
「パートナーは、トオルだ」
統治がホッとしたように断定する。
「これで確定ですね」
統治を小さくしたような付き人、ミスラの返事。
「あとはトオルだ」
と統治。
「いや、ハデスもいる」
総帥が赤ら顔を統治に向けて返す。
言論統制が、息を吹き返したように、ざわめきを取り戻す。
「ようやく、光明が見えてきた」
「ほっとするよ」
「うん、ほっとする」
「あまりに少ない」
「うん、少ないね」
「救世主の出現期と合致している者、か」
「すでにレンは、巫女が発現しているぞ」
「救世主のパートナーが巫女なら、敵なしだ」
「いやっ」
何人かが同時に発した。
「それ自体、あまりに稀有だ」
「いや、驚くにあたらない」
統治が腹を揺すって断定する。
「そう、こればかりは予測など不可能だよ、我々には」
「確かに」
また、口々に。
「そうだ、巫女なら判るだろう」
「問題はレンの、不安定な変異か、と」
「まさか。どうなっても巫女を、異端視するわけにはいかない」
「そりゃそうだ」
「なにがあっても」
語尾を強める統治。
「確かに」
応ずるミスラ。
「巫女は例外です」
「速度が遅すぎないか?」
「遅いですね」
「遅くとも。我々には手立てがない」
「止めるか、走らせるか」
「もう一人の巫女は、いずこに?」
「エリア10で、ビジョンと交戦中です」
「エリア10?」
「近いな」
そして、銘々は自室に戻っていく。
構成する言論統制の二つの核、統治と総帥、そして銘々の付き人、ミスラとショウキの四人がその場に残った。
統治が小さいマシュマロマンで、総帥が大きいマシュマロマン。
いつも二人の脇に控えるミスラとショウキの方がまだ、肌のはりが良い。彼等付き人は秘書のようなもので、黒子となって、とかく動きの鈍い統治と総帥に、なにかれ世話を焼く。
言論統制は、かつての勇者の、集りだ。ただし皆、様々な理由で、唯一無二の、パートナーを失っている。
パートナーを失うと、皆一様に、しかも急速に、輝きが薄れる。身長は縮み、シワだらけでブヨブヨの身体になる。だからマシュマロマン。皆そうなってしまうから微妙に似通って、区別が難しくなるので、着ている服で区別する。不思議なことに、パートナーを失うと、ゲンプクで獲得した器官は一様に衰退し、機能はアガってしまう。もっとも器官の形状は個体により異なり、パートナーとしか交接できないから、致し方ないのかもしれない。
かつてはエースのように、シャークのように、彼等達にも、はちきれんばかりの戦闘力を操り、瞬時にビジョンを一掃した、そんな時代があった。だが、何十回となく繰り返し戦闘を続ける内に、一度や二度は、パートナーを援護できない瞬間を向かえる。そして、「自分だけは」という慢心が、彼等の輝きを永遠に害う結果をもたらした訳だ。
無二の存在であるパートナーの消失を、何がどこでどのように察知しているのかは、謎である。しかし失えば、輝きは永遠に失せ、取り戻す術はない。パートナーがもたらす、若返りや治癒する術を失い、やがて性別を失い、色あせ、老いる。
言葉が統治の口を、突いて出た。
「言論統制を、行わなくなって久しい」
ミスラは驚き、総帥が代わりに返事する。
「そんなことを、考えるのか」
「時々、夢に出る」
「ばかな。そんな夢を見るのか」
「君はどうだ」
総帥がブヨブヨの胸を張り、赤ら顔をさらに紅潮させる。
「夢など見たこともないわ。それに言論統制も異端審問も、有効な手駒だ。必要とあらば、迷わず発動する」
統治が総帥に視線を投げる。
総帥は、一瞥をくれると、きびすを返した。ショウキが子狸のように、尻を揺すりながら、後を追う。


出撃、そして帰還

「エース、やだよ」
耐え切れなくなって、エデンは叫んだ。
高速で飛んでいるのに、プラムの放香が、エースを捕える。
巫女の発現だ。
「え~、聞こえないぞ」
「あたし、戻りたいよ、エース。この先に行きたくない」
「どうした、エデン」
風除けの役目を果たしていたエースが振り返ったことで、風がエデンを直撃する。エデンは目を細め、手をかざすと、言葉に、銃弾のような力を込めて、エースの耳に発射させた。
「嫌な感じがする」
「なんだって…?急に?」
「この間も、感じた」
「この間?ビジョンが回避した時?」
「そう」
「どんな?」
また空気で叩かれ、エデンはつばをゴクリと飲みこむ。
「まるで私達に新たな変異が、起きるみたいに」
「まさか~」
少し間を置いたエースが、明るく答え、かぶりを振り前を向くと、速度を速める。
「巫女さんよ、巫女さんよ~。我にお任せあれ~、このエースに~」
歌いながら、蛇行運転。
エデンはキャッと、しがみつき、プラムの香りが拡散する。
雲が晴れた瞬間。
割れた空からズルリと落ちた黄色の巨大な、カーテン状のアメーバが、前方に広がったところだった。
間髪いれず、エースが火球を投げる。
と、紙で出来た宇宙船のようにアメーバは突然折りたたまれ、尖がった紙飛行機が空気を切り裂くように、シュッと大きな音をたて落下し、地面に回避する。
エースも続く。
雲を掻き分け、みるみる迫る山肌。
即座に降り立つ二人。
そこに横から、衝撃を受けた。
光の束がエースの羽と脇腹を貫通し、地面にあたって山肌を吹き飛ばす。その反動でエデンが草付きの斜面に放り出された。
時が止まったようだ。
ふわりと着地した、妖精さながらのエデンが晒された。
先に叩く!
襲い来る波のような痛みを、強い決意で押し返し、周囲に目をやり相手を探すが、信じられないことに、どこにも、なにも居ない。さらに探す。居ない。感知できない!
危機だ。
「エデン」
叫んでエースは、エデンを見やった。その刹那だった。
その刹那の、エデンの少し淋しげな微笑。
差し伸べる手の平をあげて、エースを励ますように、まるでバイバイする時のように、運命を受け入れた、エデンの残像と、プラムの残り香。


再 会

スタイリッシュに、しなやかに。少し丸みを帯びて、キレイになって。
全身を金色の羽毛におおわれ、しかし顔はレンのままだ。
レンもトオルを見つけて、破願する。
器官らしきものは、見当らない…、そんな自分に気付きトオルは、あわてて自分を戒める。
ゆっくりと、ガラス張りのエレベーターがドアを開いた。
繭を出て、ウブゴエから降りてきたレンを、ホッとしてトオルは両手を広げて向え、トオルより大きくなったレンを、ギュっと抱きかかえた。フランキンセンスの、湯気のような香り。
レンはレンだ。ぼくも大丈夫。案ずることはない…。
と、抱きかかえたレンの身体が、硬直する。
「痛い」
レンの口から、思わず漏れた。
「ごめんよ、レン。…きれいだね」
「ありがとう」
「気分はどう?」
「生まれ変ったみたい。トオルを見たら途端に不安定になっちゃった」
エッと、トオルの顔が陰る。
「ちがうのトオル。これがドキドキなのかな?まだ慣れてないだけよ」
言葉と裏腹に、レンはむずがゆそうに、そっとトオルから身を離す。
「ふう~、こんなにドキドキするのだから、トオルがゲンプクしたら、大変ね」
サッとトオルの顔に赤味が戻るが、慣れないトオルがぎこちなく、言葉を探す。
「さあ、レン。部屋に戻ろっか」
「ごめん、トオル」
「エッ?」
「もうちょっと、待っていてね」
そう言い、トオルの唇にそれをそっと重ねるとレンは、ゆっくりと回れ右すると、ウブゴエに戻って行く。
「レン!」
「まだ、だめみたい」
そしてレンを乗せたエレベーターが、ウブゴエに、上がっていく。
肩透かしをくらったように、中途半端な感情の処理に困ったトオルがいた。
だが生来の楽天家は、すぐ明るい顔になって、呟く。
「まぁ、いいっか。すぐに慣れるべ」
レンはエレベーターの中で、目をつむり身体の変調と闘っていた。無理に身体が引き伸ばされたみたいで、感覚が追い付かなかった。さらにはトオルに抱きすくめられた時の、衝撃。身体がガクガクとなにものかに変容しそうになった生理に、圧倒された体感が、今も疼く。


混 乱

「どういうことだ、これは」
総帥が噴火するように顔を朱に染めて憤りをぶちまけ、思わず振り回した拳が、ショウキを顔を直撃する。
「巫女で、パートナーは間違い無いのだな、二人は?」
統治がミスラに、確認を促す。
データを注意深くスキャンしていたミスラは、向き直ってはっきりと断定する。
「間違いありませんね。レンのパートナーはトオルです。巫女も強く、発動している。けれど、トオルの傍にレンが近付いた時、途端にレンの生態レベルが、非常に不規則に変動しました」
う~んと、一同考え込む。
「異端ではなかろうな?」
と総帥。
「レンのデータは、変異と突然変異の両方に、振られております」
ミスラの返事に、おぉ~と一同驚きの声。
統治の声が一同の混乱を平定する。
「突然変異の定義をミスラ、もう一度」
「まったく脈絡のない変異です。そしてパートナー候補と、交接できない。もしくは誰とも結合できる」
「レンの変異に脈絡は?」
「あります」
「パートナー候補との交接は?トオルのゲンプク後だな?」
「そういうことに、なります」
「誰かと交接を、試させるか?」
「そんなことは、わたしが許さん!」
統治が遮る。
「もう一つ。何故エデンが、帰還しない?」
遮るように手を挙げ、総帥が声高に叫ぶ。
「エースの説明を聞くしかありません」
顔をまだおさえていたショウキがうやうやしく、答える。
「エデンを捉えられるか?」
「あらゆる手立てを講じておりますが、確認できません」
「エースは結局ビジョンに破れたのか」
「昏睡から回復し抜管。ただし傷は癒えません」
「あたりまえだろ!パートナーが帰還しないのだから!」
ショウキがコトバを詰まらせる。
統治が、再び口を開く。
「レンはトオル次第だ」
一同頷く。総帥だけ、巨大なマシュマロに乗った真っ赤なしわだらけの顔を、ふくらませたままだ。
「エースが安定次第、全言論統制を召喚し、直接彼に聞く」
「手ぬるい」
さらに膨らみ叫ぶ赤ら顔の総帥。
「なんの落ち度が、エースにある?」
こちらも怒りに充血し、膨らむ統治。
一同は、交互に二人を見やり、息を潜める。
「解散」
そう総帥は叫ぶと、きびすをかえした。小走りに再びショウキが、あとを追う。


状 況

「ビジョンが見えなかった?」
驚愕しざわめく言論統制たちを前にして、スリバチ状の底で微動だにしないエースの表情は、しかし一向に晴れない。すでに生じた皺の陰影が、エースの憂いを物語る。
今日は白い顔を維持する統治が、コトバを続ける。
「本当なのか、エース」
「はい」
「どういうことだ」
「言葉の通りです」
一歩歩を踏みだし、手を振りあげた総帥を。左腕を挙げて制し、統治が続ける。
「エースよ」
「はい」
「思い付くまま、言葉にしてみてくれないか」
「私にはまったく見えなかった、感じることも、できませんでした」
「ビジョンが、か」
「最初は、直径300メートル程度の、黄色い膜でした」
「それが突然矢になって地上に降りたように見えた」
「降り立ってみると完全に、ビジョンは気配すら消えていた」
静寂がしばらく、ホールを支配し続けた。
「じゃあ、なにを手掛かりに、戦えばよい」
「おそらくビジョンからのアタックだけでしょう。その刹那に合わせるしかない」
一転して波が治まり、場を支配するカタコト。
ボールのように、統治の声が、ホールの壁に跳ねかえる。
「傷を負ったのは、始めてではないだろう、エース?」
「もちろん始めてではありません。けれどこの傷は治らない。残念ながら」
消し飛んだ静寂と、うねり盛り上がるざわめき。
「どういうことだ、エース?なぜ、一人で帰ってきた?エデンはどうした?」
抑えが利かず裏返った、金きり声の総帥のコトバに、あろうことか、エースがうつむき、声を発しない。
「パートナーはどうしたんだ」
「…。ビジョンのアタックにより、消失しました」
再び静かになったホールに、エースの声が静かに響いた。
「なんと」
沈んだ空気が、まるで凍結したようだった。
「…なんと。むごきことを」
「ええ…」
「それでエースよ、おまえの傷は、まったく再生しないのか?」
「ええ、あらゆる手立てを尽くしてみましたが、一向に」
うねりの亀裂、波のざわめき。
「なんということだ。手立てはないのか、エースよ」
「強力な再生の波動を感じる者が一人」
「誰だそれは。トオルか?」
「いえ、レンです」
「レンだと?」
「はい、トオルのパートナー候補、レンです」
静かなうねりが、明るいざわめきに変わって行く。
「静寂に、静かに!エースよ、レンの再生波動は、パートナー以外にも効果があると?」
「はい。間違いありません。ゲンプクを向えたレンは、ですから、大いなる戦力となります」
「それは突然変異ではないのか」
「確かにレンの変異後は、不安定ですが、問題の無い範囲でしょう。なによりパートナー以外の、維持の可能性を示唆している」
「そんなこと、未曾有な事態だ」
「我らの歴史上、許容できる限度がある」
口々の叫びを統治が制して続ける。
「トオルに対してだけの、発現は?」
「現時点では不明ですが、トオルに対しての再生波動は、他の者に対する効果より、当然に絶大なものがあるでしょう。彼はレンの、パートナーですから」
総帥が割り込む。
「エースよ、どうだ?ハデスとトオル、どちらがリーダーを獲得する?」
「私的には、トオルかと」
「マッチアップの結果か?」
「そうです」
「なぜトオルと、わかる?」
「スクールでの到達点はあらゆる要素で、拮抗していました。ただ、全てで僅かながら、トオルが秀でておりました。マッチアップではその差が、決定的になりました」
総帥がキャッチボールの相手を奪い返す。
「そうか。で、トオルのゲンプクはいつだ?」
「いずれにしろもう、遠くないでしょう」
またれい!また赤マシュマロの、怒号が割ってはいる。
「そんな不確定な要素の話しは、次に願いたい」
一同が声の勢いに注視する。立ち上がった総帥は、腕をかざす。
「エースよ、おまえに代わるものは現時点で、皆無か」
「おそらくは」
「おまえの意見は聞いていない。具体的に示せ」
「皆無です、残念ながら」
「シャークがいるだろう」
「彼はターゲットが絞れれば、無類な強さを発揮するでしょう。だが、ビジョンは我々が感知しにくい方向に変容している。倒すのに必要な存在の感知が、出来ません」
「ではおまえには、結果が見えるのか」
「いえ、そうではありませんが」
「シャークは、どこにいる」
「スクールでハデスを仕上げております」
「パートナーを失った以上、おまえの戦力外だ。維持する手段を得ようと、結合相手が皆無となった今、老いは止められない。援護に回り、いずれは言論統制のメンバーとして機能することとなる」
「…はい」
「次は彼等に、やらせる」
エースが何かを言おうと口を開いた矢先、総帥はアゴを振り、終了のドラをショウチは、高らかに鳴り響かせた。

「人類誕生~レンとトオルの物語」第2話 URL

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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