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今だから話せる「鹿児島大学理学部地学科」に進学した理由。/大学教員が自身の大学受験をふり返る

1.「大学受験は鹿児島大学法文学部だ!」と決めた中学2年生

私は鹿児島出身で、小学生の頃から社会科が大好きでした。鹿児島市が作成した副読本『のびゆく鹿児島』を愛読書にしている、少し変わった子どもだったと思います笑。
小学6年生の春休み、偶然目にしたNHK鹿児島のローカル番組「かごしま歴史紀行」が、私の進路意識を大きく変えました。番組にレギュラー出演されていた日本史学者の原口泉先生を知り、「鹿児島の歴史を本格的に学びたい」という思いが一気に強まったのです。

原口先生は、大河ドラマ『翔ぶが如く』『琉球の風』『篤姫』『西郷どん』や、朝の連続テレビ小説『あさが来た』などで時代考証も務められた方です。中学生になってからも番組を楽しみに視聴し、友人と自転車で史跡巡りをするなど、「鹿児島の歴史」に触れる時間そのものが喜びでした。

進路について考え始めたとき、鹿児島の歴史を学ぶなら原口先生のもとで学びたい、そのためには鹿児島大学法文学部人文学科しかない——そう決めたのが中学2年生の頃でした。まだ高校の進学先すら決めていなかったのに、今思えばずいぶん気の早い話ですね笑。


2.鹿児島県立鶴丸高等学校での3年間――どうか反面教師にしてください

1991年4月、鶴丸高校に入学しました。受験時の面接で「なぜ本校を志望したのか」と聞かれ、「鹿児島大学法文学部人文学科に進学し、原口泉先生のもとで学びたいからです」と即答したことをよく覚えています。

入学後は、中学の先輩に誘われて音楽部に入り、部活動はとても充実していました。クラスにも徐々に馴染み、昼休みには混雑する学食を避けて購買部のパンを頬張るなど、高校生活そのものは楽しいものでした。

一方、学習面ではというと、1年1学期から3年2学期途中まで、常に成績下位層、いわゆる「縁の下の力持ち」でした。国語(国語表現・現代文)や社会科(日本史)、文系数学は平均以上、特に国語表現と日本史は9割前後取れることもありましたが、理科(地学)と英語が壊滅的で、最後まで克服できませんでした。

周囲は勉強のできる友人ばかりで、学校からは「平日は3時間+学年の数字分の家庭学習を」という指導もありましたが、正直に言えば守れた日はほとんどありません。一度理解度に差がついた科目は、少し努力した程度では埋まらず、差は開く一方でした。

3年生になりセンター試験が視野に入った頃、私は“ウルトラC”とも言える作戦を思いつきます。「苦手科目の失点は、得意科目で補う」というものです。ここから危険なフラグが立ち始めました笑。
国語・日本史・数学Ⅰで8~9割を取り、地学と英語は6割でよい、という都合のよい皮算用をし、苦手科目から逃げ続けたのです。

この戦略は一時的には成果を上げました。3年生12月のセンター試験プレテストで800点満点中640点、志望学科内順位2位という結果が出たのです。得意科目重視の勉強が、最も輝いた瞬間でした。

しかし本番は甘くありませんでした。センター試験1日目、最初の科目は鬼門の英語。後に「史上最低水準の平均点」と言われた回で、難化により私の「英語6割計画」はあっけなく崩壊しました。時間配分も失敗し、読解問題を残り5分で2題残したまま終了。続く数学Ⅰでも集中力を欠き、9割計画は瓦解しました。

完全に気持ちが切れ、「数学Ⅱは受けなくてもいいか」と考えていたところ、担任が「何があるかわからない。受けられる科目は受けておいた方がいい」と声をかけてくれました。半ば投げやりでしたが、教室に戻って数学Ⅱを受験しました。


3.前期日程での失敗と、後期日程での出会い

自己採点の結果は800点満点中510点。プレテストから130点も下がるという惨敗でした。良い結果に油断してはいけないし、悪い結果に悲観しすぎてもいけない——逆転は起きるときには起きます。

担任と相談しながら受験校を探しましたが、第一志望の鹿児島大学法文学部人文学科はE判定。滑り止めの私立大学を受けていなかったため、国公立大学の前期・後期日程の2回にすべてを懸けることになりました。

最終的に、前期は鹿児島大学法文学部人文学科、後期は理学部地学科を受験することにしました。後期で地学科を選んだ背景には、高3の夏に鹿児島市を襲った豪雨災害があります。市街地を流れる甲突川の氾濫で江戸時代築造の石橋が流失し、災害とまちづくり、文化財保存と治水が大きく報じられていました。文化財と都市の共存に関心を持ち始めていた私は、D判定ながら一縷の望みを託すことにしたのです。

ここで、担任の「数学Ⅱも受けておいたらどうか」という一言が生きてきました。地学科では数学Ⅰに加え数学Ⅱが必須だったのです。あのとき受けていなければ、受験すらできませんでした。

前期日程の二次試験は国語と英語。結果、受験番号17は掲示板にありませんでした。
そして迎えた後期日程。二次試験は小論文でした。センター800点:小論文400点という配点に望みをかけ、解答用紙を埋め尽くしました。

合格発表の日、受験番号54023は掲示板の一番最初にありました。帰宅すると家の電話が鳴り、受話器の向こうから聞こえたのは原口泉先生の声でした。「だまされたと思って飛び込んでみなさい」——その言葉が、次の一歩を踏み出す大きな後押しになりました。


4.与えられた環境で、どう過ごすか

こうして私は鹿児島大学理学部地学科(現・理学科地球科学コース)に進学しました。のちにゼミで指導を受ける大木公彦先生をはじめ、多くの先生方、仲間に恵まれました。卒業論文では、地震災害と防災に強いまちづくりをテーマに取り組み、受験時に抱いていた関心を形にすることができました。

人生には、第一志望に合格し邁進する道もあれば、私のように回り道の末に進路が開ける道もあります。大学教員は順風満帆に見られがちですが、決してそんなことはありません。私のような落ちこぼれでも、与えられた環境でどう過ごすかによって、失敗は必ず糧にできます。

この経験が、受験生のみなさんにとって、少しでも励みになれば幸いです。

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