「人類誕生~レンとトオルの物語」第4話 渡邊 聡
「人類誕生~レンとトオルの物語」第4話
渡邊 聡
絶望と希望
木枯らしに強く吹かれて、立て続けに落ちる落ち葉のように、トオルの目から涙が落下する。泣きながらトオルは、レンが焼いた大きなハンバーグを頬張っている。大好きなデミソースを口から溢れさせながら。
「トオル」
レンが、パイル地赤子の涙をそっとぬぐう様に、トオルに声をかける。
トオルは赤子のしゃっくりのように二度小さくヒックヒックと息を吸い、またハラハラ涙を流しながら、口一杯で咀嚼する。
トオルのやるせなさが、レンを絞めつける。だが、まったく別の波が、レンの中に立ち始めた。ジワッと、濡れる、あの感触。芯の、うずき。それが百にも千にも増えて、レンの中でざわめき、泡立ち始めた。
感情が、生理に追い付けず、やがて押し流されはじめる。
「トオル」
パイルが少しまた、湿る。
トオルは、イヤイヤするように首を振って、レンを見ては、目を伏せた。
悲しさ、やるせなさ、憤り、絶望。
トオルのそれにシンクロしながら、レンの内から憤怒のような快楽の柱が吹き出す。
「あぁ、トオル」
パイルは今や、艶やかななめし皮のようにテカる。
「レン、出来なかった」
トオルの口から、咀嚼中の肉の破片が飛び散る。
ビックンと、小さくレンがのけぞる。
「身体が竦んで、思う様にならなかった」
小さく下から、震えが上がる。
「たてなおさなきゃって思っているうちに、シャークが!」
我慢できずにレンは声をたてて身をよじった。トオルはこの時始めてレンを注視する。
レンの手を手で包む。
震えるレンはまるで、うつむいてじっと、苦痛を耐える修行僧のように見えた。
「ごめんよ、レン」
トオルが、ゆっくりとたち上がり、口を押さえながら、脚を引きずるように、外に出ていった。
レンは小さくイッた。トオルが離れていくにしたがって、鏡に写る華奢になったレンは、サイズがちょうど一回り、小さく見えた。淡いフランキンセンスが、濃厚にただよう。
うずき。一旦形作られた交接器官がうずきを残し、平易になり、やがて皮膚の中に小さくしぼみ、やがてカサブタがはがれるように僅かな痛みを残して、もとの皮膚に同化した。
レンの中で、レンの巫女は高らかに謳った。
「もうすぐだわ」
レンはうつむいて、その声を噛み締める。レンは知った。心は揺らいでも、身体は正直で、決して揺らがない。
「もうすぐ時はくる」
レンはしっかりと自分の中に、巫女の声を留めた。
巫女の声とレンが、歩調を合わせ、シンクロする。
「それが私とトオルの、運命の時よ。しっかりなさい、レン」
拉 致
「衰えは、おそろしい」
「あぁ、ほんとうだ」
「エデン消失後、ほんの何十日かで既に、エースの翼は無用の長物、だ」
「ほんとうか!」
弾んだ拍子に、グラスが机を叩く。交接したてのミスラの身体から、蒸気がほとばしる。
プッシュ―とショウキも、付着したオリを弾き飛ばす。
「あの、シャークの顔を見たか」
ギシギシと笑うショウキの身体から再び、オリが垂れる。
「やる気満々の顔したまま、昇天だ」
ミスラの破顔。
「それにしても、ハデスにはたまげたよ」
「あぁ、あれこそデビルの再来だ」
「だが、翼はもげ、腹には風穴が開いている」
「そうだ。悪鬼ガイアも意識今だ戻らず、だ」
突然、不自然なほど、顔を近づけ、喉にからまったように声を潜める。
「ガイアは…。ガイヤは永久に覚めない、夢の中だ」
「永久に?夢の中…か!」
笑いのケイレンの爆発。
ショウキの下に、黒いオリの吹き溜まりができる。
「これ以上はないな」
「あぁ、好期この上は、あるまい」
「仕上げに巫女殿に、我らの磔になってもらおうぞ」
「二度と惑わぬように、伝説化してやろう」
ブース全体が一時、揺れる笑いのひきつけと化す。
ひとしきり痙攣を繰り返すと、突然思い出したように、ミスラが動きを止め、目を見開く。
「あの不細工な、個増は?」
「レンのオッパイでも飲ませとけ!」
そして再び、いつまでも風船は、弾け続けた。
突然のことに、誰も、何も、できなかった。
統治と総帥がスクリーンの前に陣取った矢先、青く光る二本のワッカが、統治の上からすっぽり身体にはまり、弛んだ皺だらけの統治を締め上げる。痛みを感じた時には、目前の総帥も、マシュマロのように悲鳴を上げたところだった。
「うぅ、これは!」
ワッカが身震いすると、拘束が僅かばかり緩まり、二人の血が一斉に脈動し沸立った。
「ミスラ、ミスラ。どういうことだ!」
「ミスラ、なぜ発現できる!」
身をよじり叫ぶと途端にワッカは締まり、大型の鳥のような、低音の悲鳴が再び響く。
「こら!なにを血迷う、やめんか!」
「やめろー!」
ワッカがギュンと直径の半分ほどちぢみ、すぐ広がった時には、落雷に打たれた象のようにドウと、二人は倒れた。
うめき声がイビキのように、床を這い続ける。
そこに入ってきた言論統制達は、驚きのあまり口を抑えたまま、見下す二人と、見下される二人を交互に見やり、
「ショウキ、これはどういうことだ?」
「貴様等、どうやって発現した」
音をたててショウキは、眼を言論統制達に向けた。
「うつけ、交接に決まっているだろう」
「なんだと。お前等のパートナーは先の戦闘で…」
言葉が見えぬ手に捕まったように、飲み込まれ逆流する。
「まさか、ご法度を?」
「なんの話しかな?」
「確かに死んだはずだ」
「完全に、死んではいない」
「なんということを。この人でなしめ」
「フン、もともと人などでは、ないわ。交接する為に、培養して何が悪い」
宙に人数の倍のワッカがブンと浮かぶ。
「や め ろ」
総帥が、吐く息と共に言葉を絞り出した。
「おや、お目覚めかな?」
ショウキがおどける。
「きさま、この代償は、高くつくぞ」
「おい、ジジイ。おまえの自慢の弟子は藻屑と消えたぞ」
総帥の目が、くしゃくしゃによれ、うめきが歯を割って出る。
「キュウセイシュさまは腹に穴を開けたまま、今もいびきをかいているぜ。今のオマエのように。ガイアにいたっては、今だ夢の中だ」
「よくも、そんなことを」
ふくらみ充血した頭は、自らの張力で、いまにも破裂しそうだ。
「巫女さまに全ての咎を、背負っていただく」
「なんだと」
むっくり統治が顔をあげる。
「トオルがおまえらを、地獄におくるぞ」
一瞬怯えたショウキの緊張が、ゆっくりほころぶと、顔の中心から笑いが広がった。トオルというブランドに呼応したショウキが、ゲンプク後のトオルを思い出し自分を恥じた…、そんな笑い。
ミスラが幼子をあやすように、おどけながら幼児コトバでお手玉する。
「あんなサルに、なにができる」
「おまえたちこそ、何も出来まい」
「だから、巫女さんに、活躍してもらうのよ」
「なんだと?」
「愚かな民をまとめるには、ぴったりの捨石だ」
「巫女は、レンが最後だぞ」
「これからは巫女など、いらぬわ。レンを異端に仕立て上げ流布すれば、民どもが、勝手に踊る」
「なんと愚かな」
「たわけ、愚かなのはいつでも民よ。奴らが自ずから、最後の巫女を魔女に仕立て上げ、その手で火あぶりにすれば、シティは磐石な一枚岩に、勝手にまとまるわ」
「愚か者。ビジョンをどうする?こんなことをしている場合か?」
「アホか、ジジイ。こういう時だからこそ、全てをうやむやに、事を運べるのではないか」
「腐った下賎め、キュウセイシュは必ず現れ、おまえたちを屠るぞ」
長年本心を隠し続けた鬱積が、堰きを切って噴出したように、ミスラの顔が赤銅色にそまった。その勢いで、ワッカは総帥を二つに切断しようと細く締まる。
「やめなさい!」
レンが走り込んできて、ミスラとショウキは気勢をそがれた。
レンの身体が膨れると、手から空気を曲げる波動がゆっくりと総帥に届いた瞬間、ワッカははじけ、ドロドロした総帥の腹が、見る間に健全な組織に、パテ埋めされていく。
驚いたショウキが黒い煙をレンに浴びせた。
レンは事切れた鳥のように、首を垂らすと、ゴトリと床に伏せ、動かなくなる。
一同は言葉を忘れた。
「なぜ、ここがわかったのだ」
「レンのセンサーは、痛む者の声を察知する」
「なんだと?それでは理屈に合わぬわ」
「それが巫女の発現だ」
そうか…。ミスラとショウキが、顔を見合わせ顔を崩す。
「それならレンをいっそ、肉団子に培養して、我らは精気を永遠に吸い続けるわ」
怒りに震えながら、総帥と統治は、声にならない声でうめいた。
奪還。そして覚醒
レンが落ちてから6時間余り後。
トオルはベットの上で目を覚ました。
マザーが、警戒信号を明滅させている。色はコバルトブルー。いつから明滅していたのであろうか。広場への召集である。
唇。あわせた肌。汗。香り。それらの感触が、まだそこにあった。
ゲンプク前のレンが、これほど美しく焦点を結んだのは、本当に久しぶりだった。
腰を下し、脚をそろえて横に崩し、手を下腹の前で重ね座っている、全裸のレン。
レンの目と表情の真剣さに促され、トオルはベットを降りた。
頭から被るローブを引っ掛けて、素足でトオルが部屋を後にする。
ぐずぐずしていられない。レンの像が焦点を結び続ける方角へ、トオルは遮二無二走った。
空中回廊をエリアⅠに渡ると、窓越しにシティの群衆が、通称『審判の窓』の下から遥か遠くまで、埋め尽くしていた。
その群衆がヒートした競技の応援のように、なにかに呼応し声を一つにしているのが、そこからも聞き取れた。
誰かが審判の窓から、宣言している。トオルが誘われている方角も、正に一致する。
エリアⅠに飛びこみ、エレベーターで降り、ドアが開いた瞬間。群衆の叫びは振動派になってトオルの顔を叩いた。
「レンを吊るせ」
何十万という群衆の声が一つに重なって、トオルの耳をこじ開けた。
「言論統制の横暴をゆるすな」
小さな雄叫びはミスラの声。
「言論統制を、許すな」
ジェット機のような轟音が、風になって正面から叩き付けてくる。
「今こそ隠密統治を、我等の手に取り戻そう」
「取り戻そう」
「異端レンを吊るせ、トオルと共に」
「トオルと共に」
「ビジョンの襲来にかこつけ、予言を利用し、我等先達の英知の結晶である言論統制を私物化した統治と総帥は、悪しき象徴として新たな岩に、刻むべきた」
「新たな岩に刻め」
トオルは理解した。
荒々しくナマナマしい幾万の怒号の衝撃派を受け、トオルを捉えたものは、絶望でも落胆でもなかった。
『今倒さなければならない』
そのようにトオルはあった。そしてこうも、あった。
『レンを、奪還する』
うごめく群衆の海に向かう、ミスラの背中が見えた。
その周りを大小の、戦闘員が取り囲む。
速歩のトオルに、最後列の二人が反応し後を振りかえった。
スタスタと通勤する歩行者のようなトオルを認め、慌てて火球を放り込む。
その刹那。火球は不完全燃焼を起すと、投げ手が膝をつき、ばったりと伏せる。
大きい方は溶解パルスを打った瞬間、うつぶせに昏倒した。
今度は四人が一斉に振りかえる。
「トオルだ」
「やれ」
「打て」
全員がワンアクション後、白目を剥いてバッタリと伏せる。
最後の五人が振り向いた時には、トオルは立ち止まり、何かを探している様だった。
トオルを認め、ショウキはミスラの裾を引っ張る。ミスラは首だけ回し、トオルを目の端に捉えると、赤い顔をさらに赤に染めて叫んだ。
「敵襲だ」
そして、ベランダをショウキと共に横に走り、飛んでベランダから窓枠を越え、塔に戻る。
トオルもまったく同じ方向に駆け出していた。
ショウキとミスラが、トオルを追った。その後ろから、舵を失った幾万の悲鳴と怒号の重なりが飛んできた。隣りの大広間を横切り、竜の手すりのついた、観音扉を開けると、部屋の正面に、十字架に吊るされる、黒く染まったレンの姿が見えた。
一斉に振りえり、どよめいた戦闘員達が、トオルの後にショウキとミスラ達を認め、アタックをかけた刹那、将棋倒しになり、ピクりとも動かなくなった。
「この、突然変異めが」
ひきつるショウキの声が、悲鳴のように上がった。
ジロリと一瞥をくれると、磔られ気を失っているレンを、両手を広げ抱きしめた。
レンの羽毛が、そよいだ。黒いオリがレンの身体から、意志をもって逃げるように床に落ち、白いレンの全身が、徐々に薔薇色に染まっていった。
スルッと、レンはトオルの上に落ちてきた。
それをしっかりとトオルは抱きとめた。
こころなしかレンが、小さくなったようだった。
ショウキとミスラがじりじりと間を狭める。
しかしトオルは、今や上気しトオルの首に腕を回しまどろむレンを抱いたまま、スタスタと奥に進み、小さなドアの前にたつと、ゆっくりドアが開く。
幽閉されていたエースが、統治が、総帥と奥に横たわるハデスが、一斉に二人を迎えた。
巨大な兵士が二人、番をしていた。
トオルに駆けより、電子網を打った瞬間、ゴトリと倒れる。手品のように網は、空中に離散した。
トオルはレンの腕をそっとはがし、レンをやわらかな民具に寝かすと、踵を返し。
もと来たドアを出て行く。
トオルの背の手前で、ドアは閉まった。
「おのれー」
ショウキとミスラの絶叫がドアの外で響いた。
一拍するとドアは音もなく開き、そしてトオルを部屋に迎え入れた後また、音もなくしまった。
「トオル」
各々が声をかけた。
心配そうな眼差しを彼等に向ける、生のままのトオルが、そこにいた。
「だいじょうぶですか、ハデスは?」
「聞いたぞ、トオル」
「えぇ、いや、自分ではまだ、良くわかりません」
「なんと!」
総帥とハデスが顔を見合す。
レンは夢心地の中で傍らに、トオルの声を心地良く聞いていた。
「レンがぼくを呼び、レンがぼくを覚醒させてくれました」
ありがとう、トオル。さあ…。
「トオル、実はおまえの能力はまだ、我々にも未知なのだ」
エースが続ける。
「もともとゲンプク後の発動は、本人が全てで、その総体は本人に自覚され、全てが発動した後に解析される。だからおまえが常におまえらしくあること。これしかない」
「わかっています」
トオルに笑顔が、ようやく帰ってきた。
夢の中のレンが、思わず涙ぐむ。
よかったね、トオル。これからよ。
統治がじれったそうに、促す。
「さぁさあ、どういう機能なんだ、おまえのは、トオル」
「それが…」
困ったように、笑うトオル。おいおいと、皆の顔も、久しぶりにほころぶ。
「まさか、解ってないなんてことは、ないだろうな」
「いや、実は良くわからないんですけどね」
ハデスが痛みでグァァと叫ぶ。
ハデスの奥から、ひょっこりガイアが顔を出した。
「どうすれば良いかは、良く解りました」
「おお、そうか」
ホッとしたような、困ったような。
レンは覚醒の過程にいた。そろそろ起きようと、そう思った。その矢先…。
遠くで、マザーの声が、鳴り響き始めた、膜がかかったビーコンの音。
コレハ一種警戒態勢。
レンの瞼の裏に映る、朱の明滅とマザーのビーコンの波長。
マザーの声がこだまとなって広がる。
「エリア0、エリア0にビジョン襲来。高度500.現在時刻より、推定10分後。
不着により推定されるダメージ、シティの壊滅」
「来た!」
統治が呟いた。
総帥は頭を抱える。
ハデスは悪夢の再来にうめき、ガイアが必死にハデスを抱きすくめる。ハデスの深手はまだ、快癒の途上にあるようだ。
「エリア0、エリア0にビジョン襲来。高度500.現在時刻より、推定10分後。
不着により推定されるダメージ、シティの壊滅」
トオル、待って。一人で、行かないで…。
「トオル!用意はいいか?」
「トオルが行って、何が出来る」
総帥がエースに、食って掛かる。
「トオルしかいません。トオルの心の在り方次第ですが」
皆がトオルを見る。
トオル、トオル、私も連れて行って。
トオルが口を開いた。
「ごめんなさい。何がどう出来るか、自分でもまったくわからない。正直いって自信もない」
統治は息を止め、総帥は繭をしかめ、エースがなにかを言おうとする。
「でも、どこまで何が出来るか、やってみたいと思っています」
赤の明滅が強くなり、マザーの声が大きくなる。
「エリア0、エリア0にビジョン襲来。高度500.現在時刻より、推定10分後。
不着により推定されるダメージ、シティの壊滅」
トオル、さぁ、いっしょに行きましょう。
「運命の岩に行きます。どうかレンを、よろしくお願いします」
あっとエースが、なにか肝心なことを失念したような顔をした。
トオルが、エースが、総帥と統治が、レンを見る。
だめよ、いっしょに行くわ。トオル、私を連れて行って。
小さな走る足音がとまり、滑るような音の奥に、足音が消えて行った。
ハッとレンが覚醒した。
審 判
快晴の空が悲鳴をあげると二つに切り裂かれ、その割れ目はゆうに、空の4半分に及んだ。そしていたるところから這い出てズルリと垂れ下がった黄色は、引っ掛かったように空中で、止まりはためく。
空が真黄色に埋め尽くされてた。
最も大きなカーテン状のアメーバは、数キロもあるようだった。
広場を我先に逃げるシティの人たち。
絶望のうちにレンは、目を走らせた。
その時、崩れ落ちた運命の岩の上に、一人空を見上げるトオルが見えた。
「トールー」
レンの咆哮は、トオルに届く。
ウィン
アメーバが一斉にトオルに向きなおす。
と、トオルにもっとも近くを漂っていた小さなアメーバが、矢になって運命の岩の端に消え去った。
次の瞬間、光がトオルを射抜く。
「キャー」
レンの絶叫がコダマした。
我先に、当ても無く逃げた烏合の衆が、絶望の行軍を止め、運命の岩に視線をやる。
トオルは立ち上がった。
口からブッと、血を吐き出す。
人々はそれがトオルとわかり、空の異形を見て、更に逃げ惑う。
レンは窓を蹴って、一直線にトオルに向かった。
レンが傍に到着するのと、アメーバが矢になって降り注ぐのが、同時だった。
「トオル」
レンが近付いただけで、トオルの傷が、一瞬にして快癒する。
「ほら、レン。こんなにも、心地良い」
血走ったレンがトオルに体当たりし、掻き抱き、しがみつき、翼の中に隠そうとする。
「トオル」
「レン」
う~ん、ぶふっと、レンの胸の下から、顔をあげると、
「ほら、レン」
トオルは目を瞑り、天に向かって手を広げた。
最後にトオルをしっかりその目に焼き付けると、その目をしっかりと閉じ。
レンはもう一度、トオルをしっかり掻き抱いた。
眼を閉じると、いつもの眩暈がおそってきた。渦がグルグル周りだし、奈落につま先から少しずつ引き込まれ始める。最後の力を振り絞ってトオルにしがみつくと、吸引先が奈落でなく、実はトオルであったことに気付いた。
力がたちまちレンの身体から奪われた。
波のような心地良い刺激が足元から立ち昇り、表皮が崩れ落ち、快楽の芽が剥き出しになる。
「いや、見ないで」
小さくつぶやきながら、大きくなっていくトオルにしがみつく、レン。
懐かしい、たくましい、トオルの匂い。
トオルは広げた腕でレンを抱く。
「目を開けてごらん」
昔のままの、トオルとレンが、確かに、そこにいた。
バックには黄色の大天幕。
矢は消失したまま、いつまでも襲撃されない。
身体の芯から立ち昇った、最初のオルガスムスが、二人を同時に貫いた。
全てを、レンは理解した。
「そう、これがぼくの、変異」
雪降る湖面のようになぎ、
春の山のようにポカポカして、
秋の森のようにシンとしたトオルがそこにいた。
キレイだね、レン。
レンは目を見張る。
アメーバ達が、揺らぎ出し、キュウキュウ鳴きながら、姿勢を正そうとはためく。
そうだわ、あぁ、そうだった。
キレイな目。これがキュウセイシュのブラック・アイ。
ジンチヲコエタイギョウ。
まさにそれが、こんなにまで愛しい、人の姿。
あぁ、かぐわしい香り。トオルの胸に、脇に、レンは顔をうずめる。
裸の、人になって、レンもそこにいた。
ユエニ マドウベカラズ
愛は、ゆえに、あらゆる角度から、試される。
素敵よ、トオル。
スベテノテキハ ウチニアリ
ありがとう、レン。
ホロビシトキハ シンヲウシナウトキ
ぼくを信じていてくれて。ありがとう、レン。
君のおかげでぼくも、ぼく自身を、信じることが出来たよ。
木に登るように、精一杯腕と脚を回し、トオルにしがみついていたレンを、僅か上に持ち上げ、しっかり抱きとめ抱きすくめると、トオルはゆっくりおろし、レンを埋めていく。
青い波動が、天を突いた。
私達の、これが本当の、交接。
スパークに打たれながら、言葉がレンの中から沸立つ。
「そう、これが、二度と変異しない、私の最終形」
ワーン
ワーン
ワーン
いななきが一斉に空に轟く。
嵐のような砂塵を上げながら、幾重にも重なって空を埋め尽くした黄色の大天幕たちは、崩れ落ち、残らず消失した。
ガレキの中から
「本当に二人は、エリアの外に出たのだな」
「そのようです」
「エリアの外は、どこまで感知できる」
「二人に関しては、皆無です」
「マザーは復旧したか?」
「まだ、謎の沈黙を守っています」
ふう
新しい統治に就任したハデスは、息を吐き、腰を下した。
画面が歪む、青い衝撃波、強烈なパルス。
それにしても何て幸せそうな、ふたりの表情。
そして残された最後の、彼らの言葉。
「やっぱりぼくらは、二人だけの、自由が欲しい」
この時の二人の、この、表情。
なんど見ても、この二人の、この表情が、ひとつだけ、必要なものを示唆している。
「追いましょうか」
「どうやって?」
「まだ使える兵は、残っていますよ」
「あのな、見付けたとして」
「はい」
「どうする?」
「は?」
「彼等に攻撃は効かない」
「…」
「彼等は、あらゆる攻撃は、無力化する」
「あぁ、そうでした」
まったく。
さらに敵意をぶつけ続ければ、消滅するのが関の山だろう。
遠隔操作で攻撃を仕掛けたとしても、届くまい。
いわんや一太刀あびせたとして、たちどころに癒える傷。
なにより驚愕すべき事実は、言論統制を含めた、あらゆる賢者達が選択をあやまり、彼等が正しかったこと。彼等以外のほとんどの人々が、彼等を異端視し、石を投げた。
キュウセイシュ カノクニニ アラワル
エデンを始めレンの言論から、キュウセイシュはトオルだと判っていた。
ソノモノ ジンチヲコエタ イギョウナリ
変異した後の姿が変わらなければ、それこそイギョウそのものである。
ユエニ マドウベカラズ
しかし作為を持った者の意図や、流布された風評は、完全に彼等を異端に、仕立て上げた。
スベテノテキハ ウチニアリ
これは、言論統制を始め、あらゆる機間の意図を持った決定を指すのでは、あるまいか?。
ホロビシトキハ シンヲウシナウトキ
明白な客観的事実を曲げれば、待つのは滅ぶ道のみである。
学ぶべき点は、実に当たり前の事柄ばかりだ。
フゥとまた、ため息。
さて、そうして、オレになにが出来る。
ハデスは一人、ごちた。
言論統制の制御室。シティの中枢。この威厳も、今ではガレキに等しくハデスの眼には映る。
スクリーンには、レンとトオルの、シティで目撃された、最後の姿が映し出されている。
トオルが何事か、呟く。音声が聞き取れない。
もう一度、トオルがレンに何事か、呟く。笑顔で頷く、レン。
もう一度、焦点を絞れ。
そして、確かに、トオルはこう言った。
「産まれ来るその子に、『人類』と名付けよう」
そうか、彼等が、創造主なのか。
スクリーンが霞み、フェイドアウトする。
では、我らは、なにを創造する。
やはり…。ハデスは呟く。
そう、やはり、それしか、ないのかもしれない。
ハデスの目はこころもち暗く、遠くを見ている。
やがてあきらめたようにハデスは、ノロノロと、新たな言論統制の人選に入る。
