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『死ね』を翻訳してみたら― 言葉足らずをやさしく言い換える試み ―

誰かに「死ね」と言われたら。

その言葉を、私は“翻訳”してみる。

「死ね」も「殺す」も、ただの言葉足らずかもしれない。


1. 強い言葉をぶつけられたとき

もし突然、誰かに「死ね!」と言われたら。
胸に突き刺さるし、ショックだし、腹も立つ。

「なんでそんな酷いことを言うの?」
「もう関わりたくない!」

そう思うのは自然なこと。
でも、私はちょっと違う見方をしてみたい。


2. 「死ね」は言葉足らず

「死ね」という言葉は強烈。
でも、反対にしてみると「生きろ」。
否定形にすると「死ぬな」。

「死ぬな」って、永遠に生きろってこと?
それもまた苦しいよね。

結局、人が願うのはきっとこうだ。
「天寿を全うして、死ねますように」。

そう考えると「死ね」って、ただの言葉足らず。
「天寿を全うして“死ね”ばいいのに」
こう翻訳して受け取ってしまえばいい。

天寿。いい言葉だ。
天からの寿ぎ。
「よく生きたね」と祝福されながら生を全うしたい。



3. 「殺す」も言葉足らず

では「殺す」という言葉はどうだろう。
もし「殺す!」と言われたら、私は聞き返したくなる。

「殺す? どうやって? その後どうするの?」

命を奪うというのは、覚悟のいること。
罪を背負い、牢獄で生きる未来まで含んだ言葉だ。

そこまで考えずに「殺す」と言うなら、やっぱり言葉足らず。



4. 言葉の翻訳者でありたい

強い言葉を吐くのは、感情があふれて「言葉が追いつかない」からかもしれない。

だからこそ、そのまま反応するんじゃなくて、
奥にある気持ちを翻訳してみたい。

「死ね」は「今すごく怒ってる」
「殺す」は「どうしても許せない」

そんな風に“翻訳”しながら、
「本当はどう言いたかったの?」を探していきたい。

それは人と向き合うことでもあり、
自分と向き合うことでもある。



5. おわりに

言葉はときに短すぎて、残酷になる。
でも、翻訳してみれば、ちがう意味が見えてくる。

私は「誰かに死ねと言われたらどうする?」と聞かれたら、こう答えたい。

「その言葉を翻訳して、一緒に意味を探すよ」と。

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