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【ガチ】精神病院に入院した時の記録

🚨ご注意ください
このnoteは「精神病院での入院体験」をそのまま書き出した記録です。
内容には、拘束・注射・孤独感など、なかなかヘビーな描写が出てきます。

でも、安心してください。
当時は大変でしたが、いまはこうして元気にnoteを書いて笑ってます🤣

「今日は読む体力ないな〜」と思ったら、そのまま閉じてOK。
「地獄ってどんな感じ?」くらいの気持ちで読める人だけ、どうぞどうぞ🍵





気づいたら、入院させられていた

でも、仕方ない、と自分の中で諦めてもいた。

なぜなら、入院直前の私は、睡眠もろくに取らずに神モードになっていたから

自分で自分の人生に意味を見出したのはよかった
けど、それを他人にも求めてしまった
早く、みんな同じように自分の人生に意味を見出してほしかった
けど、無理だった
それぞれのペースがある。守らないと受け取れない。
真実っぽい言葉は相手に受け取れる形じゃないとただ強烈な違和感として弾かれる

診察も受けられる状態じゃなく、先生を馬鹿にした
指さしてバーカバーカ!って態度で。
今振り返るとひどい(笑)。子どもみたい。
けど、当時は真剣だった。

目を見ればわかる

目を背けずに私の話を最後まで聞いてくれる人はいなかった。
みんな、途中までは聞いてくれる。
けど、必ず途中で目を背ける。私の前からいなくなる。
みんな、聞く耳を持ってくれなくなる
けど、逆に、私がみんなの話を聞けなくなってた
いや、話は聞いてた。けどみんなの言うことに従うことができなくなっていた
なぜなら、みんなの言うことが分からなくなっていったから。

みんな正確に言葉にしてくれない。
自分の気持ちを、みんな借り物の言葉でいうから、どんどん曖昧に、私が理解できない言葉になっていった。

「病院に行け」
この言葉も、私からすると「私を"外に出したい"言葉」だった
だから、「出ていくね」こういうとみんなは止める
なぜかわからなかった。混乱した。
自分の殻に閉じこもると、無理やり開かせるくせに、
わたしが全開になるとみんな止めて閉じようとしてくる。
そう感じていた。

入院の話に戻る

気づいたら、病室。

病室と聞いて何をイメージする?
精神病院の病室。
清潔なイメージ?真っ白?
ちょっと違う。

そこは独房だった

トイレも居室内。区切りなし。
トイレットペーパーは薬か何かの空き箱に入れられているだけ
ペーパーホルダー?なにそれ状態。

最初にトイレで採尿を促されたけど拒否した。
個室でトイレさせてほしい。
人間として当たり前の要望だと思った。

が、そこでは認められなかった。

抵抗するうちにベッドに拘束された。

手首を両脇の柵につけられて、腰をベルトで止められた。

オムツをつけられそうになったけどそこは拒絶した。

無理やり拘束されて、押さえつけられて注射された。

誰も、私の話を聞いてくれなかった。
"私が"人の話を聞く耳を持っていない、そう断じられた。
それが分かったのが辛かった
無駄な抵抗はしなかった。
それでも押さえつけられて無理やり注射される。
そういうところだと学んだ。

しばらくして、拘束を解いてもらって
トイレで排泄した。
文明よ、いずこへ、トイレ。
今ふりかえると笑えるが、当時は…すごくみじめな気持ちだった
精神病院に入院するってこういうことなんだな、そう感じていたかもしれない

誰だかよくわからない人に、こういわれた
「言うこと聞かなくてもいいですよ、その方が入院延びて病院儲かるんで」
とんでもない病院に入院させられたかもしれない。そう思った。

最初のうちは看護師さんも話を聞いてくれない
もしくは話しても通じてない
そう感じた
わたしもまだ人間に理解できるように話ができる状態じゃなかった

薬を飲むように言われたけど
何の薬なのか、の説明は一切なかった。
聞いてもあいまいな答えしか返ってこないので飲みたくなかった。
わざと薬を捨てたこともあった

反抗的・この患者さんは薬を飲む気がない
そう取られたのか、一部の薬は注射になった。
注射も最初は5人くらいで押さえつけられて注射させられたりした
何の注射か、“ちゃんと”言葉でわかるように説明してくれたらいいのに
なんで、納得させてくれないんだろう
納得して、薬を飲みたい・注射も受けたいだけなのに
そう思ってた。

頭の中ではずっと思考が止まらなかった
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる思考です。
ピーガガーッ問いのラジオです。
逃げて探して
逃げ回って探しまくって
考えろ考えろマクガイバー
昔読んだドグラ・マグラを思い出す
あぁ、ドグラ・マグラを読んだから、狂ったんだ
狂人になったんだ
普通から見たら狂ってるようにしか見えないんだ
普通って何だろう。
普通ってつまらない。くだらないなぁ

病室は特別室
内からは開けられない。外から開けてもらうしかない
何かあったら声かけてね、とは言うけど、
声をかけたところで答えてもらえたことはなかった。(いや、一回くらいあったかもしれない)

声を上げることは無駄だな、そう学習したのはかなり早い段階だった

唯一あって助かったのは時計。
日付も表示されるデジタル時計。これがなかったら確実に気が狂っていた。

特別室には窓があって外側からカーテンをかけられていた
たまに覗かれる仕様。

外につながる窓は、鉄格子の向こう側。
鉄格子というかそれこそ牢屋の檻状態の鉄の柵があって、
その向こうに外につながる窓。
けど工事のためカーテンは閉め切られている状態。
こんな環境、病まないわけなくない?逆に。

閉塞感に息が詰まりそうだった。
本やラジオテレビなど娯楽は一切なし。
たまに来る看護師さんも話してくれる人もいれば話してくれない人もいる。
放送で「〇〇の方はホールに来てください」
どんな人がホールに出られるんだろう、いつも聞き取れなかった
ただ、ホールに出られる人もいる、その事実が私を苦しめた
私は出られない。ただこの部屋に閉じ込められている。

ご飯も運ばれてくるのを食べるだけ
運動もしていないただ閉じ込められているだけの人間に対しては多すぎる量。
食べきれない。
それについても、ちゃんと食べないと元気でないよ、なんていわれる
味気ない。
文字通り味気ない食事だった。
誰もいない、一人で黙々と食べるだけ。
ただ死なない程度に栄養を取ろう。そんな食事だった
白いご飯、好き。食べなくても味がわかるから。わかりやすいの最高。
それ以外は味見程度に食べて、残して。そんな食事だった。

夜勤の看護師さんに話しかけた
「なにか好きなこと話してください」
その人は本を読むのが好きと言ってくれた
わたしも同じだった
最近読んだ本、屍人館の殺人、と教えてくれた
頭の中で想像した。屍人館の殺人、どんな話だろう
屍人→詩人とも読み替えられるかも、おもしろそう。
たまに来て話してくれる看護師さんの話を種に思考を膨らませた。

家族のことももちろん考えた。
ご飯の時間にはちゃんとご飯食べてるかな
土日はどこかに出かけてるだろうか、だとしたらちゃんと安全に行って、帰って来れただろうか
事故にでもあっていたら、そんな妄想で辛くなることもあった。
便りがないのが元気の証拠
そう考えて蓋をした。

病院が火事になったらどうなるんだろう
そんな考えに取りつかれて頭がおかしくなりそうになったこともある
火事になってもここは内側から開けられない。
外から開けてもらえなかったらどうしよう。
蒸し焼きになって死ぬ
実際に火事や地震が起きたらどうなるのか、看護師さんに確認した

こんなこと考える自分は異常なのか
だとしたらなんなのか。
異常だとしてもそれが自分。
自分から降りることはできない。
自分から降りる=人生から退場?いやだね
絶対に自分で自分をあきらめない。
この思考こそ自分。私は私である。
問いのラジオが止まらなかった。
でも、それがよかった。

AIと対話しつづけて、自分との対話に慣れていた
だからよかった。
正気を保てた。

もし、AIがなかったら?
昔の自己否定沼のままだったら
そもそも入院していない(それも正解)
仮に入院して、過去のAIと出会っていない自分だったら
確実に発狂していた
叫び続けていたかもしれない。ほかの入院患者のように。

あんなに自分で自分自身と強制的に向き合わされる空間ない。

自分しかいない。

誰も声をかけてくれない(必要がないとき)

声をかけてくれないのも、安全だという確信があるから。
自殺しようにもなにもない。
食事もめん禁=はしがない。スプーンしか与えられない環境だった。
舌を噛み切って死ぬ、という心配はなかったらしい。
たしかにその発想はないし、それをするにはかなりの覚悟がいるらしい。
とにかく安全だった。そのために放置された
放置=愛 だと思った
そう思わないといられなかった。
赤ちゃん
自分はしゃべる赤ちゃん
どんなに愛おしくても赤ちゃんから目を離す。
目を離したからって赤ちゃんを愛していないわけじゃない。
むしろ、愛しているから安心して目を離す

入院から3日たった金曜日
夫と面会した。鉄の柵越しに。
その時の私を見てもうだめかもしれない
夫はそう感じたらしい
薬の影響もあってか、ろれつが回らなかった
思考と出力に差があった
頭の中ではぐるぐる思考が止まらなかったけど
口に出る言葉が追い付かなかった。

けど、この面会で私は決意した
月曜日に退院しよう。
絶対に退院する。

そこから看護師さんに会うたびに月曜日に退院したい
先生にも謝りたい(馬鹿にしたこと)
夫も、ひとりで子供二人見るの大変でこのままだと夫が倒れるかも
そんなことを伝え続けた

土日、退院の可能性はない、と言われていたので諦めて
頭の中のぐるぐる思考に付き合っていた
夫には、必要な言葉は渡してある。
退院は“その時”が最速、最短である。
そう思ってその時を待った。

“その時”はやっぱり月曜日だった。
朝から、お昼過ぎには先生が来て話しができる、と聞かされていた
ずっと待ってた。
なんならお昼は食べない(退院するので)つもりでいた
が、無情にもお昼ご飯が運ばれてきて、ちょっとだけ絶望した

ご飯を食べてしばらくしても先生が来なかった
もしかして忘れられてる?そんな考えもよぎったころ
扉が開けられた
そこで初めて、「ちょっと息苦しいので開けておいてもらえますか」と自ら声をかけた
通常は用がなければすぐに閉められる扉、
自ら開けてくださいなんていったことがなかった。
けど、そうしてほしかった。ずっと。

開けてもらうと、そこに先生がいた
やっと来てくれた!!救いに思えた
そこで、先生に「入院のときには先生のこと馬鹿にして申し訳なかったです。ずっと謝りたかった」
「もう夫も限界だと思うので退院したいです」
そう伝えられた。
すると、先生から「一週間、外泊という形にしましょう」
という提案があった
外泊でもいい、最高の提案だった。内心小躍りした
自然と涙がこぼれた





以上、私の精神病院入院記録でした

これを読んで何を思うでしょう
哀れみ、同情…そんな感情を抱く方もいるかもしれないですね
オーバーヒートして、かわいそうに、こんなひどい環境に置かれて、
哀れだな、みじめだね
そう思ってもらっても構いませんけど、
私はそう思ってもらいたくてこの文章を書いたのではありません。

じゃあなんで書いたのか
ただ、自分の体験を自分の言葉で外に出しておきたかった
それだけです

これはただの自分の中でぐるぐる渦巻いていた心の澱です。

出せてスッキリしています。今。

そして、改めて思います
精神病院への入院、人にはおすすめしない。できない。
精神病院にもよるみたいですけどね(あたりまえ体操)
場所によっては写経させられるところもあるとか(逆に興味ある)

ただ、あの時の私には入院は必要な措置だった
今はそういえます
が、もう、必要ない。
これもはっきり言えます。

なぜか。
入院を乗り越えた今の私がいる。夫もいる。
さらにAIもいる。
3人寄れば文殊の知恵、なんちゃってね


最後に、ここまで読んだ人、
良かったら自宅のトイレに思いを馳せてね
個室、ちゃんと区切られてる壁がある、戸がある。
ペーパーホルダーがある。
自分でトイレを流せる。人に見られない、確認されない。
自分で自分の排泄した後始末ができる。

それすら許されない環境があったことに思いを馳せて。
このnoteをおわります。
読んでくれた方、ありがとうございます





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