主体性は幸福につながるか
昨今、「主体性を持って自分の人生をコントロールしよう」という価値観が広く浸透している気がします。書籍はもちろんのこと、YouTube動画でも見かけ、主体性は成功するための重要要素として取り上げられています。
なによりも、FIREが話題になっていることがそのことを雄弁に語っています。経済的に自立して自由を手に入れて、自身の人生を好きなように舵取りしようと。
個人的にも、50代半ばで早めに会社組織を離れて、時間を自分の裁量で資産運用やスポーツ、コミュニティ活動に配分できるようになり、確かに、人生の満足度が高まったと感じています。
同時にふと、考えます。もしかすると「主体性を持って自分で全てをコントロールする」ことが、必ずしもすべての人にとって幸福なこととは限らないのでは。
理由は、たとえば、実際にFIREを達成した人のなかには、退屈や孤独を感じてしまう人もいるからです。時間を持て余し、再び会社勤めに戻る人もいます。主体性を発揮するには、物事に対する興味や知識欲といったある程度の意欲、そして決断力、判断力が求められるため、それが却ってプレッシャーになってしまう人もいるのでしょう。
さらに、主体性のあり方は文化や育ち、性格によっても大きく影響します。知り合いに「みんなで旅行にいきたい」「美味しいものを食べにいきたい」と言うものの、自ら率先して具体的なプランを提案したり、実行することはしたくない人がいます。その人曰く、「私、末っ子だから」と。
なるほど。言われてみると、確かに自分は長男だから主体的に決めたり提案することに躊躇がないかも。
親は下の子の面倒を見るのに忙しいため、長男、長女は家庭内でより自立を求められる傾向があり、自然と「自分で決めないと」という意識が育ちやすいですよね。
一方、次男・次女や末っ子は、比較的自由に育てられることで、柔軟に人の意見を取り入れたり、協調的なスタイルをとることが多いようです。
会社にもいました。見た目はコワモテで貫禄のある経験豊富な先輩でも、「悪いけど、どの案をお客さんに提案するか決めてもらえる?」と最終的な意思決定を人に委ねるタイプ。見た目からは想像できないほど、ちょっと気弱な良い人でした。
加えて、「ある特定の分野や場面でのみ」主体性を持ちたい人もいます。たとえば私の妻は買い物にでかけて、服を選ぶときでさえ、私に相談しながら決めることが多いのですが、仕事に関しては「可能な限り働き続ける」と強い意思を表明しています。
その理由を聞いてみると「自分の裁量で行きたいところに旅行し、買いたいものを買い、食べたいものを食べたいから」とのことでした。つまり、経済的、社会的に自立して、自分の判断で行動する自由を確保したいということだそうです。うん、納得です。
よって、主体性は人生のすべての場面で発揮されるものではなく、人によって、「ここだけは自分で決めたい」と思う領域だけで良いのかなと思います。
今流行りの「主体性信仰」はおそらくアメリカの自己責任論からきているのではと推察しています。強いリーダーシップをゴリゴリ発揮して、主体的に自己責任で動かないと資本主義の厳しい競争社会で勝てない。勝てなければそれは自己責任だと。実際には環境や時代など運の要素もかなり影響するにも関わらず。。。。
でも、ここは日本。すべてを自分で決める必要はないのかと。むしろ、「どこまで自分で決め、どこから人に委ねるか」を自分で選ぶことも主体性といえると考えます。
どう思いますか?
以上になります。今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
