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超短編エッセイ 家郷雑感―祖母の思い出 /大学教員が語る父方祖母の思い出

父方祖母(1916~2014)との思い出を、振り返ります。もとは南日本新聞2004年4月13日夕刊に掲載されたエッセイです。

 薩摩郡東郷町(現・鹿児島県薩摩川内市東郷町)に住む祖母は、大正5(1916)年生まれ。当時は国鉄宮之城線も敷設工事中で、赤い鉄骨トラスがシンボルの東郷橋もない時世。川内川を渡るには船頭の手漕ぎ舟が頼りの交通手段だった。今年2月、米寿を迎えた祖母を囲み、ささやかな宴が開かれた。

 私は生まれも育ちも鹿児島市の新興住宅地だが、折をみては祖母のもとに遊びに行っていた。いとことともにカブト虫やメダカ獲りに興じ、生活の拠点をおいたことはなくとも、ここ東郷の祖母宅こそ私にとっての原風景なのだ。

 祖母は今でもはしごを掛けて裏山の藪刈りに汗を流したり、交差点に面した宅地の一画に花畑を造ったりと、体を動かすのが元気の秘訣だという。そのような祖母の姿を見て、完全脱帽せざるをえない。祖父は、私の父が小学5年のときに他界。祖母は、調理師資格を取得して給食調理の仕事をしながら、女手一つで生計を支えたという。その気概こそが、米寿を迎えられたゆえんといえそうだ。

 川内で会食の後、家族全員で祖母宅へ。この家屋は、江戸時代末期に建てられ、代々子孫が引き継いできた。何気なく納戸をのぞいていた私の目に、一冊の古いアルバムが留まった。そこには新婚時代の祖母や、昭和10年ごろ撮影の家族写真などがあった。軒先に立ち、和服に身を包んだ曾祖父母や曾々祖母がいた。親族のなかで、唯一当時のことを知る祖母は、否応なしに大きな存在なのである。

 祝いの日を記念して、私たちも集合写真を撮った。セピア色の紙焼き写真と同じ場所から撮ったデジタル写真。2枚の写真を並べて見るにつけ、家郷の思いは強まるばかりだ。


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