純潔という幻想をほどく―「Sex Work is Work」と婚姻制度をめぐる覚え書き
Ⅰ ウエディングドレスと AV 女優──祝祭と蔑視の境界線
2025年7月29日付に書かれたあるブログは、ウェディングドレスが「純潔」の象徴として称揚される一方で、AV 女優やその他の性産業従事者が公然と蔑視されている二重基準を鋭く批判していた。そこでは「婚姻こそ国家が制度化した売買春ではないか」という大胆な疑問が投げかけられている。ドレスのレースと飾り窓の赤いランプ。そのどちらが祝福され、どちらが排斥されるのかを決めるのは、私たちが所属する国家‐社会の規範装置だという指摘だ。
考えてみれば、結婚もセックスワークも「性的サービス」と「経済的メリット」を結びつける点では同じ構造をもつ。両者の差異を決定づけているのは、制度としての承認の有無──すなわち国家がどちらをどのように管理し、どちらにどのようなイメージを貼り付けてきたか、という一点に尽きる。
Ⅱ 家父長制の歴史地層を掘る
性と労働が結びついた契約としての婚姻を、私たちの思考はしばしば「愛」という言葉で曖昧にしてきた。しかしマルクス主義フェミニズムや人類学的親族論が示す通り、近代以降の婚姻は、妻の身体と再生産労働を夫とその親族集団に囲い込む制度的装置だった。
フリードリヒ・エンゲルスは一八八四年、『家族・私有財産・国家の起源』で、一夫一婦制と公娼制は同じ社会的コインの表と裏であり、女性の性と労働を私有化する仕組みだと喝破した。ゲイル・ルービンは「女性交換」という概念で、婚姻を男性同士の贈与ネットワークと読み替え、キャロル・ペイトマンは『セクシュアル・コントラクト』で「自由な社会契約」の裏側に、妻の恒常的な性的可用性を夫に付与する「隠れた契約」が残存していると論じた。さらにシルヴィア・フェデリーチは、主婦が担う家事やケア労働を賃金なき再生産労働と位置づけ、資本主義の発展はそれに寄生してきたと指摘する。
いずれの理論も、婚姻契約を「性と労働の複合契約」とみなし、家父長制を支える経済インフラとして機能してきた点で一致している。
また、日本においでも明治以降、富国強兵、高度経済成長を支えるための家父長制を強化させるために婚姻制度が利用されてきた、日本におけるウェディングドレスもそのイデオロギーを浸透させるために広まっていったと考えられる。
ウェディングドレスと〈家制度〉のコンパクト史
ウェディングドレスが日本で最初に姿を現したのは明治六(一八七三)年、長崎で日本人女性が中国人男性と結婚したときだった。それからしばらく、結婚式といえば和装で行う神前式が圧倒的多数を占める。実はその神前式自体も“古来の伝統”ではなく、皇太子(のちの大正天皇)の婚礼を機に一九〇〇年に整えられた近代の新作儀礼だった。欧米列強に「文明国らしい正式な結婚式」を示す必要があった近代国家は、神道と洋式を折衷しながら自前の儀式を作り上げたのである。
戦後の高度経済成長が始まると、ホテル挙式とともに教会式が都市部の若者に広がる。森英恵や桂由美らデザイナーが供給を後押しし、一九八〇年代には「バージンロードを純白のドレスで歩く」スタイルが和装を凌ぐ憧れとなった。純白が選ばれる背景には、ヴィクトリア女王の婚礼以来「花嫁の処女性」を示す色とされてきた西洋の価値観がある。一方、日本の白無垢もまた「嫁ぎ先の家の色に染まる」という従順のサインだった。白は清浄を掲げつつ、花嫁が男性家長に従属する覚悟をも象徴してきたのである。
式の所作を見渡すと、家父長制の影は濃い。父親が新婦を伴いバージンロードを歩き、祭壇で新郎に“引き渡す”演出は、女性が父権から夫権へ所有権を移される儀礼をなぞる。披露宴のケーキ入刀後に行われるファーストバイトでは、「新郎は一生食べ物に困らせない、新婦は一生料理を作る」と性別役割を宣言する。招待状やスピーチでも主賓や代表はたいてい新郎側が先——式は祝福の場であると同時に、家制度を社会に再確認させる劇場でもあった。
しかし二一世紀に入り、ジェンダー平等を求める声は高まる。二〇代の約半数が「結婚式の性別役割演出に違和感を覚えた」と答え、両親や友人と歩く“ウェディングロード”や、新郎も手紙を読むプログラムなど、旧来のフォーマットを書き換える動きが加速している。
Ⅲ 世界を俯瞰する――セックスワークをめぐる三つの政策モデル
今日、各国は三つのパターンでセックスワークを取り扱っている。
第一はオランダやドイツに見られる合法化モデルで、売春そのものを合法としたうえで労働法・税法に組み込み、衛生検査や労働時間規制によって安全を担保しようとする方式である。合法化は業界を透明化し暴力や搾取の摘発を容易にするとの評価がある一方、人身売買を誘発したのではないかとの批判も根強い。
第二はニュージーランドやベルギーが採用する非犯罪化モデルだ。ここでは売春に刑事罰を科さず、保健・労働安全衛生の枠組みで管理する。二〇〇三年のニュージーランドの改革後、セックスワーカーは警察に暴力被害を届け出やすくなり、HIV 感染率も低下したとの報告がある。
第三はスウェーデンが一九九九年に始めた「買う側のみ処罰」する北欧モデルである。売り手(主に女性)は被害者と位置づけ非処罰とし、買い手(主に男性)に刑事罰を科す。ジェンダー平等の理念には合致するが、実際には取引が地下化し、セックスワーカーが暴力を避けるための交渉時間や場所を失うとの批判も出ている。
Ⅳ “同意”と経済的支配
婚姻にもセックスワークにも当事者の「同意」が存在する。しかし同意があるという事実だけでは、搾取や支配を測る物差しにはならない。婚姻は離婚しない限り貞操義務や扶養義務が続く恒常的契約だが、セックスワークは基本的に一回ごとの合意で完結する。報酬は前者が税制優遇や生活費負担といった間接的な形をとるのに対し、後者は明確な対価が手渡される。
問題は、婚姻が「恒常的同意」を前提に制度化されてきたがゆえに、かつて多くの国で夫婦間の強姦が犯罪として扱われなかった事実である。さらに日本の配偶者控除や第三号被保険者制度は、稼がない妻を優遇する形で女性の経済的自立を抑制し、家父長制的な従属関係を強固にしてきた。つまり「合意があるから搾取ではない」とは言い切れない、経済的拘束と法的不可逆性が存在するのだ。
Ⅴ 反対論とその再考
セックスワークの合法化や非犯罪化に反対する声の中心には、「人身売買が増加する」「性的搾取を助長する」「社会の退廃を招く」といった懸念がある。しかしオランダ法務省の調査は、合法化によって摘発が容易になり統計上の件数が増えただけだと分析し、ニュージーランドでは非犯罪化後も人身売買の有意な増加は確認されていない。WHO や UNAIDS は、HIV 予防と公衆衛生の観点から非犯罪化が望ましいと勧告している。
婚姻を「愛情ゆえに等価交換を超える」ものと位置づける反論もあるが、愛情が搾取を打ち消す保証はどこにもない。むしろ無償の家事労働やマリタルレイプの歴史が示すように、愛と称される関係が暴力と従属を覆い隠すことも多々あった。
Ⅵ 搾取をほどくために
家父長制の影を薄めるためには、配偶者控除を撤廃して個人単位課税に改めること、家事・ケア労働を正式に評価し年金換算とすること、マリタルレイプを明確に犯罪とし包括的性教育で「恒常的同意」の神話を解体することが求められる。同時に、婚姻外のパートナーシップにも社会保障を開き、性的排他義務と経済的保護を切り離すべきだろう。そしてセックスワークを非犯罪化し、労働者としての権利保護を整えれば、暴力と搾取の温床は一段と縮小するはずだ。
Ⅶ おわりに
ウェディングドレスの純白と飾り窓の赤。国家と社会は長いあいだ、そのどちらを祝福し、どちらを否認するかを選別してきた。しかし純白のレースにも赤いランプにも、性と対価、労働と身体、愛と暴力が入り組んでいるのは同じだ。
「Sex Work is Work」というスローガンは、セックスワーカーの権利要求にとどまらず、婚姻制度という“公認セックスワーク”の内側に潜む無償労働と恒常的同意を可視化する。私たちはそのルーペを通して、純潔という幻想が温存してきた家父長制をほぐし、愛・労働・身体のあらゆる関係を対等な合意へと編み直す必要がある。
祝福も蔑視も、一度ほどいて、もう一度結び直す。その手つきこそ、私たちが未来に向けて選びとるべき新しい契約なのだ。
参考資料
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